
木瓜紋の中で特に、円を5つで割った外輪を持つ紋を五瓜、またその中に唐花がある紋を五瓜紋と称する。
この紋の意味は、基本的には木瓜紋と同じだが、輪の中にバランスがよく、別の紋が入れやすいので広まった。
全国では、19位の普及。
地域別では、福島県が7位、長崎県で8位というのが多いところ。
逆に、宮崎県ではベスト30以下。長野県で27位、高知県と鹿児島県では26位だ。
使用している有名人は以下。

大村純忠 。1533年 – 1587年6月23日、 大名。
実父は有馬晴純。肥前の大村純前の養嗣子となり家督を継ぐ。大村氏の先祖は藤原純友。キリスト教の宣教師から洗礼を受け
日本最初のキリシタン大名となった。家紋の大村瓜は池上本門寺にある旧大村藩主大村純煕の婿養子・大村純雄の墓所にて撮影。

織田信長 。1534年5月12日 – 1582年6月2日、 戦国武将。
尾張国出身。古渡城主・織田信秀の次男または三男。戦国時代から安土桃山時代にかけて、日本史に最大の影響を残した武将であり、戦国大名。重臣の一人・
明智光秀の裏切りに遭い、自刃に追い込まれた。画像は陣羽織に描かれた織田瓜紋。

有馬晴信 。1567年 – 1612年6月5日、 大名。
肥前有馬氏当主。有馬義貞の次男。キリシタン大名として知られ
大友宗麟や
大村純忠と共に天正遣欧使節を派遣。関ヶ原の合戦では東軍に寝返り
小西行長の居城・宇土城を攻撃。家紋は左三巴と五瓜に剣花菱紋。画像は谷中霊園の有馬道純の墓所にて。

林羅山 。1584年 – 1657年3月7日、 儒学者。
京都四条新町出身。父は加賀国の郷士。
徳川秀忠の侍講として『
寛永諸家系図伝』などの伝記・歴史を編纂、「
武家諸法度」などの撰定、朝鮮通信使の応接を行う。定紋は五瓜に剣香い桔梗紋、裏紋は
抱き柊紋。女紋としては
変り三つ割り沢瀉紋が継承されている。

蒲生君平 。1768年 – 1813年7月31日、 儒学者、尊王論者。
下野国宇都宮新石町出身。祖先は会津藩主蒲生氏郷という家伝あり。
林子平・
高山彦九郎と共に、「
寛政の三奇人」の一人に数えられる。代表作『山陵志』。宇都宮市の蒲生神社に祭神として祀られている。家紋は五瓜紋。画像は、谷中・臨江寺にて撮影。

大田垣蓮月 。1791年2月10日 – 1875年12月10日、 歌人・陶芸家。
京都の生まれ。読みは、おおたがきれんげつ。父は伊賀国上野の城代家老・藤堂良聖。自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りで施した作品は
蓮月焼と呼ばれる。代表的歌集は『海人の刈藻』。家紋は陰五瓜に陰蔦。蔦は父方・
藤堂家の流れを伝える。

吉田松陰 。1830年8月4日 – 1859年10月27日、 思想家、教育者。
萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。私塾
松下村塾にて、
久坂玄瑞、
高杉晋作を初め
伊藤博文、
品川弥二郎、
山縣有朋、
吉田稔麿、
前原一誠等維新の指導者となる人材を育てる。
安政の大獄により斬首刑に処される。享年30歳。

山田信道 。1833年12月13日 – 1900年3月11日、 官僚、政治家。
肥後熊本藩出身。尊皇攘夷思想に惹かれて鹿児島に下る。明治維新後に新政府に入り、江刺県権知事、島根県令、福島県令、大阪府知事、京都府知事、農商務大臣(
松方内閣)などを歴任した。家紋は五瓜に唐花紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

井関盛良 。1835年 – 1890年2月13日、 官僚。
伊予国出身。読みは、いぜきもりよし。神奈川県知事、外務大丞、名古屋県権令、島根県令を務める。神奈川県知事時代に、民間人に呼びかけて横浜毎日新聞を創刊させた。家紋は
抱き鬼柏紋に五瓜に唐花紋。画像は五瓜に唐花紋部分。谷中霊園の墓所にて撮影。

