サッカーってマラソンに似ている

スポーツ観戦は私も苦手ですが、サッカーがその一瞬を見逃さないでいるためにずうっと丹念に終わるまで見るのって、マラソン中継とかも同じと思います。私的には、あんな退屈な平坦な道を同じに走っているのって、何で中継見てて楽しいのかと思いますが、たぶん思うに、抜いたり抜かれたりする一瞬を見逃さないために最後まで見ているんだと思います。
どっちにしても、見るのに勤勉なんて耐えられません。考えてみれば、時々ビデオで映画鑑賞するときもあるのですが、ほとんど早送りしながら見ています。じっくり丹念に見るなんてやってられません。なので、その際には字幕入りを鑑賞します。字幕なら早送りしても何言っているかわかるしね。逆に、吹き替えを借りてくることも有るのですが、その際はマンガ読みながらとか、他の事しながらビデオみるために、画面から目を離しても筋がわかる為の吹き替え版です。
やな役者とか出てくると「手足バタバタの刑」と称して早送りします。

なんか取り留めのない話でした

ところざわ

ナベツネと長嶋

同時代のヒールといえば、やはり読売のナベツネだろう。あの傲慢さの佃煮といったたたずまいは、売れりゃいい、勝ちゃいい、視聴率ありゃいいといった結果オーライ主義の勝者としての面目だろう。
巨人ファンとしては、そのナベツネの存在に耐える事が、巨人ファンでありつづける事の試練になっている。
その構造は、対局にある阪神ファンでありつづける事が、弱い事に耐えつづける事という試練を乗り越えねばならないのと同様に、いやさらに強大な困難であるに違いない。
しかし、かくもプロ野球ファンであると言う事は宗教的な行為なのであろうか。
もっとも、その巨人ファンは、巨人ファンである事の唯一の救いあるいは、もっと砕いて言うならば解毒剤としての長嶋茂雄を愛さずにはいられない。
私は、長島のユニークな発言はさておき、彼を、野球が「野球」として成立する以前の何か別なスポーツになりえたかもしれない可能性を体現している存在として認識し、それゆえに彼を天才と呼ばざるを得ない。
例えば、悪玉打ちとかホームスチール王とか、そういった制度として確立してしまった現代野球以前の無限の可能性を彼に見るのであった。確かに巨人の高橋などは、現代野球を実践する者として優れた技術者としては評価できるが、野球を別なスポーツに変えるほどのエネルギーは感じられない。
しかし、逆に言えば、いつまでも長嶋に頼ってばかりいられないのがプロ野球のつらいところではある。

まさむね。

野球って

パリーグって、どうして日陰モンみたいな立場で、何にも仕掛けないのかな。セリーグとつるむのやめちゃって、大リーグと提携して、大リーグの日本地域の一部門とかになれば面白いのにね。
証券市場だってマザースとかナスダックジャパンとか市場自体が地殻変動して競っているのに。
プロレスっとかってそういう団体の地殻変動も含めてエンターテイメントじゃないですか、野球って地味に毎年毎年同じことよくやってられるよなあ。まあ、試合も勝つために地味に同じ事繰り返しているから、脳味噌名退化してるのかもね。
野茂、伊良部あたりには日本版大リーグ名球会でも作ってもらって、金田の持ち物の名球会の向こうを張ってほしいですね。

ところざわ

セとパは徹底的に喧嘩すればいい

あいかわらず、過激ですな(笑)。
プロレスにいろんな団体が出来て楽しかったのは、昭和の頃まででしたね。で、その軸はやっぱり全日本と新日本。2つの団体のうちどっちが強いのかという永遠のテーマが生きていた時代だからこそ、そこから飛び出した長州とか大仁田とか天龍とかが、もう一方の団体と絡んだときに、その試合を基準にして、我々はいろいろと想像できたわけです。だって、全日本と新日本じゃやっているレスリング自体が似て非なるものだったでしょ。つまり、流派が違うところが面白かった。
でも、今みたいに、プロレスの中だけじゃなくて、K-1とかグレイシーとか出てくると、全日本と新日本どっちが強いなんていう問い自体が物凄く矮小な感じがしてしまいますよね。
だから、それに従って、団体の興亡も追うのがただ面倒になってしまったわけです。
で、僕がプロ野球に望みたいのは、この際、セとパが物凄く仲悪くなって、交流もなくなって、引き抜きとかが事件になっり、勿論、日本シリーズも無くなって、お互いやっている野球自体が違ったゲームになったような世界です。
例えば、パリーグではランナーが出ると盗塁するのが当たり前みたいな暗黙のシステムが出来たり、ファーボール狙ったら90%以上の確率でそれが実現出来ちゃう、最初から腰のひけた名選手とか、はじめからピンボール専門の危ない投手とかみたいですね。
僕が長嶋に感じたのは、そういった現在のプロ野球が現在のシステムに固定化される以前の可能性です。
世界と一緒になるっていういわゆるグローバルスタンダード的な発想って、理にはかなっているんだけど、生理的に嫌な感じがします。これからは英語だって事で、無理矢理英単語覚えさせられた時の記憶がよみがえります。
正直言って、そん時ほど、日本が戦争に勝っていればと思う時はないですね。

