
釘抜きは打ち込んだ釘を抜くための工具であるが、家紋として採用されたのはその語呂。
「九城を抜く」すなわち、九つの城を陥落させるという戦勝の縁起もかついでいるらしい。
引き両紋もそうだが、単純な絵柄が目立つという事で好まれたのかも。
いざという時に戦場でも描けるし。
全国分布では27位。
福井県で21位、新潟県で22位、和歌山県で23位といったところが多い。

菅沼定盈 。1542年 – 1604年8月13日、 武将、大名。
野田菅沼氏3代目当主。上野阿保藩主。読みは、すがぬまさだみつ。もともとは
今川家家臣であったが、桶狭間の戦い後は、三河国の松平氏(後の
徳川氏)に帰属した。関ヶ原の戦いでは江戸城留守居役を務めた。家紋は六つ釘抜紋。

堀秀政 。1553年 – 1590年6月28日、 武将、大名。
美濃国出身。堀秀重の長男。読みは、ほりひでまさ。13歳の若さで
織田信長の小姓、側近として取り立てられた。雑賀討伐戦では
信長本陣から離れ、
佐久間信盛、
羽柴秀吉らとともに一隊を率いる。本能寺の変以降は、
秀吉に従う。画像は墓所にて。

田中吉政 。1548年 – 1609年3月23日、 武将、大名。
近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・
八幡、三河国・
岡崎、筑後国・
柳河等で城下町を創り、その都市設計は現代でも高く評価されている。家紋は左三巴と釘抜き。

母里友信 。1556年 – 1615年7月1日、 武将。
播磨の国人であり、現在の兵庫県加古郡稲美町母里が本貫とされる。読みは、もりとものぶ。
黒田二十四騎の中でも特に重用された
黒田八虎の一人。「
黒田節」に謡われる名槍「日本号」を
福島正則から呑み獲った逸話でも知られる。家紋は釘抜き紋。

山家公頼 。1579年 – 1620年7月29日、 武士。
出羽米沢出身。読みは、やんべきみより。
伊達政宗の庶長子・秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行として同行。苛烈な藩政施策が藩主や他家臣との対立を招き、襲撃を受け死亡。死後、和霊神社(画像)が創建された。家紋は釘抜紋と抱き浪紋。

秀ノ山雷五郎 。1808年 – 1862年6月16日、 大相撲力士。
陸奥国本吉郡出身。本名は橋本辰五郎。読みは、ひでのやまらいごろう。
第9代横綱。歴代横綱の中では一番低い身長(163cm)。39歳で横綱推挙。入門から横綱昇進まで19年かかった。東京都江東区の普門院に墓がある。家紋は細輪に違い釘抜き紋。

黒川良安 。1817年3月21日 – 1890年9月28日、 蘭学医、蘭学者。
越中国新川郡出身。読みは、くろかわまさやす。金沢藩医学館(現
金沢大学医学部の源流諸校の1つ)の基となる金沢種痘所を創る。
佐久間象山に蘭学を教授したことでも知られる。家紋は五つ鐶に反り釘抜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

跡見花蹊 。1840年5月10日 – 1926年1月10日、 教育者。
摂津国西成郡木津村出身。読みは、あとみかけい。東京・神田に跡見女学校を開校。これが後の
跡見学園となる。書家としても活躍。跡見流といわれる書風を築き上げた。跡見家の家紋は重ね釘抜紋。文京区・光円寺の墓所には乱れ桐紋との合成紋がある。

江原素六 。1842年3月10日 – 1922年5月19日、 政治家。
江戸、角筈出身。幕府御家人の嫡子。読みは、えばらそろく。鳥羽・伏見の戦いでは、幕府側の指揮官として戦う。維新後は、自由民権運動に
板垣退助らと共に参加し、後年には立憲政友会の結成に尽力した。また、
麻布学園を創設。家紋は
丸に釘抜き紋。