松尾儀助 。1836年 – 1902年1月15日、 実業家。
肥前国出身。読みは、まつおぎすけ。ウィーン万国博覧会に茶商として参加。日本パビリオン内に日本庭園を造り、日本のアピールを行う。
佐野常民の指名で貿易会社
起立工商会社を立ち上げる。家紋の五瓜に剣片喰紋は賢崇寺の松尾家墓所にて撮影。

近藤長次郎 。1838年4月1日 – 1866年2月28日、 志士。
土佐国出身。高知城下の饅頭商人の息子。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。
坂本龍馬と共に海援隊の前身である
亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。

坂田警軒 。1839年6月15日 – 1899年8月15日、 漢学者、政治家。
備中国川上郡九名村出身。肥後国に遊学し、木下犀潭に入門。
井上毅・
竹添進一郎と共に木門の三才と称される。岡山藩家老池田氏の賓師から第2代興譲館(岡山藩藩校)館長に就任。家紋は五瓜に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

松本楓湖 。1840年10月9日 – 1923年6月22日、 日本画家。
常陸国河内郡出身。本名は敬忠。欽定教科書『幼学綱要』全7巻において61図の挿絵を描き一躍名を轟かせた。
日本美術院の創設に参加。歴史画に長じ「
蒙古襲来・碧蹄館図屏風」を発表。家紋は五瓜に丸に二引両。画像は谷中・全生庵にて撮影。

名村泰蔵 。1840年11月24日 – 1907年9月6日、 司法官。
長崎市出身。島村家に生まれたが後に幕臣で蘭語通詞・名村八右衛門の養子となり泰蔵と改名。欧州視察の際に各国の法律を調査しフランスの法学者
ボアソナードを顧問として招聘。フランス法導入に尽力。家紋は五瓜に唐花紋。画像は青山霊園にて撮影。

有地品之允 。1843年4月14日 – 1919年1月17日、 海軍軍人。
長州藩出身。藩士で武術指南役・有地藤馬の長男。読みは、ありちしなのじょう。
海軍中将、貴族院議員、男爵。弟は海軍中将の梨羽時起。除隊後は、枢密顧問官、帝国海事協会初代理事長も歴任。家紋は五瓜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

奥保鞏 。1847年1月5日 – 1930年7月19日、 陸軍軍人。
豊前国小倉出身。読みは、おくやすかた。小笠原家家臣の奥利右衛門保矩の長男。佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争等に参戦。薩長・皇族以外の出身者としてはじめて
元帥陸軍大将となる。家紋は中陰五瓜に唐花紋。画像は青山霊園にて撮影。

乃木希典 。1849年12月25日 – 1912年9月13日、 陸軍軍人。
江戸出身。長府藩の藩士、乃木希次の長男として上屋敷に出生。
東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ
聖将と呼ばれた。最終階級は
陸軍大将。明治天皇の後を追って殉死。家紋は四つ持ち合い井桁、五瓜、市松四つ目結。青山霊園にて撮影。

角田秀松 。1850年3月25日 – 1905年12月13日、 海軍軍人。
会津藩出身。藩医、角田良智の二男。戊辰戦争で朝敵とされた父の蝦夷地赴任に同行。会津藩出身者として初めて海軍将官となった。日露戦争時には竹敷要港部司令官を務める。最終階級は
海軍中将。家紋は五瓜に右三つ巴紋。青山霊園にて撮影。

山本信行 。1852年 – 1904年9月24日、 陸軍軍人。
長州国出身。読みは、やまもとのぶつら。日露戦争では、鴨緑江会戦から参戦。歩兵第1旅団長となり第3軍隷下として旅順攻囲戦に参加したが、総攻撃の前哨戦で戦死した。最終階級は
陸軍少将。家紋の五瓜に花菱紋は、「華族家系大成」による。

有坂成章 。1852年4月5日 – 1915年1月12日、 陸軍軍人。
周防国岩国出身。長州藩・士木部左門の二男。読みは、ありさかなりあきら。三十年式歩兵銃の開発に成功。最終階級は
陸軍中将。家紋は五瓜に唐花紋。NHKドラマ「坂の上の雲」では、矢島健一が演じた。墓画像は谷中霊園の墓所にて撮影。

