「銭ゲバ」は提供企業のCMも含めて楽しむドラマである

「銭ゲバ」第4回を見た。

ドラマの内容に関しては、細かい点で首を傾げたくある点は確かにある。
例えば、ざっと思いつくだけでも、以下の点だ。

主人公の蒲郡風太郎(松山ケンイチ)は既に、何人も殺人を犯していて、警察も彼を疑っているのだが、捜査が全く進展しない。
前回の放送で三國みどり(ミムラ)を襲った男が、あっさり追っ手から逃げ切る。
風太郎の正体を見破った白川(田中圭)を殺して埋めた死体を女中が見つけるのだが、黙っている。

まぁ、元々、原作は漫画なので、そのくらいは許容範囲とすべきなのだろう。
風太郎(松山ケンイチ)の迫力のある演技、風太郎の父親(椎名桔平)の会話のセリフの妙味、風太郎が三國家から連絡を待つ間のタイムカードのシーンを連続して流すジリジリした演出など、欠点を補って余りあるほど、見るべき所が多いからだ。

ただ、「銭ゲバ」が決定的に新しいのは、番組の前後中に流されるCM、クレジットがどのように変化するのかという点も面白いという点である。
それは、このドラマが、非常に微妙な内容だからだ。
簡単に言えば、「銭ゲバ」では、ある大企業の工場で働く派遣社員が社長家を乗っ取るという内容である。
いわゆる「派遣切り」が問題になっている昨今、ドラマの中では派遣労働の過酷さが映され、その間に、派遣切りを報道されている企業のCMが流れる。
視聴者はどう思うのか。
企業の広報としては最も気を遣わなければならないのは当然と言えば、当然である。。
何億円もスポンサー料を出して番組を提供し、それが逆パブにもなりかねないのだから。

しかし、よく考えれば、最近はHD録画、CMをスキップして番組を楽しむユーザーが多い中、逆にCMの方を注目させるという手法は、ある意味では画期的な方法なのかもしれない。

さて、今までの4回の放送のそのあたりのCMの入り方を見てみよう。
特に昨年末、非正規労働者の契約解除、解雇を発表した、スズキ(960人予定)とCANON(大分で1077人予定)の動向に注目だ。
なにぶん、僕の記憶に頼っているところもあるので、違っている可能性もあることはご了解ください。

第1回目の放送では、クレジットはスズキとコカコーラ。
また、ドラマに挿入されるCMにはスズキもあった。
さらに、CANONは番組後にだけCMを流す。

2回目の放送では、スズキのクレジットはなくなる。コカコーラのみ。
ただし、ドラマに挿入されるCMとしては出稿。
また、docomoのCMもドラマの間にあった。
CANONの番組後のCMは継続。

3回目の放送では、前回同様、クレジットはコカコーラのみ。
スズキのCMは番組のはじめにだけ流れ、ドラマに挿入されるCMからは姿を消す。
ドラマに挿入されるCMはコカコーラと公共広告機構だけになる。
CANON、docomoの番組後のCMは無くなる。

4回目の放送でも、前々回同様、クレジットはコカコーラのみ。
スズキのCMは番組の初めだけに放送(明治製菓のCMをはさんで4回、それぞれは別の車のCM)。
前回同様、ドラマに挿入されるCMは、コカコーラと公共広告機構のみ。
番組後のCMでは、docomoが復活。

また、ドラマ内の刑事が乗っていた自動車は、スズキ製の車であった。
さらに、3回目の放送までは、風太郎が派遣の契約を解除される場面、さらに、派遣切りに対する反対運動などの場面もあったが、4回目には、そういった露骨な場面は見られなかった。

ちなみに、Wikの「銭ゲバ」のページには、ちょっと前まで、提供企業に関する記述があったが、現在は見当たらない。

今後、ますます楽しみである。

まさむね

風太郎の野望は新しい時代の価値観となりうるか

銭ゲバの第2話を見た。

三國造船という大きな造船会社で派遣労働者として働く、主人公の蒲郡風太郎(松山ケンイチ)。
長女の緑(ミムラ)の運転する自動車にわざと当たり、キッカケをつくって、次女の茜(木南晴夏)の話し相手として、社長の家に寄宿することになる。
そして、三國造船を乗っ取ろうという野望を抱くのであった。

社会学者の山田昌弘氏は、現代における最も根本的な格差は、経済格差や教育格差ではなく、希望格差だと言っている。
生まれた環境によって、一人一人の心の中に生じる希望がすでに格差づけられているということだが、それは逆に言えば、ハングリー精神という物語が死滅したという事なのだろうか。
だとしたら、風太郎が持つ価値観(野望=夢)そのものが現代人にとって死滅しかかっているという事なのだろうか。

しかし、そんな時代だからこそ、風太郎の生き方はインパクトを与えるとも言えないだろうか。

前回のエントリーにおいて、風太郎の母親が語る「生きることは苦しくても、頑張っていれば、いつか幸せになれる」という価値観(人生観)に対して、現代的な価値観を提示できるかどうかというのが、このドラマの見所であるというような話をしたが、答えは早くも見えてきた。
それは、悪を引き受けてでも、死に物狂いでのし上がろうという風太郎の野望エネルギー(=ハングリー精神)である。

昨年来、「貧しくても一生懸命に正直に生きよう」という価値観は、「貧乏太郎」や「イノセントラブ」など、多くのドラマでも見られたが、それらの登場人物はあくまで無欲だった。

しかし、風太郎は違う。

「貧しいからこそ欲望を持とう」というメッセージは、70年代初頭から一回りして、今、新鮮だ。
このドラマが今後、どんどん視聴率を上げて行き、世の中にインパクトを残すまでになってほしい。

そういえば、派遣切り企業(昨年末600人)のスズキは、今後も、派遣労働者が主役のこのドラマを提供し続けるのだろうか。
しかも、前回には、交通事故(わざと当たる)という自動車メーカーとしてはかなり微妙なシーンも許容していた。
この太っ腹(あるいは無頓着)はどこまで続くのか。それもまた興味深い。

まさむね