巣鴨地蔵通り商店街にある紋所

巣鴨地蔵通り商店街はおばあちゃんの原宿と言われるだけあって、物凄い平均年齢の高い人口密集道路である。
僕は1月4日の朝9:30頃に行ってみたのだが、それでも大変な混雑だった。
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この商店街の両脇には煎餅屋とか人形焼屋とか、漬物屋、衣料品店、お土産屋などが並んでいる。
ここだけ昭和の匂いがする。
多分、他の商店街に比べて、店の人の売り声が大きいのと、値札と看板の文字も大きいからそう感じるのだろうか。

僕は、商店街にある家紋を見て歩く。
まずは、商店街に入ってすぐに左にある大きな漬物屋・河村屋さんの蕪の紋所。
おそらくこれは商標なのだろう。紋所というよりは、デザインされた社標だ。

さらに、その先にあったのが、ゼイタク煎餅と人形焼の向井商店さんの分銅紋。
この紋は、公平誤りのない心情を表すといわれ、武士魂を象徴する紋だったらしい。(「家紋を読む」能坂利雄著参照)
おそらく、向井商店さんも、商売に対する誠実さを現したかったじゃないかな?

さらに、しばらく行くと右側に塩大福のみずのさんがある。
ここの紋は、おそらくオリジナルで、水という字をデザインしたものかと思われる。

そして、その先に、とげ抜き地蔵(秘仏)があるのある高岩寺がある。
紋所は檜扇紋だ。そういえば、この商店街の提灯も檜扇が使われている。

ところで、この高岩寺は曹洞宗の寺院、だから境内には稲荷神社があった。
曹洞宗は、実はこの稲荷神社とタイアップする事によって、勢力を伸ばしたんだよね。愛知県にある豊川稲荷は、名前からすると神社だけど、実は曹洞宗の寺院なのである。豊川稲荷は江戸に進出し、大ブレイクした。
曹洞宗と言えば一般的には、厳しい禅修行の世界が思い浮かぶが、一方で、ビジネスに対して積極的であることでも知られているのだ。
例えば、ここの高岩寺のとげぬき地蔵もそうだけど、他に大船観音も曹洞宗の寺院、一般民衆へのアピール(と同時に、御布施集め)に長けている。
また、この高岩寺の近くの曹洞宗の寺院、總禅寺は手塚治虫の墓所があることで知られているが、墓地に入るだけで、線香代ということで200円かかる。
一方、昨年の11月、曹洞宗配下の駒沢大学が、投資に失敗して154億円の損出を出したという事件もあったけど...これはあんまり関係ないか。
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昨年に行った人形町以上に、庶民の街、巣鴨。
家紋も既成のものをそのまま権威として使うのではなく、わかりやすくオリジナル化しているところに特徴があった。

まさむね

「天地人」はどういう価値観を示してくれるのか楽しみだ

元旦は、NHKスペシャル「激論2009」を興味深く見せてもらった。

番組のポイントは、現在の不況の原因を作ったといわれている構造改革の政策責任者の一人の竹中平蔵元総務大臣を金子勝、山口二郎、斎藤貴男の3氏がどれだけ、攻め込めるかだった。
ご存知の通り、竹中氏は、郵政民営化を初めとする新自由主義に基づいた(民営化、規制緩和、地方分権、財政再建など)政策を立案、実行したことで知られているが、その竹中氏に対して、今日の惨状の責任を認めさせるというのが、この3人に課せられたテーマだった。
多くの視聴者もそう思ってみていたはずだ。

しかし、結果としては、竹中氏は逃げ切った。
竹中氏に「第一の課題は貧困をなくすことだ」とか「大事なのは犯人探しをする事ではなくて、一つ一つ具体的に問題を解決することだ」と、正論を言い切られて、ほとんど有効な反論ができなくなってしまった。
さらに、実際の政策実行過程で具体的に官僚の執拗な抵抗があるという経験談に対して、この3人は黙って聞くしかない。
終いには、リアリストたれと一喝されることによって、事実上、論家あるいは研究者としての気楽さをも指摘され、いわゆる格の違いを見せ付けられてしまった。