津田三蔵 。1855年2月15日 – 1891年9月29日、 警察官。
武蔵国豊島郡下谷出身。伊賀国上野の津藩藩士の子。1891年5月11日、来日中のロシア帝国皇太子ニコライの通る沿道警備の現場で、ニコライをサーベルで斬りつけて負傷させた、いわゆる
大津事件を起こす。墓域内隣の墓の家紋が、五瓜に唐花紋。

秋元興朝 。1857年5月26日 – 1917年4月23日、 華族。
戸田忠至(宇都宮藩家老)の息子。旧館林藩主秋元礼朝の養子となる。読みは、あきもとおきとも。外務省書記生としてフランスの在パリ公使館勤務となる。後に
伊藤博文の立憲政友会に加わる。家紋画像は谷中霊園の墓所にて撮影。

野崎広太 。1859年6月19日 – 1941年12月2日、 茶人。
備中国賀陽郡庭瀬村出身。
松永安左エ門、
益田孝とともに近代小田原三茶人の1人に数えられる。実業家としては、中外商業新報社取締役社長、
三越社長、鐘淵紡績監査役を勤める。家紋は丸に五瓜に花菱紋。画像は多磨霊園の墓所にて確認。

弘田長 。1859年7月14日 – 1928年11月27日、 医師。
土佐国幡多郡中村町出身。読みは、ひろたつかさ。土佐藩の貢進生に選ばれて上京。東京帝国大学医科大学教授。東京大学小児学教室の初代教授。幼少時の昭和天皇、秩父宮雍仁親王の侍医を務めた。家紋は五瓜に井桁紋。画像は雑司が谷霊園にて撮影。

河本重次郎 。1859年9月12日 – 1938年4月4日、 眼科医学者。
但馬国豊岡出身。読みは、こうもとじゅうじろう。東京大学医学部を首席で卒業。ベルリン大学に留学。医学博士の学位を始めて眼科医として受ける。日本の眼科を先進国の水準に近づけ、さらに発展させた。家紋は五瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。

坪井正五郎 。1863年2月22日 – 1913年5月26日、 自然人類学者。
江戸出身。蘭学者・
坪井信道の孫。読みは、つぼいしょうごろう。岩石学者・坪井誠太郎は長男。第5回内国勧業博覧会では学術人類館を発案。
日本石器時代人=コロポックル説を主張したことで知られている。家紋は五瓜に唐花紋。画像は染井霊園にて撮影。

山下源太郎 。1863年8月26日 – 1931年2月18日、 海軍軍人。
山形県米沢市出身。米沢藩士山下新右衛門の次男。連合艦隊司令長官・
海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時には対露作戦立案の中心的役割を負い、日本海海戦の完勝に貢献した。家紋は五瓜紋。青山霊園の墓所にて撮影。

津田梅子 。1864年12月31日 – 1929年8月16日、 教育者。
江戸牛込・南御徒町生まれ。津田仙(旧幕臣・東京府士族)・初子夫妻の次女。満6歳の時、最年少で
岩倉使節団に随行して渡米。後に「女子英学塾」(現在の
津田塾大学)を設立した。家紋は五瓜紋。青山霊園の父・津田仙の墓所にて撮影。

山本条太郎 。1867年11月6日 – 1936年3月25日、 実業家。
福井県武生市の生まれ。立憲政友会から衆議院議員当選5回。幹事長等歴任。後に南満洲鉄道株式会社総裁に就任。大胆な改革を行い
満鉄中興の祖とも言われた。茶人としても知られる。家紋は五瓜に唐花紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

武藤信義 。1868年9月1日 – 1933年7月27日、 陸軍軍人。
佐賀藩出身。藩士・武藤信直の次男。教育総監・軍事参議官等を歴任。満洲における軍事・行政・外交を掌握して「これほど権力を掴んだ者は明治維新以来いない」と評された。最終階級は
元帥陸軍大将。画像は護国寺の墓所にて撮影。

村岡長太郎 。1871年12月12日 – 1930年8月19日、 陸軍軍人。
佐賀県出身。日露戦争では第二師団参謀として出征。第1次バルカン戦争ではトルコ軍に従軍した。
張作霖爆殺事件の首謀者とされ、同事件の責任をとり予備役に編入された。最終階級は
陸軍中将。家紋は五瓜に唐花紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

