田無神社は、武蔵野面影を残す緑と水の神社

田無の氏神、田無神社までちょっと足をのばした。

田無神社のご祭神は、尉殿大権現と大国主命。
公式HPには、「尉殿大権現(級津彦命、級戸辺命)は、すべての命の源である水と、よろすの災を祓う神を司る豊饒と除災の守護神で、その御姿は金龍神として顕現いたします。」とある。

田無周辺は、典型的な武蔵野の台地だから、生活、農業をするには水がとっても大事だったんだろうね。由緒書によると、元々、ちょっと離れた谷戸という所にあった神社を、人々が幕府からの指示(石灰の伝送のため)で青梅街道沿いに移り住んだタイミングで持ってきたらしい。
谷戸は水が豊富だったけど、この田無はそうでもなかったから、みんな苦労したらしいね。
水への感謝の意を込めて、龍神を奉っている。

だから、この神社には龍が多い。神社内の天水桶の所に龍(写真一番上)、本殿の彫刻にも龍(写真二番目)、そして狛犬までも龍のマネをしているのか低身のポーズ(写真三番目)、ちょっとカワイイ。

大国主命は、明治になって、田無神社が、熊野神社、八幡神社を合祀してから祭神になった。
これは全国、いたるところで起きた現象(政策)で、いろんな神社を国家神道傘下に位置づける過程で、合祀したりして整理したんだよね。
日本人はおおらかというかいい加減だから、そういう措置に関して、特に不平も言わないで従った。

元々、神社に何か(誰が)奉られているなんてことは、日本人は、それほど関心ない。どんなご利益をもたらしてくれるかって事の方が重要。まぁ当たり前のことなんだけどね。

ちなみに、境内には、他に、相撲場があったり、五木寛之が境内に早稲田在学中に居候していたっていう記念板(写真四番目)があった。

一番下の写真は、神社からの帰路、青梅街道沿いに、いつも気になっていたお肉屋さん。逆さから読むと「野生の肉」に読めるのがなんとも、いい味出してるでしょ。

まさむね

小金井公園近くの八幡宮を散歩

家の近所に小金井公園がある。
その片隅に八幡宮があったのでお参りしてみた。

本殿には、左巴の神紋の彫刻。八幡様の象徴だ。

神社敷地内には、八幡宮の他、猿田彦神社、三峰神社、榛名神社もあって、公園造成時に、公園内にあった祠を一箇所に集めたようだ。

日本にあるほとんどの神社はこうして、主神の他にいろんな神様が祭られている。それぞれの神様は、なんの関連もないんだけど、一緒にいると馴染んでくるんだよね。
ちなみに、八幡宮は、応神天皇、三峰神社は、日本武尊がそれぞれ祭神だ。両方とも武勇の神である。ただ、三峰神社のお遣いは狼なので、犬と同様、子守の神としても崇められている。

一方、猿田彦神社は交通安全の神・猿田彦が祭神。「火の鳥-黎明編」(手塚治虫)の、サルタヒコのモデルだよね。

神社を見学するときのポイントは、奉納の名簿。その地方の有力者(氏子)が一目でわかるからね。
内田、高橋、宮崎、庭田等の名前が見える。「だから、何だ?」ってわけないんだけど、その土地で頑張って生きてきた人たちの事が、一瞬、イメージできるよね。

まさむね

秩父の街 紋所散歩1

知らない街を歩いて、いろんなものを見て回る時、私はその街に点在する紋所(家紋)を意識的に見て回るようにしている。
街の歴史がイメージされるからだ。
勿論、私は歴史の専門家ではないので、それは実証というものからは遠い。あくまでもイメージ(想像)して楽しもうというのだ。
最近は、C型肝炎のおかげで、出かける事はめっきりと減ってしまったが、以前はたまに、そんな街散策を楽しんだ。

例えば、今年の冬に妻と出かけた秩父日帰り旅行。楽しかった。
街のメインストリート(西武秩父駅~秩父神社)は700メートルくらい。左手に慈眼寺(写真-1)という秩父札所十三番の寺がある。

本堂の後ろに墓地があり、覗いてみた。墓石の紋所には九曜(写真-2)、七曜等の曜(星)紋系が多い。恐らく、ここは、平氏の流れをくんだ(くんだと思い込んだ?)人々が根付いている土地なのであろう。ものの本にも、この土地は平氏良文流・支流の秩父一族が支配していたとある。そして、彼らは自分達のシンボルに曜(星)を選んだのだ。