山脇玄 。1849年3月3日 – 1925年10月7日、 司法官。
越前福井藩医の子。読みは、やまわきげん。ドイツに留学し帰国後、明治憲法の草案・起草に参画。法制局部長などを経て行政裁判所長官、貴族院議員となる。妻・山脇房子と共に
山脇学園を創設。家紋は丸に釘抜き紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

横山作次郎 。1864年 – 1912年9月23日、 柔道家。
江戸の鷺宮出身。
嘉納治五郎の講道館に入門し、
富田常次郎、
西郷四郎、山下義韶と共に「講道館四天王」と称された。得意技は「払腰」。また、
三船久蔵や前田光世の師匠としても知られる。家紋は丸に釘抜紋。画像は田端・大龍寺にて撮影。

澤柳政太郎 。1865年5月17日 – 1927年12月24日、 教育者。
信濃国松本城下出身。松本藩士・澤柳信任の長男。東北帝国大学初代総長、京都帝国大学総長(第5代)を歴任。いわゆる「沢柳事件」で京都大学を追われる。後に成城学校の校長、大正大学学長に就任。家紋は違い釘抜紋。画像は谷中霊園にて撮影。

南方熊楠 。1867年5月18日 – 1941年12月29日、 博物学者。
和歌山城下橋丁の金物商・雑賀屋の次男。読みは、みなかたくまぐす。
歩く百科事典と呼ばれその言動や性格が奇抜で人並み外れていたため数々の逸話を残す。粘菌学者としても知られる。主著『
十二支考』『南方随筆』。家紋は丸に釘抜き。

早速整爾 。1868年11月15日 – 1926年9月13日、 政治家。
広島県沼田郡出身。父は広島藩士中山源蔵。芸備日日新聞社主の早速勝三の養子となる。読みは、はやみせいじ。
加藤高明内閣の農相、
若槻禮次郎内閣の蔵相を務めた。死因は平将門の首塚の祟りとする説がある。家紋は違い釘抜き紋。墓所
写真にて確認。

谷口尚真 。1870年4月17日 – 1941年10月30日、 海軍軍人。
広島県広島市田中町出身。読みは、たにぐちなおみ。連合艦隊司令長官、軍令部長を歴任。海軍良識派を代表した提督と言われ、その謹厳な人柄から「海の
乃木」とも称された。最終階級は
海軍大将。家紋は丸に隅立ち釘抜紋。画像は青山霊園にて撮影。

横田千之助 。1870年9月17日 – 1925年2月4日、 政治家。
下野国出身。読みは、よこたせんのすけ。立憲政友会の結党に参加し、将来の内閣総理大臣にと期待された。第2次護憲運動時には憲政会や革新倶楽部と和解して護憲三派の結成に奔走。後に司法大臣を務める。家紋は丸に釘抜紋。画像は青山霊園にて撮影。

野村吉三郎 。1877年12月16日 – 1964年5月8日、 外交官。
和歌山県和歌山市出身。藩士の三男。後に野村家に養子に行く。読みは、のむらきちさぶろう。軍人としての最終階級は
海軍大将。阿部内閣の外務大臣、後に在米駐在武官として日米開戦回避に奔走。家紋は丸に隅立ち釘抜紋。画像は護国寺にて撮影。

小畑敏四郎 。1885年2月19日 – 1947年1月10日、 陸軍軍人。
高知県出身。男爵小畑美稲の三男。
皇道派の中心人物。妻は
元田肇の娘。
永田鉄山、
岡村寧次、とともに陸軍三羽烏の一人。最終階級は
陸軍中将。戦後、
東久邇宮内閣で国務大臣に就任。家紋は丸に重ね釘抜紋。「華族家系大成」にて確認。

藤村操 。1886年7月20日 – 1903年5月22日、 旧制一高の学生。
北海道出身。祖父の藤村政徳は盛岡藩士。日光の
華厳滝で自殺。当時の社会に大きな影響を与えた。また、当時、藤村のクラスで英語担当だった
夏目漱石の精神にも大きな打撃を与えた。家紋は六つ丁子に釘抜き紋。青山霊園の藤村家の墓所にて撮影。