津田左右吉 。1873年10月3日 – 1961年12月4日、 日本史学者。
岐阜県美濃加茂市下米田町出身。読みはつだそうきち。皇国史観を否定する
津田史観は第二次世界大戦後の日本史学会の政治的主流となった。家紋の五瓜に唐花紋は
美濃加茂市民ミュージアム所蔵の父・津田藤馬の陣笠の写真より判断。

川合玉堂 。1873年11月24日 – 1957年6月30日、 日本画家。
愛知県葉栗郡出身。本名は川合芳三郎。文展設立の際に審査委員に任命される。以後、
国民的画家としての地位をゆるぎないものとした。代表作は「渓村春麗」「彩雨」「山水観月」「鵜飼い」など。家紋は、五瓜に剣花菱。画像は多磨霊園にて撮影。

福田徳三 。1874年12月2日 – 1930年5月8日、 経済学者。
東京神田生まれ。日本の経済学を開拓した経済学者。社会政策学派、新歴史学派として経済理論、経済史などを導入した。東京商科大学教授、慶應義塾大学教授、フランス学士院文科部外国会員等を歴任。家紋の五瓜に唐花紋は多磨霊園にて撮影。

建川美次 。1880年10月3日 – 1945年9月9日、 陸軍軍人。
新潟県新潟市で地方官吏・野崎美孝の三男として生まれ、同地方官吏・建川周平の養嗣子となる。読みは、たてかわよしつぐ。大政翼賛会総務、大日本翼賛壮年団長を務める。最終階級は
陸軍中将。家紋は丸に五瓜に唐花紋。画像は多磨霊園にて撮影。

西尾寿造 。1881年10月31日 – 1960年10月26日、 陸軍軍人。
鳥取県出身。鳥取県士族・西尾重威の四男。読みは、にしおとしぞう。教育総監、支那派遣軍総司令官。戦後、A級戦犯容疑者として逮捕され、1948年12月まで拘留された。最終階級は
陸軍大将。家紋は五瓜に四つ目結紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

永田鉄山 。1884年1月14日 – 1935年8月12日、 陸軍軍人。
長野県諏訪郡上諏訪町出身。陸軍士官学校を首席で卒業。
統制派の中心人物であったが派閥抗争に絡んで暗殺される。「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」と言われた。最終階級は
陸軍中将。家紋は五瓜紋。画像は青山霊園にて撮影。

吉田善吾 。1885年2月14日 – 1966年11月14日、 海軍軍人。
佐賀県出身。農業、峰与八の四男。米屋、吉田祐次郎の養子となる。読みは、よしだぜんご。阿部内閣の海軍大臣に就任。
米内内閣、第2次
近衛文麿内閣でも留任した。最終階級は
海軍大将。家紋は五瓜に唐花紋。画像は多磨霊園にて撮影。

古賀峯一 。1885年9月25日 – 1944年3月31日、 海軍軍人。
佐賀県西松浦郡出身。読みは、こがみねいち。第28代連合艦隊司令長官であったが太平洋戦争において殉職した。殉職後は特旨により元帥号を授与される。最終階級は
海軍大将。家紋は五瓜に剣唐花紋。画像は多磨霊園の名誉霊域の墓所にて撮影。

木村篤太郎 。1886年2月7日 – 1982年8月8日、 政治家、剣道家。
奈良県五條町に生まれる。読みは、きむらとくたろう。
幣原内閣の検事総長、
吉田茂内閣で司法大臣、法務大臣、保安庁長官、防衛庁長官を務める。全日本剣道連盟初代会長。家紋は五瓜に違い鷹の羽紋。画像は多磨霊園にて撮影。

大塚博紀 。1892年6月1日 – 1982年1月29日、 空手家。
茨城県下館市出身。読みは、おおつかひろのり。昭和期を代表する空手家の一人であり近代空手の基礎を築いた。和道流空手道の開祖。自身が修行した柔術に空手を加味して和道流柔術拳法も開いた。家紋は五瓜に左三つ巴紋。画像は多磨霊園にて撮影。