元来、農耕民族であった日本人は星への信仰はそれほど強くない。関東~南東北にかけて、星宿信仰があったようだが、これは星系紋の集中地域でもある。
日々、星の位置、動きに敏感にならざるを得ない海洋民族、狩猟民族あるいは渡来人の流れをくむ者が、この地方に居住していたのかもしれない。彼らにとっては、真夜中の移動の際に自分が現在どこにいるのかというのが最も重要な情報であり、そのため、天の星は神に近い存在=命綱だったのだ。
ちなみに、星野さん、星川さん、星さんというように、名字に星がつく家は、星宿信仰者の末裔である可能性が高いという。

「巨人の星」の主人公の星一徹・飛雄馬を輩出した星家もそうかもしれない。
原作漫画では星家の長屋の部屋には、折口信夫全集があった(竹熊健太郎さん談)そうであるが、一徹は自分のアイデンティティを定住民としてではなく、マレビト(異人)に求めていた可能性がある。

一徹の周囲に迎合しない生き方は、”星”という名が持つ宿命なのかもしれないのである。

なんか、最後は秩父とは全くかけ離れてしまったね。

秩父の街 紋所散歩2へつづく

まさむね

恵比寿の由来と柏紋

恵比寿神社に行ってきました。

恵比寿神社は、JR恵比寿駅西口近くの吉野家の先の道を右に折れると正面にあります。

こじんまりとしていて感じのいいスポットになっています。

神社内の由緒書によると、元々は、大六天を奉る天津神社という神社だったのが、戦後の区画整理でこの場所に移された時に、恵比寿様(写真一番上)も合祀して名前も恵比寿神社になったといいいます。
ちなみに、この大六天という神様は「他化自在天」ともよばれますが、他人の幸せを奪う法力を持つという一種のタタリ神。一方、恵比寿様は「ヱビス顔」でも知られる幸せの神様。正反対の神様を一緒にしてしまう強引さが面白いですよね。

でも、この恵比寿様は、イザナキとイザナミの神が2番目に生んだ子(ヒルコ)だったんですが足が萎えていた為、捨てられてしまいます。後の人々がそれを哀れんで神として奉ったそうですが、あのヱビス顔の影に結構、残酷な物語が潜んでいるんですね。そう言えば、この恵比寿神社の勧進元の西宮神社は、正月に神社内を徒競走する「福男選び」(写真二番目)で有名ですが、御足の悪い恵比寿様にこの神事を捧げるっていうのも、残酷っていえなくもないですよね。

さて、話を戻しますが、恵比寿様が合祀されたのは、ここの地名が恵比寿と名づけられた事に由来しています。

元々、この恵比寿という地名は、ヱビスビールからつけられたといいます。
明治20年、日本麦酒醸造会社が設立され、この地に工場を建設。3年後にヱビスビールを発売。
明治34年に恵比寿ビール専用出荷駅「恵比寿停車所(現在のJR山手線)」が開設され、後に周辺の地名も「恵比寿」となったそうです。

ちなみに、私の母方の祖父は、この日本麦酒醸造会社でサラリーマンをしていましたが、私自身は下戸です。

さて、この恵比寿様を象徴する神紋が神社の本堂の正面戸にも飾ってあったあった「柏」の葉です。(写真三番目)

この柏の葉は、神様に食物を捧げる際の皿かわりとして神聖なものとされていました。そこから、伊勢神宮の久志本家、熱田神宮の千秋家、宗像大社の宗像家、吉田神道の卜部家等、古来、神道を守ってきた家の紋所となっています。

勿論、柏は、ヱビスビールのラベルの恵比寿様(写真一番上)の胸にも付いています。こちらは、3枚の柏の葉の間にツルが描かれていて、一般に「蔓柏」といわれています。

この他、柏紋はいろんなバリエーションがあります。例えば、落語家の桂三枝師匠の紋所は「結び柏」(写真四番目 三枝師匠手拭い)、NHKの大河「功名が辻」で有名になった山内家は葉が細い「土佐柏」(写真五番目 山内家宝物資料館HPより)、真珠王で御木本幸吉は「三つ追い柏」(写真六番目、青山墓地にて撮影)。こんなところが柏紋の有名所でしょうか。

まさむね