売れたら勝ちという論理-2

売れたら勝ちという論理が私が好きな理由は、数字と言う絶対値だからからもしれません

たとえば、私はデザイン系の学校出身だったりするのですが、そこのコンサバな芸術の論理だったりすると大衆に迎合したり、売れ線を狙ったりする行為はさげずまれたりします。

でも、実際は自己満足の芸術は何の価値や評価もえらないわけで、大衆的な芸術なら売れなきゃ行けないしいま、芸術的と言われるようなハイソなモノなら評論家やその路の大家に評価されるもので無ければ意味無いわけです。
その論理も、今や手が混んでいて例えば一部の人に受け入れるようにしたりしてブームが延命するように、いろいろ演出するわけです
昔は芸術家は王様に迎合していたわけで、今は大衆が王様なわけです。

マスコミやテレビに嫌悪感あるのは正義とか知る権利とか真実とか、言っておきながら
実は自分達は利権にまみれて扇動的に動いているからでしょう

いろいろな常識や倫理とか風習とか、社会には縛りがあるけど、いまは、社会も村とか小集団に依存してしか生きて行けないわけじゃ無いから
それを乗り越えてしまったら、ヤッタもん勝ちなのかもしれません。
造反有利ですね

以前のログの整理もおねがいします

ところざわ

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