井桁紋 -地から湧き出る命の水の不思議な力の象徴- 乃木希典、井上靖、井深大...


人間のとって最も大事なものは生命の源・水である。
古来、人々は、その水が地中から湧き出る泉、そして井戸をどれだけありがたがったことであろうか。
この井桁紋、井筒紋は、そんな日本人の地から湧き出る水の神秘さと感謝を紋所にしたものである。

また、井戸は冥土との通り道との俗信もあった。小野篁が井戸から地獄の閻魔大王の元に通っていたという伝説や、能楽の「井筒」の物語もそんな中の一挿話である。

井桁紋と井筒紋は類似しているが、通常、井桁紋は菱形、井筒紋は正方形のものを指す。

全国で27位の分布。特に鹿児島県(15位)、和歌山県(18位)、群馬県(19位)で多く見られる。

使用している有名人は以下。


住友政友 。1585年12月31日 – 1652年、 商人。
越前国丸岡出身。住友政行の次男。住友財閥の祖。平家の末裔といわれている。京都では富士屋嘉休と名乗り薬舗・書林の店「富士屋」を開いた。商人の心得を説いた『文殊院旨意書』を残し、その教えは今も住友精神の基礎となっている。


三井高利 。1622年 – 1694年5月29日、 商人。
伊勢国松坂出身。六角氏の旧臣・三井高安の長男・高俊が武士を捨て質屋と造り酒屋を開業。姓は藤原。三井家の基礎を築き江戸本町に呉服店を開業。屋号を越後屋(後の三越)とし、後に両替商も開業。家紋は井筒に三の字。四つ目結紋も使用。


小林平八郎 。? – 1703年1月31日、 武士。
元は米沢藩上杉家の家臣だったという伝承がある。吉良義央に遺恨のある大石良雄ら元赤穂藩の浪人(赤穂浪士)による吉良邸討ち入りに巻き込まれ討ち死にした。家紋は六つ追い重ね井筒紋。豊島区巣鴨の慈眼寺の墓所にて確認。


北村季吟 。1625年1月19日 – 1705年8月4日、 俳人、和学者。
近江国野洲郡北村出身。父の宗円を継いで医学を修めた。俳諧は貞門派に属し山岡元隣、松尾芭蕉、山口素堂など優れた門人を輩出。『土佐日記抄』『伊勢物語拾穂抄』『源氏物語湖月抄』などの注釈書も著す。家紋の丸に平井筒紋は正慶寺にて撮影。


安井息軒 。1799年2月5日 – 1876年9月23日、 儒学者。
日向国宮崎郡清武郷出身。飫肥藩士安井滄洲の次男。読みは、やすいそっけん。その業績は江戸期儒学の集大成と評価される。門下からは谷干城陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。家紋は三つ盛鞠挟みに井桁紋。


江川英龍 。1801年6月23日 – 1855年3月4日、 幕臣。
伊豆国韮山出身。伊豆韮山代官・江川英毅の次男。通称は江川太郎左衛門。読みは、えがわひでたつ。洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させた。家紋は井桁に十六葉菊紋。


三輪田米山 。1821年2月12日 – 1908年11月3日、 書家。
伊予国久米郡出身。日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男。弟・三輪田元綱は足利三代木像梟首事件の犯人。義理の妹・三輪田眞佐子は三輪田女学校(現三輪田学園中学校・高等学校)の創立者。家紋は井桁に木瓜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


並木胤繁 。1825年 – 1871年、 剣豪。
武州田無村出身。千葉周作の北辰一刀流で免許皆伝する。一般的に、多摩地域は天然理心流の地盤といわれているが田無村は北辰一刀流の流れが根付いていたという。画像は門下生が建てた田無芝久保墓地の墓所にて撮影。家紋は井桁に花菱紋。


井上源三郎 。1829年4月4日 – 1868年1月29日、 新選組の隊士。
武蔵国日野宿北原出身。八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男。土方歳三近藤勇の兄弟弟子。新選組の六番隊組長を務める。鳥羽・伏見の戦いで敵の銃弾を腹部に受けて戦死。家紋は丸に井の字紋と丸に平井筒紋。家紋画像は日野市の宝泉寺にて撮影。