柳宗悦 。1889年3月21日 – 1961年5月3日、 美術評論家。
東京府出身。読みは、やなぎむねよし。学習院在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え
民芸運動を起こす。東京市目黒区駒場に日本民芸館を設立。家紋は丸に釘抜紋。画像は小平霊園の墓所にて撮影。

邦枝完二 。1892年12月28日 – 1956年8月2日、 小説家。
東京市麹町区出身。読みは、くにえだかんじ。戦前は『お伝地獄』をはじめ江戸情緒豊かな官能美の世界を描く時代風俗小説家として知られる。戦後は『東京一代女』『千姫』等多くの佳作を発表。家紋は丸に隅立て釘抜き紋。画像は多磨霊園にて撮影。

ヘンリー大川 。1905年9月9日 – 1971年5月27日、 俳優。
埼玉県草加市出身。本名は、大川平八郎。草加宿開拓者の大川図書の子孫、大川家13代頭首の三男。渡米し、ハリウッド映画デビュー。帰国後、
成瀬巳喜男監督の作品に多数出演。代表出演作は『
戦場にかける橋』。家紋は丸に釘抜紋。東福寺にて撮影。

鶴彬 。1909年1月1日 – 1938年9月14日、 川柳作家。
石川県河北郡高松町に竹細工職人の子として生まれ、叔父・喜多弁太郎の養子となる。本名は喜多一二。読みは、つるあきら。プロレタリア文学の影響を受けた反戦的な川柳を多く残し治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監される。家紋は
丸に釘抜き紋。

中村元 。1912年11月28日 – 1999年10月10日、 印哲・仏教学者。
島根県松江市殿町出身。読みは、なかむらはじめ。国際的な仏教学の権威。西洋哲学にも幅広い知見を持ち東洋と西洋の超克を目指す。代表作は『ブッダのことば』『般若心経・金剛般若経』。家紋は丸に釘抜き紋と五三桐紋。画像は多磨霊園にて撮影。

伊藤雄之助 。1919年8月3日 – 1980年3月11日、 俳優。
浅草区東仲町出身。兄は二代目澤村宗之助。息子は俳優の伊藤高。父方の祖父は尾張藩に仕えた300石取りの武士の家柄。『少年諸君』で映画デビュー。『プーサン』『気違い部落』『ああ爆弾』などで主演をつとめる。家紋は丸に釘抜紋。

麻生太郎 。1940年9月20日 – 、 政治家。
福岡県飯塚市出身。総務大臣、外務大臣、自民党幹事長、
内閣総理大臣(第92代)を歴任。べらんめえ調の語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。家紋の違い釘抜き紋は麻生グループの社章(画像)にもなっている。

高橋信之 。1957年4月30日 – 、 出版プロデューサー。
出身は東京都大田区。本名は高橋信幸。学生時代にSFファン集団「宇宙軍」を設立。80年代にスタジオハードを創業。初めて「
コスプレ」という言葉を雑誌記事に使用。家紋は釘抜きに点だが、実家墓所には点が省略されているという。

内柴正人 。1978年6月17日 – 、 柔道家。
熊本県合志市出身。読みは、うちしばまさと。9歳の時から柔道をはじめる。旭化成所属。得意技は巴投げ。アテネ、北京両オリンピックで
金メダルを獲得する。北京五輪で優勝した時に、家族に声をかけた名シーンを残す。家紋は違い釘抜き紋。

音月桂 。1980年6月19日 – 、 女優。
埼玉県鴻巣市出身。本名は木村桂。読みは、おとづきけい。宝塚歌劇団元・雪組トップスターとして活躍。主な主演作品は『ノン ノン シュガー!!』『ロミオとジュリエット』『フットルース』『
JIN-仁–』等多数。家紋の丸に釘抜き紋は卒業時の
写真で確認。
ヘンリー大川の家紋は、染谷彰氏の撮影。
有名人の家紋索引
(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね






























