市川忍 。1897年1月9日 – 1973年11月2日、 実業家。
茨城県出身。伊藤忠商事に入社後、大同貿易を経て、丸紅商店に移る。丸紅の初代社長に就任。「正・新・和」の精神で「
丸紅」発展の基礎を築く。大阪商工会議所会頭となる。家紋は五瓜に右巴紋。画像は多磨霊園の墓所。

佐分眞 。1898年10月8日 – 1936年4月23日、 洋画家。
名古屋市出身。読みは、さぶりまこと。『貧しきキャフェの一隅』が帝展で特選を受賞。その年から3年連続特選を受ける。光風会を退会した1935年の翌年、東京のアトリエで自殺。没後に佐分賞が設定される。家紋は五瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。

村山知義 。1901年1月18日 – 1977年3月22日、 小説家、画家。
東京市神田区末広町出身。父は海軍軍医。前衛美術団体マヴォ結成。
今東光らと『
文党』創刊。全日本無産者芸術連盟、日本民主主義文学同盟の結成に参加。小説「新選組」。絵本「おなかのかわ」。家紋は五瓜に平角紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。

秋元不死男 。1901年11月3日 – 1977年7月25日、 俳人。
神奈川県横浜市出身。本名は秋元不二雄。
西東三鬼らと「天香」を創刊。山口誓子の「天狼」創刊に参加。「氷海」創刊。妹は劇作家の秋元松代。息子の秋元近史は『
しゃぼん玉ホリデー』を手がけたテレビプロデューサー。家紋は五瓜紋。

五所平之助 。1902年1月24日 – 1981年5月1日、 映画監督。
東京神田に生まれる。本名は五所平右衛門。
島津保次郎の口利きで松竹に入社。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督をつとめる。代表作は『新雪』『挽歌』『伊豆の踊子』等。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章等を受章。家紋は五瓜紋。

大村主計 。1904年11月19日 – 1980年10月17日、 童謡詩人。
山梨県出身。読みは、おおむらかずえ。童謡「花かげ」を発表。童謡集「ばあやのお里」「麦笛」を刊行。また新聞社経営者としても手腕を発揮し東京タイムズ編集局長、スポーツタイムズ社長を務めた。家紋は五瓜紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。

朝永振一郎 。1906年3月31日 – 1979年7月8日、 物理学者。
東京市小石川区小日向三軒町に朝永三十郎(長崎県出身)の子として生まれる。くりこみ理論の手法を発明して量子電磁力学の発展に寄与した功績によって
ノーベル物理学賞を受賞。東京教育大学長、日本学術会議会長を務めた。家紋は五瓜に上り藤。

石塚友二 。1906年9月20日 – 1986年2月8日、 俳人、編集者。
新潟県北蒲原郡笹岡村出身。沙羅書店を設立し、編集者として、横光利一の『日輪』『覚書』、水原秋桜子の『葛飾』復刻版、
石田波郷の『
石田波郷句集』などを刊行する。また、
石田波郷を主宰として「鶴」を創刊した。家紋の五瓜に唐花紋は鎌倉霊園にて撮影。

石田波郷 。1913年3月18日 – 1969年11月21日、 俳人。
愛媛県温泉郡垣生村出身。本名は石田哲大(てつお)。秋桜子主宰の『馬酔木』に投句を始める。代表句集『鶴の眼』。韻文精神に立脚した人間諷詠の道を辿り
中村草田男、
加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。家紋は五瓜に抱き茗荷紋。

織田作之助 。1913年10月26日 – 1947年1月10日、 小説家。
大阪市南区生玉前町にて、仕出屋「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。出世作となった「俗臭」「
夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれていることが特徴。

春風亭柳昇 。1920年10月18日 – 2003年6月16日、 落語家。
東京都武蔵野市出身。本名は秋本安雄。次男はアニメ監督・アニメーターの知吹愛弓。社団法人落語芸術協会副会長(後に理事長)を務める。自身の体験を生かした創作落語・「与太郎戦記」は、後に映画化もされる。家紋は五瓜紋。

谷啓 。1932年2月22日 – 2010年9月11日、 俳優、コメディアン。
東京府荏原郡出身。本名は、渡部泰雄。
ハナ肇と
クレージーキャッツのトロンボーン担当(日本トロンボーン協会名誉会員)。
渡辺プロ所属。コメディアンとしても「
ガチョン」などのギャグで人気を博した。家紋は五瓜に桔梗紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