まさむね。

吉野川の住民投票

事の是非はともかく、テレビに出まくっていた建設省の大臣、強烈でしたね。抗議の電話も来てたらしいけど、一方的に喋りまくって、まあ、普通の人なら誰でも反感を覚えるような態度でした。
なんで、短絡的な人が当選しちゃうのかな?普通ならテレビにも写っているし、好感をもたれようとするだろうにね。逆効果なのわからないのかな??
以前、深夜の討論番組で原子力推進派の学者?が出演していたのですが、紳士的で、穏やかで、好感度良い感じで意見を述べていたのですが、反対派の意見の急所をドンドン突いてきて、悪魔がこの世に存在するなら、この人だと思いました。

そいうえば、立花隆のHPって全然更新していないんです
よね。インターネット、利用するなら少しは更新して還元しろよって感じですね。
でも、そのページで以前相撲の八百長を訴えた元大鳴戸親方と後援者が同じ病院、同じ死因で同じ日に死んでいて疑問を述べていたけど、遺伝子や宇宙なんて他のライターでも調べられるんだから、タチバナ、おまえ、それだけいうなら自分で八百長相撲調べろよって感じですよね。
遺伝子や宇宙じゃ刺客はこないけど、相撲はヤバそうですからね。角栄本で命賭けたから、その後はヒヨっちゃったのかなあ

ところざわ

中山はストレートでいい。

その昔、エイズ問題で帝京大の安部教授が登場した時、そのあまりの憎たらしさに、これでプロレスも終わりだと思ったものでした。
ようするに、現実世界で本物のヒールが出てきてしまうと、プロレス的ヒールなんて、物凄くチャチに見えてしまうんですよね。
今回の中山建設大臣は、安部教授には遠く及ばないにしろ、天然ヒールの素質は十分ですね。あの無自覚さがいい。
小沢一郎みたいにカメラに顔が映ると一瞬遅れて、作り笑顔をするから、その落差がとてつもなく不気味にテレビが捕らえ、お子様や主婦層を無条件に不安にさせるという、さらに奥の深い天然ヒールもいるけど、中山みたいなのはストレートでいい。
勿論、僕は見世物としての中山について言っているのであって、発言内容は聞いてないからわかりません。

でも環境問題とか、原発とかいう話になるとどうして、左寄りの人は必ず、開発反対ってなって、右寄りの人は賛成になるんだろう。昔から不思議でした。左寄りだけど、原発支持みたいな人いないのかな。そういう人が個性のある人といういうんじゃないかと思ったりします。まぁどうでもいい話題でした。

まさむね。

相撲について

相撲の件に関しては、八百長だという話はかなり前からあったわけだし、事実としては、我々もすでにそれを、前提として相撲を見ていたわけですよね。
僕はそれほど相撲通じゃないけど、もしも、本物の通だったら、「今のあの寄りの筋肉の動きは怪しい」とか「今のみたかよ。ガチンコはやっぱり迫力あるねぇ」みたいに、本物と偽物とを見分けながら、時に協会や部屋筋からの情報もからめながら、「○○部屋がタニマチから融資してもらったからな」とか言って楽しんでみてるんじゃないかな。
問題は、今回の騒動が外人記者クラブだからこそ発生したという事ですよね。相撲協会が外圧からどう話をそらして、丸く治めるのか。その手腕が楽しみですな。
元々、相撲というのは、柔道や空手と違って、見世物とか神事から発生したわけです。村々のお祭りの時に、ある一方が勝てば来年は豊作とか言って、かならず豊作の方が勝つような疑問の無い八百長をしていたんですね。
一方、興行という視点で見れば江戸の勧進相撲っていうのは、力士はかならずお抱えの大名なりがいて、そういう人が見に来たとき、どうなるかっていうのは、今の地方巡業を見ればわかりますよね。また、それと同時に10歳位で、物凄く太った子供とかを土俵に上げて、みんなで見て楽しんだみたいな記録も残っている。ようするに見世物ですよね。
で、それに対して、いろいろと文句を言うような野暮はいなかったはずです。そういったのどかな相撲文化が明治以降、戦意高揚のための道具になったり、国家的神事に昇格したり、戦後、スポーツになったり、NHK用に時間制限とかできたりと、いろいろとあったわけです。ちょんまげ結ってるから、あれが江戸時代からずっと同じ形式を保っているというのは錯覚です。それはたとえば、江戸時代から寿司には軍艦巻きがあったという勘違いするのと同じようなものですね。
だから、これからも相撲はどんどん変わって行く。おそらくオリンピック競技種目を目指すような方向も強くなっていくんでしょう。まぁ、格闘技のルールとしては、場所から出たら、それで負けみたいなユニークなところもありますよね。またレフェリー=行司が「取り直し」っていう最終決定があるにもかかわらず、それを言う権利が無い、現場審判の立場があまりにも弱い競技っていうのも極めてユニークですよね。
まぁ、そういう風にいろんな風に思いを巡らす事の出来るジャンルっていうのも貴重なのではないでしょうか。