新井忠雄 。1835年3月5日 – 1891年2月15日、 新選組隊士。
陸奥国磐城平藩出身。母方の新井家を継ぐ。伊東甲子太郎らと共に新選組を離脱して御陵衛士を結成。油小路事件で御陵衛士が崩壊すると、薩摩藩邸に逃げ込んで、戊辰戦争では新政府軍に所属した。家紋は丸に井桁紋。画像は谷中霊園にて撮影。


真木長義 。1836年6月28日 – 1917年3月3日、 海軍軍人。
肥前国出身。佐賀藩士・藩医200石、真木長澄の長男。長崎海軍伝習所で学び、「電流」艦長として戊辰戦争に従軍。海軍中将、海軍機関学校長、宮中顧問官、伏見宮別当、貴族院議員を務めた。家紋は井桁に蔦紋。青山霊園の墓所にて撮影。


中島登 。1838年2月25日 – 1887年4月2日、 新選組隊士。
武州多摩郡小田野出身。農家の長男。土方歳三ら数名の新選組隊士らと共に、大鳥圭介、仙台で更に榎本武揚らと合流して蝦夷地へ渡る。箱館戦争では弁天台場第2分隊嚮導役となった。家紋の丸に組み井桁紋はブログ「一筆啓上」様の墓所家紋画像より。


今井信郎 。1841年11月14日 – 1919年6月25日、 武士。
江戸本郷出身。幕府講武所の柔術師範・窪田鎮勝からは扱心流体術を、榊原鍵吉からは直心影流剣術を習い、講武所の剣術師範代を勤めた。京都見廻組に参加し、近江屋事件で暗躍。坂本龍馬暗殺の犯人は自分であると証言。家紋の丸に平井筒紋は寂円寺にて撮影。


井上勝 。1843年8月25日 – 1910年8月2日、 官僚。
長州藩士・井上勝行の3男として萩城下に生まれる。脱藩後に英国に密航し、ロンドンに留学。帰国後は鉄道庁長官として鉄道事業の発展に尽力。日本の鉄道の父と呼ばれる。家紋は丸に隅立て井桁紋。画像は品川東海寺大山墓地。


乃木希典 。1849年12月25日 – 1912年9月13日、 陸軍軍人。
江戸出身。長府藩の藩士、乃木希次の長男として上屋敷に出生。東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ聖将と呼ばれた。最終階級は陸軍大将。明治天皇の後を追って殉死。家紋は四つ持ち合い井桁、五瓜、市松四つ目結。青山霊園の墓所にて撮影。


矢田部良吉 。1851年10月13日 – 1899年8月8日、 植物学者、詩人。
伊豆国田方郡韮山出身。読みは、やたべりょうきち。外山正一井上哲次郎とともに『新体詩抄』を上梓した。 東京大学初代植物学教授。東京植物学会を設立、ローマ字論者でもあった。家紋の井桁に横木瓜紋は谷中霊園の墓所にて撮影。


松旭斎天一 。1853年 – 1912年6月14日、 奇術師。
越前国出身。福井藩陪臣・牧野海平の長男。本名は牧野八之助。後に服部松旭。読みは、しょうきょくさいてんいち。大仕掛けな舞台奇術を志し浅草の文楽座で成功し大道芸の手品を近代的な舞台奇術に発展させた。家紋は井桁紋。画像は霊巌寺にて。


藤本太郎 。1854年10月 – 1940年9月7日、 陸軍軍人。
高知県高知市春野町西分出身。家は士族。読みは、ふじもとたろう。西南戦争、日清戦争、日露戦争に出征。凱旋後 戦功により勲二等功三級に叙せらる。最終階級は陸軍中将。家紋丸に井桁紋は雑司が谷霊園の墓所にて撮影。


湯本武比古 。1856年1月8日 – 1925年9月27日、 教育学者。
信濃国下高井郡科野村出身。文部省にて「読書入門」を編集。東宮御用掛、学習院・東京高師(東京教育大)教授などを務める。「教育時論」を主幹。著書・訳書などによってヘルバルト教育学普及の一翼を担う。家紋は丸に井桁紋。画像は多磨霊園にて撮影。


