橋下と東国原の発言が一線を越えた

最近、政治家の発言が「ある一線を越えたな」と思わせるようねシーンを度々テレビで目撃する。

例えば、今月の23日、財政再建を進める橋下大阪知事と私学助成削減に反対する現役私立高校生との意見交換会があってその時の映像が広く報道された。
それぞれの窮状を涙を交えながら訴える高校生達。一人の女子高校生が言う。
「ちゃんと税金取っているなら、教育、医療、福祉に使うべきです。アメリカ軍とかに使ってる金の余裕があるのなら、ちゃんとこっち(教育)に金を回すべきです」
それに対して、橋下知事は「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」とやり返した。

市民からの陳情に対して、「あなたが政治家になってやってください」と返した政治家の発言というのは今まであったのだろうか。

また、先日、「TVタックル」でこんな場面があった。
「800兆円もの借金を作ったのは一体、誰の責任なんだよ。」と叫ぶ大竹まこと。
それに対して、東国原宮崎県知事が応える。
「それは、そういう政策をする政治家を選んだ国民の責任です。だから800兆円の借金は国民のものです。」
こういう言い方をする評論家は今まで見た事はあった。しかし、政治家自らが、このような発言をしたのは始めて聞いた。

確かに、橋下さんも東国原さんも、特定の団体からではなく、圧倒的な選挙民からの支持を背景に知事になった2人だ。だから、思い切った事も言えるのだろう。
しかし、一昔前だったら「それを言っちゃあ お終いよ。」((C)渥美清)的な発言として相当反発を受けたに違いない。
しかし、問題発言とされるような気配はそれほど無いように思われる。

今までの政治家は常に弱者に対して、同情するという姿勢をとり続けてきた。
しかし、それに対して、僕たちは、どこか欺瞞の匂いを感じてきたことも確かだ。
だから、こういった正論を堂々と主張するという、新しい感覚の発言は歓迎すべきことなのかもしれない。
言いたい事を言い合える土壌っていうのが本来の民主主義の前提だからね。

でも、それは同時に、”同情への訴えかけ”という、今まで弱者(とされてきた人々)の武器をも無化させかねないって事に関してどうなんだろうか。
恐らく、江戸時代の昔から、庶民は”同情への訴えかけ”を一つの手段として権力側に対して、要求を突きつけてきた。
それは、時に、作法(手続き)としての陳情だったと思うけど、物事を決めていく一つのプロセスとして、とっても日本的に根付いていたんじゃないかな。
下の者がお上に何かを訴えるときは”涙流して”するっていう作法、それを見てお上は情状酌量して、温情を示して納得点を見つけるっていう作法ね。

ところが、この作法が段々崩れてきたんだと思う。恐らく、その一例が、橋下さんや東国原さんの発言の背景にあるじゃないかな。

これがいい事なのか、悪い事なのか、簡単には言えないが、政治家の発言は今後ますますこの流れに沿ったものとなっていく事だけは予想できる。

まさむね

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