それでも、例えば、今日の派遣切りなどの惨状と竹中氏の政策の失敗が明確にひも付けられれば、細かい点で、もっと攻め込めたかとも思うのだが、社会情勢の変化等も絡めて説明されると、それも難しかった。
具体的には、2003年に法制化された労働者派遣法の改正(製造業務への労働者派遣の解禁)の問題点が指摘されたが、それは別に小泉・竹中構造改革からだけの問題ではなく、80年代から徐々に解禁されてきた経緯がある。
労働者派遣法は、2003年の前に、既に1985年、1996年、1999年と徐々に派遣出来る業務が広がってきたのである。
また、同様に、パートタイマー(フリーター)、契約社員等の非正規社員もこの30年あまりの間にどんどん増えてきたし、転職なども当たり前になってきた。
それらは、新しい働き方、あるいは新しい生き方を支援するための新制度として、むしろ肯定的に広がっていったのである。
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そして、これらの労働形態の多様化は、その背景として、「自分らしく生きろ」、「個性を生かせ」、「夢を持て」などという耳あたりのいいイデオロギーが後押ししてきたのではなかったか。
おそらく、現代日本人にとって、こういった価値は、それこそ骨の髄まで染み付いている。
例えば、昨年の大河ドラマ「篤姫」は、まさに「己の心のままに生きる」ことを肯定する価値観を背景に持っていたし、TBSの大ヒットドラマ「ROOKIES」は常に「夢にときめけ!明日にきらめけ」と語りかけていた。

それらのドラマが発する価値観があまりにも自然なため、僕たちはその起源すら忘れがちであるが、それらは決して古いものではない。
おそらく、戦後にいつの間にか浸透したものであると思う。

しかし、昨年から今年をまたいでさらに続くと思われる経済危機の中、これまで僕らを支配していた、悪く言えば浮かれた価値観は必然的に変わらざるを得なくなってくるのではないか。まず、足元の生活を維持する事こそが重要になってきてしまうからだ。
勿論、だからと言って、その前の価値観=勤勉、忍耐、協調という古い価値観を持ち出すこともナンセンスだ。
それらは、日本型農業社会、そして、右肩上がりの工業生産重視の時代、あるいは終身雇用が当たり前の時代にまでしか通用しない価値観だからである。

これからは、普通の人が、普通に真面目に働いてもその先に成功するとは限らない時代が待っていると思う。
逆に、今まで以上に、一人一人が、付加価値を付けていかなければ生き残っていけない時代になる。その意味で、上記討論番組において、勝間和代氏が、これからは教育が大事だ、しかもそれは、子供に対してだけではなく、個々人が自らに対してもそうだという趣旨の話をしていたが、まさしくその通りなのである。
しかし、一方で、だからこそ、これからはイザという時のために、普段から、絆(今上天皇によって、天皇誕生日のご感想だけではなく、年頭のお言葉でも繰り返された言葉であるが)=人間関係というセイフティネットを大事にし、さらに、国に頼る以前に、自分達で作っていかなければならない時代になると思う。
そういう意味で、今後、学校の役割は、自分が落ちそうになった時の精神的、人間関係的なセイフティネットの基礎となる絆を作る場としての意味も大きくなっていくようにも思える。教育に金をかけるのは確かに大事だが、学校というところが、大人になるためのプラグマチックな訓練場として以上に、学校を卒業して大人になった時に、僕たちを癒してくれる「故郷」として必要になってくると思うのは、いささかノスタルジックに過ぎるだろうか。
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さて、今年の大河ドラマ「天地人」では上杉家家臣の直江兼続が主役であるが、彼は、「愛」と「義」に生きた武将として知られている。
「愛」と「義」というコンセプトは、自分自身の生き方というよりも、周囲に対しての接し方のコンセプトなのだと思うが、それがこの時代に必要な「絆」構築のための思想になれるかどうか。その思想が時代とシンクロしていけるかどうか。
そういう視点でこのドラマを見て行きたいと思う。

まさむね