伊地知季珍 。1857年4月20日 – 1935年4月7日、 海軍軍人。
薩摩藩出身。父は伊地徳四郎。読みは、いじちすえたか。「扶桑」砲術長として日清戦争に出征。「出雲」艦長に着任し日露戦争に出征。海軍中将、艦政本部長、海軍将官会議議員等を歴任。家紋は丸に隅立て組み井筒紋。青山霊園の墓所にて撮影。


弘田長 。1859年7月14日 – 1928年11月27日、 医師
土佐国幡多郡中村町出身。読みは、ひろたつかさ。土佐藩の貢進生に選ばれて上京。東京帝国大学医科大学教授。東京大学小児学教室の初代教授。幼少時の昭和天皇、秩父宮雍仁親王の侍医を務めた。家紋は五瓜に井桁紋。画像は雑司が谷霊園にて撮影。


伊地知彦次郎 。1860年1月6日 – 1912年1月4日、 海軍軍人。
薩摩藩出身。薩摩藩士・伊地知季太の二男として生まれる。日露戦争では、連合艦隊旗艦「三笠」艦長として従軍。NHKドラマ「坂の上の雲」では、ダンカンが演じた。最終階級は海軍中将。家紋は丸に組み井筒紋。青山霊園の墓所にて撮影。


金井延 。1865年2月26日 – 1933年8月13日、 法学者。
静岡県出身。読みは、かないのぶる。国家による労働者の保護および金銀複本位制度などの提唱を行う。富井政章寺尾亨等と、日露戦争開戦に際し、強硬に主戦論を主張したことで知られる「東大七博士」のひとり。家紋の井桁に鬼蔦紋は青山霊園にて撮影。


石井菊次郎 。1866年4月24日 – 1945年5月25日、 外交官。
上総国長柄郡出身。旧姓は大和久。石井家の養子となる。第2次大隈内閣で外務大臣として、日露協約の締結に尽力。アメリカ合衆国特派大使として石井・ランシング協定を結ぶ。家紋は丸に平井筒紋。画像は青山霊園の石井家墓所にて。


床次竹二郎 。1867年1月6日 – 1935年9月8日、 政治家。
薩摩国出身。読みは、とこなみたけじろう。藩士の家柄。内務大臣、鉄道大臣、逓信大臣、政友本党総裁を歴任。万年首相候補と呼ばれたが、政権獲得の夢を遂に果たせなかった。家紋は切り竹井桁紋。画像は多磨霊園にて撮影。


米山梅吉 。1868年2月26日 – 1946年4月28日、 銀行家。
江戸出身。読みは、よねやまうめきち。井上馨の紹介で三井銀行に入社。1920年に日本初のロータリークラブである「東京ロータリークラブ」を設立し、初代会長に就任。紺綬褒章受章、勲四等瑞宝章受章。家紋の丸に井桁紋は、米山梅吉記念館に教えて頂きました。


伊井蓉峰 。1871年9月30日 – 1932年8月15日、 俳優。
東京市日本橋区出身。家業は写真家。本名・伊井申三郎。読みは、いいようほう。川上音二郎一座参加した後男女合同改良演劇済美館を興した。新派劇の黎明期を支え新派の大統領と呼ばれた。家紋は丸に三つ井桁紋。画像は鶴見・総持寺にて。


酒井勝軍 。1874年3月15日 – 1940年7月6日、 オカルティスト。
山形県上山町出身。読みは、さかいかつとき。幼名は山下勇吉。後に酒井姓を継ぐ。日ユ同祖論を唱え、竹内文書の存在を主張する一方で、飛騨高山でピラミッド上野平を発見し『太古日本のピラミッド』を出版。丸に平井筒紋。画像は多磨霊園にて撮影。


中村吉蔵 。1877年5月15日 – 1941年12月24日、 劇作家。
島根県出身。イプセンの影響を受け春雨と号して新社会劇団を主宰の後、藝術座の島村抱月に招かれて戯曲「剃刀」などを書く。1920年に「井伊大老の死」を歌舞伎座で上演。歴史劇を書くようになる。家紋は七宝に井桁紋。画像は豪徳寺にて撮影。