篠沢秀夫 。1933年6月6日 -、 仏文学者。
東京府出身。学習院大学名誉教授。モーリス・ブランショの翻訳者、研究者としても知られる。人気番組『
クイズダービー』では、11年に亘り、4代目1枠レギュラーの解答者として活躍し人気者となる。家紋の五瓜に上り藤紋は総持寺の妻の墓所にて撮影。

勝野洋 。1949年7月27日 – 、 俳優。
熊本県阿蘇郡小国町出身。妻は
キャシー中島。テレビドラマ『太陽にほえろ!』において”テキサス刑事”役に抜擢され一躍人気者となる。代表出演作は『
俺たちの朝』『姿三四郎』『ザ・商社』。家紋は五瓜に三階菱紋。林泉寺の勝野家の墓所にて撮影。

石丸謙二郎 。1953年11月1日 – 、 俳優。
大分県出身。つかこうへいの事務所にスカウトされて俳優デビュー。『
世界の車窓から』のナレーションを務める。また、日本で初めてストリーキングを敢行したと自称している。家紋は織田瓜であることを『
ぶらり途中下車の旅』にて告白した。

原辰徳 。1958年7月22日 – 、 プロ野球選手、監督。
神奈川県相模原市出身。東海大相模高校、東海大学で活躍した後、ドラフト一位で読売巨人軍に入団。新人王、MVP、打点王、最多勝利打点などのタイトルを獲得する。監督としてはリーグ優勝4回、日本一2回。家紋は五瓜に隅立て四つ目結紋。

グレート義太夫 。1958年12月26日 – 、 お笑いタレント。
東京都板橋区出身。本名は鈴木正之。叔父に元小結國登國生がいる。オフィス北野所属。たけし軍団に所属し、その一環として
北野武の映画『
菊次郎の夏』にも出演している。家紋は五瓜に下り藤紋。自身のブログのお墓参りの時の写真により判断。

春風亭昇太 。1959年12月9日 – 、 落語家。
静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。本名:田ノ下雄二。5代目春風亭柳昇の弟子。2005年には落語を題材にしたドラマ「
タイガー&ドラゴン」に出演。2006年5月より日本テレビ系『
笑点』の大喜利メンバーに加入。家紋は春風亭一門の五瓜紋。

木村拓哉 。1972年11月13日 – 、 俳優、SMAPのメンバー。
東京都出身、千葉県育ち。ジャニーズ事務所に所属。主演テレビドラマ多数。代表作は『
ロングバケーション』『
ラブジェネレーション』『
CHANGE』『
MR.BRAIN』『安堂ロイド』等。家紋は、
織田信長と同じ五瓜紋であることを告白。

くわばたりえ 。1976年3月24日 -、 お笑い芸人。
大阪府大阪市淀川区出身。本名は、刈込理恵(旧姓・桑波田)。ホリプロ所属。小原正子とのコンビ「
クワバタオハラ」を結成。刈込家の家紋は丸に井桁菱紋。自身の
ブログ記事にて確認。また、桑波田家の家紋は丸に五瓜に唐花紋。自身の
ブログ記事にて確認。

藤森慎吾 。1983年3月17日 – 、 コメディアン、司会者。
長野県諏訪市出身。愛称は「しんご」。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。
中田敦彦と組んだ
オリエンタルラジオのツッコミ担当。『武勇伝』ネタで有名。「笑っていいとも!」にて家紋は五瓜に檜扇であることを告白。

湘南乃風 。2001年 – 、 音楽グループ。
RED RICE、若旦那、SHOCK EYE、HAN-KUNの4人をメンバーとする湘南を拠点に活動するレゲエ系グループ。代表曲「
純恋歌」「カラス」「睡蓮花」等。「純恋歌」はカラオケ定番として歌い継がれている。グループのシンボルに五瓜に風の文字を採用。

武藤大三 。昭和 – 平成25年、 極道の組長。
園子温監督「
地獄でなぜ悪い」の登場人物。配役は、國村隼人。ヤクザの組長であるが、出所してくる妻(
友近)のために娘(二階堂ふみ)を主演にした映画を製作しようとする。武藤組の紋章である細輪に逆さ五瓜に剣花菱が事務所に飾ってある。
有名人の家紋索引
(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね






























