まさむね。

久米ヒロシと孫

ルミコの件はそうなったら凄いけどね
昔の映画みたいな話で現代じゃありえないかも

筑紫じゃないけど、先日、ニュースステーションに孫がゲストででていて、久米とまあどーしょーもない対談をしたのだけど、その中で久米の孫の月収を突然質問し出して、孫はモゴモゴしなから500万程度とこたえていたけど、孫には逆に久米にイクラか切り替えして聞いてほしかったですね
久米はその胸元への質問でインタビューアとして自我自賛したかったのだろうけど、なんか引いてしまいました。
まあ、その後、儲けているのにその程度とフォローしていましたけど、久米はあいかわらず庶民の見方みたいなポジションに立ちたかったのでしょう
でも、もう、誰でも感じているとおもいますが、
孫も虚像に満ちているけど久米も大差ないと感じていると思います

筑紫はもう知識人として自分でアガリの立場にいることを認識していて、その立場の立脚点が今までの文学やヨーロッパ映画やオペラだったりするのでインターネットとか新興勢力を毛嫌いしていますよね

立花隆や筑紫や久米も扱っているものが多少違うだけでワイドショーの司会の小倉某と大差ないと感じてます
逆に扱っているものが等価であることに気づかずにいる分裸の王様なのでしょう

ところざわ

相撲の八百長

外人記者クラブで話題になったけど、新聞は各社取り上げているけど、テレビはフジだけなのかな。協会に楯突くと取り組みのビデオが放送できないからね。
スポーツ全般なんでみんな神聖視するのかな、オリンピックにしろサッカーにしろみんなドロドロなのにね、
その点、プロレスはもうそんな次元は超越しているからね。スポーツは程度低いよって感じです
プロ野球は、ダイエーとオリックスのスカウト自殺絡み遺恨からスパイの暴露とかになってダイエーと王の立場を守るためにリーグ一丸となってダイエーを優勝させて一安心だし、サッカーもワールドカップ出場決定戦は韓国に金払って試合買ってるしね。
「健全な体に健全な魂が云々」の箴言は文末は「魂が宿ればいいけどそうならない」というのがホントらしいね。
まあ、テレビやマスコミは神聖視してドラマに仕立てないと盛り上がらないからショーがないよね。

ところざわ

ルミ子と賢也&筑紫と馬場さん

賢也とルミ子の「攻防」について、確かに、賢也がルミ子に渡したお金をずっと貯めていて、最後にそっくりそのまま、返すというのはロマンチックなシナリオですね。
で、多分、ルミ子がこの「攻防」に逆転勝ちするにはそうするしかないかも。
先日、ルミ子の母親が、特ダネで独占インタビューやっていて、ルミ子の出した条件がキツイのはそれほど、ルミ子が賢也を愛していて、賢也に帰ってきて欲しいからだ。とルミ子を擁護していたそうですが、だったら、逆に1億円あげるから、帰ってきてと言うべきじゃないかと思いました。
さて、筑紫哲也の知ったかぶりの件ですが、僕が他の人に比べて少しは知識があるのはプロレスというジャンルだと自負しているんですが、だからこそ、ニュース番組の真のクォリティを計るのに、そのニュース番組がプロレスを扱った時の情報の正確さとか、視点のするどさというのを使います。もしも、その記事がいいかげんな物なら、それから類推して他のニュースだって結構、アレだなと思うわけです。
そこで、筑紫哲也のニュース23を僕が信用しないのは、昨年1月末に馬場さんが亡くなったときの23のいい加減な報道に根拠を置いています。そこには、若き日の馬場の姿として、台湾出身の相撲上がりの羅生門というレスラー(このレスラーも巨人症で確かに馬場さんに似ている)が堂々と出ていました。あの時は悲しみを通り越しました。
また、筑紫哲也じゃないけど、日刊スポーツのコラムで、この羅生門が出演していた黒沢監督の「用心棒」を誉め、黒沢の目にかなった馬場という紹介の仕方をしていたのには、黙っていられず、その著者に思わずメールを送ってしまいました。その時は一応、返事が来たんですが、悪びれる様子もなく、「その件はすでに訂正しました。」という文面で、ますます腹がたちました。

まさむね。