井上範 。1877年8月18日 – 1932年6月24日、 土木工学者。
東京市出身。本名読みは、いのうえはん。40年に大蔵省に入り、大蔵技師、内務技師を経て東京帝大の教授となる。その後、福岡県・若松港、兵庫県・神戸港、神奈川県・横浜港などの築港、改修を手がけた。家紋は井桁紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


實川延若(2代) 。1877年12月11日 – 1951年2月22日、 歌舞伎役者。
大阪府出身。本名は天星庄右衛門。読みは、じつかわえんじゃく。1950年に東京劇場で演じた『山門』の石川五右衛門は歌舞伎史上に残る名舞台と言われた。家紋は重ね井桁紋。替え紋は五つ雁金。画像は地下鉄・田原町駅のレリーフ(花形井筒紋)。


伊藤祐民 。1878年5月26日 – 1940年1月25日、 実業家。
愛知県名古屋市出身。伊藤次郎左衞門家14代当主・伊藤次郎左衞門祐昌の四男。読みは、いとうすけたみ。全店舗の商号を松坂屋に統一。松坂屋を株式会社化し、初代社長に就任。家紋は丸に井桁に藤の字紋。画像は、元浅草・最尊寺にて撮影。


白井喬二 。1889年9月1日 – 1980年11月9日、 時代小説作家。
神奈川県横浜市出身。旧鳥取藩士で警察官吏の父・孝道の長男。本名は井上義道。「怪建築家十二段返し」でデビュー。『神変呉越草紙』『新選組』で大衆文学の草分け的存在となる。『富士に立つ影』はベストセラー。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


井上成美 。1889年12月9日 – 1975年12月15日、 海軍軍人。
宮城県仙台市出身。読みは、いのうえしげよし。いわゆる条約派に属し、米内光政山本五十六らと共に日独伊三国軍事同盟、日米開戦に強硬に反対した。最後の海軍大将として知られている。家紋は井桁紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


花村四郎 。1891年8月30日 – 1963年7月1日、 政治家。
長野県東筑摩郡川手村出身。弁護士。「万朝報(よろずちょうほう)」主筆をつとめた後、政治家に転身。鳩山派で、日本自由党の結成に参加。衆議院法務委員長、第1・第2次鳩山内閣の法相となる。家紋は井桁に桔梗紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


永野重雄 。1900年7月15日 – 1984年5月4日、 実業家。
島根県松江市出身。読みは、ながのしげお。新日本製鐵会長などを歴任し、日本財界の雄として活躍した。戦後日本を代表する経済人の一人。経済同友会代表幹事、経団連・日経連各顧問を務めた。家紋は井桁に花菱紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


矢田津世子 。1907年6月19日 – 1944年3月14日、 小説家。
秋田県南秋田郡五城目町出身。本名は矢田ツセ。はじめモダン派であったが純文学に転進し女流作家として人気を集めた。坂口安吾の恋人とされる。代表作は『神楽坂』『茶粥の記』。家紋は丸に組み井桁紋。画像は東本願寺田無墓地にて撮影。


前田山英五郎 。1914年5月4日 – 1971年8月17日、 大相撲の力士。
愛媛県西宇和郡出身。本名は萩森金松。大関・羽黒山、横綱・双葉山を相次いで張り手戦法で下し前田山の張り手旋風と呼ばれた。第39代横綱となるが横綱通算勝率は5割未満だった。引退後は横綱・朝潮(3代目)、大関・前の山を育てる。画像は総持寺にて。


井上靖 。1907年5月6日 – 1991年1月29日、 小説家、詩人。
北海道旭川町出身。軍医・井上隼雄の長男。井上家は静岡県伊豆湯ヶ島で代々続く医家。1950年 『闘牛』で芥川賞を受賞。1976年に文化勲章受章。代表作『天平の甍』『おろしや国酔夢譚』『風林火山』等。家紋は丸に隅立て井筒紋。


井深大 。1908年4月11日 – 1997年12月19日、 実業家。
栃木県日光町出身。飯盛山で自刃した白虎隊士・井深茂太郎と同じ一族。盛田昭夫と共にソニーの創業者の一人。戦後日本を代表する起業家として世界的にも有名。トランジスタラジオトリニトロンテレビを世に送り出す。家紋は丸に隅立て組み井筒紋。


