売れたもの勝ちという論理

売れたら勝ちという論理は、多数決が善という民主主義のルールと通底していて、「まだまし」なものなのでしょう。

僕も売れたら勝ちという論理と作品自体は私のため
にあるはずだという論理の間を行ったり来たりして
いるような気がします。あるいいは、もっとずるく、使い分けているような気がします。

先日、読売新聞で、最近の事件を例に引いて、報道が動機を探る事に偏るあまり、人々に受け入れられやすい動機探しに奔走していく事の無責任さを指摘する論説が出ていて、その通りだと思いつつ、そんな状況はしかたなく、でも嫌でしょうがない気もしました。

嫌と言えば、今年の僕のキーワードのような言葉でしたが、先日また、嫌について考えさせられるテレビ番組がありました。

フジテレビの「しらばか」という番組で、あるイラストレータが夫の名字が嫌で離婚したんだけど、離婚の理由はそれだけで、子供もいて、一緒に楽しく暮らしているという話が出て、それに対して、出演者は一斉に、それはおかしいと、責めるんですね。「子供はどうなるんだ」とか「やっぱり結婚と同棲
は心構えが違うんだ」とか「これが日本のルールだ」とかいろいろと言うんですが、結局は論破できず、その人がよければそれでいいという事になってしまったんですね。

僕もそのイラストレータを見ていて、もの凄く不快な感じがしてのですが、その不快の理由が全く解明出来なかった。
新しいものは常に保守的な人には不快なものとして感じられるんでしょうか。例えば、それはビートルズの登場みたいに。

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ところで、はやくも明日、引越になってしまいました。
なるべく早くマシンを使えるようになります。

まさむね

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