田中克己 。1911年8月31日 – 1992年1月15日、 詩人。
大阪府出身。堀辰雄の推挙により詩誌『四季』(第2次)同人となる。『日本浪曼派』の文化圏にあって伊東静雄のライバルと目された。博識な語学と癇癪が持ち前であり、詩人とは別に東洋史学者としての顔をもつ。家紋の井桁紋は上川霊園の墓所写真にて確認。


宮内寒弥 。1912年2月18日 – 1983年3月5日、 小説家。
岡山県出身。本名は、池上子郎。読みは、みやうちかんや。1908年の七里ヶ浜遭難事件のことを描いた『七里ヶ浜』で平林たい子文学賞を受賞したことで一躍話題となった。家紋は井桁に五七桐紋。画像は大庭台霊園の墓所にて撮影。


山崎富栄 。1919年9月24日 – 1948年6月13日、 美容師。
東京府東京市本郷区出身。父・山崎晴弘は日本最初の美容学校(東京婦人美髪美容学校)の設立者。作家・太宰治の愛人の一人であり、最晩年の太宰の看護や執筆活動の介助を続け、共に入水自殺を遂げた。家紋は井桁に根笹紋。画像は永泉寺にて撮影。


楠本憲吉 。1921年12月19日 – 1988年12月17日、 俳人。
大阪府出身。慶應義塾大学法時代に「慶大俳句」を組織。のち草城の「青玄」無鑑査同人となる。俳誌「野の会」を主宰、俳句作家連盟会長、現代俳句協会顧問、東横学園女子短期大学客員教授を歴任。家紋は井桁紋。画像は祐天寺の墓所にて撮影。


ジミー竹内 。1930年6月29日 – 2009年12月29日、 ジャズ・ドラマー。
東京府出身。本名は竹内和三郎。渡辺晋とシックスジョーズなどを渡り歩き、ジョージ川口、白木秀雄とともに三大ドラマーを称された。また、「戦後の日本ジャズ界を代表するドラマー」とも評されている。家紋の平井桁に橘紋は、池上本門寺の墓所にて撮影。


井尻千男 。1938年8月2日 – 2015年6月3日、 評論家。
山梨県出身。読みは、いじりかずお。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)。新しい歴史教科書をつくる会顧問。保守派の論客として幅広く活躍している。家紋の丸に井桁紋は2013年新春の対談番組(チャンネル桜)にて確認。


松任谷由実 。1954年1月19日 – 、 ミュージシャン。
東京都八王子市出身。老舗の呉服店の次女として誕生。夫はアレンジャー・松任谷正隆。ニューミュージックを代表する女性シンガーソングライター。代表作は「紙ヒコーキ」「卒業写真」など多数。家紋は平井筒にヨの字紋。荒井呉服店の看板より類推。


新井康弘 。1956年12月5日 -、 俳優。
東京都出身。アイドルグループ・ずうとるびの一員として人気を誇る。現在では、テレビの2時間ドラマや舞台を中心に、実力派脇役俳優として活躍している。家紋の丸に井桁紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


マディ上原 。1957年 – 2009年12月22日、 特殊漫画家。
東京都出身。1981年、谷岡ヤスジに師事。1982年、漫画家として独立。エロ漫画誌、『ガロ』等に不条理四コマなどを発表。漫画家・原律子は元妻。また、根本敬との漫画ユニット「お岩」でも作品を発表。家紋は井桁に木瓜紋。


くわばたりえ 。1976年3月24日 -、 お笑い芸人。
大阪府大阪市淀川区出身。本名は、刈込理恵(旧姓・桑波田)。ホリプロ所属。小原正子とのコンビ「クワバタオハラ」を結成。刈込家の家紋は丸に井桁菱紋。自身のブログ記事にて確認。また、桑波田家の家紋は丸に五瓜に唐花紋。自身のブログ記事にて確認。


勢翔太 。1986年10月11日 – 、 大相撲力士。
大阪府交野市出身。本名は、東口翔太。身長194cm、体重169kg。血液型はB型。18歳の時に伊勢ノ海部屋に入門。新入は2012年3月場所。最高位は東小結(2016年1月場所)。家紋の井桁に立ち沢瀉紋は、十両昇進時の化粧まわしから判断。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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