創価学会は民族である。 ~『平成宗教20年史』書評~

要するに、創価学会の会員にとって、自分達の人間関係を維持するために、信仰という要素はほとんど必要とされなくなった。集まりがあれば、一緒に南無妙法蓮華教と唱えるかもしれないが、それは、習慣にすぎなくなっている。座談会では、日蓮の仏法にもとづく特殊な仏教用語が用いられるにしても、それは仲間内で使われる隠語のようなものにすぎない。
こうした創価学会の実態を見ていると、私は次第に、創価学会というのは必ずしも宗教組織ではないのではないかと考えるようになってきた。それは、むしろ「民族」に近いものなのではないか。最近では、そのようにさえ考えている。
-「平成宗教20年史」(島田裕巳)P218-

戦後、多くの若者が都会に出てきた。
いわゆる集団就職というやつだ。
彼らは、それまで、彼らを育んできた故郷、先祖、家族といった共同体から引き剥がされ、個々人がバラバラな存在として、都会に投げ出されたわけである。
そんな彼らの心のよりどころとして、爆発的に会員を増やしていったのが創価学会だ。
    ◆
その時代、明らかに創価学会は一定の役割があった。
そして、時に周囲とぶつかりながら、時に排他的と言われながらも、政治勢力として公明党を進歩発展させ、自分達の権利も社会に認めさせようと努力し、独自の発展を遂げてきた。
そして、そのようにして時を経て、現代は、その時代に創価学会に入会した人々の二世、三世の時代になっている。
彼らは生れついての学会員である。
周囲も学会の人が多い。
その教えに沿って教育される機会も多い。
したがって、その世界観、人間観、日本観なども、教えに沿って形成されていく。
さらに、人間関係も学会を中心にして形成される。
住環境も、学校も、仕事も、結婚もその創価学会の世界の内部で完結して行われるようになる。

彼らにとっては、逆に、創価学会に背を向ける事自体が不自然なことだし、考えられないことなのだ。
勿論、その事自体、他の人が文句を言う筋合いの問題ではないし、尊重されるべきものだと思うが、上記の状態を踏まえて、敢えて極論するならば、日本にあって、日本ではない存在、それが創価学会という存在なのである。
冒頭でも記したように、本書の著者である島田裕巳氏は、このような状況を指して、創価学会は「民族」であると述べているのだ。
    ◆
おそらく、2CHなどで、創価学会が必要以上に攻撃されるのは、多くの人々にとって創価学会という存在には、他民族の匂いがするからなのであろう。
それは、例えば、池袋にチャイナタウンが出来るというニュースに対して、漠然とでも不快感を感じてしまう感性と同根の嗅覚なのだと思う。
その嗅覚自体が、いい悪いという事をここで判断する力も意志も私にはないが、少なくとも本書が「民族としての創価学会」という新しい観点をもたらしてくれたという事だけを指摘しておきたかったのである。
    ◆
バブル経済からの時代からバブル崩壊直後に流行した宗教に近い現象として、自己啓発セミナーというものがあった。
-「平成宗教20年史」(島田裕巳)P50-

本書が面白い点は、平成の時代を概観し、いわゆる宗教だけではなく、少しでも宗教的と思われるような出来事(例えば、サイババ、酒鬼薔薇、ヤマギシ会、靖国神社、スピリチュアルブーム等)も扱っているということだ。
さらに、興味深いのは、昭和の終わり頃から出現した「自分探し」をする若者の答えを提供した動きの一つとして自己啓発セミナーをも視野に入れている点だ。

僕は、この自己啓発セミナー系のビジネスが現在でも盛況なのかどうは知らないが、不況の中、自己啓発セミナー受講のような高額ビジネスは厳しくなっていくと思う。しかし、一方で、人々が潜在的に持っている「自分探し」の終着駅探しの欲求はなくなるわけではない。必ず残る。
そして、その欲求は、別の方向に流れていくに違いないと思われる。

宗教以外のもので、その先にあるのは何なのだろうか。
おそらく、最近、最もブレイクしている勝間和代さんのビジネス本などもその一つではないかと僕は密かに思っている。
自著の中で、「勝間本からのご利益」などと言っている”信者”の言葉を堂々と載せているのを見ると、そんな匂いを感じなくもないのだ。平成宗教20年史の次に来る21年目、すなわち来年、勝間ブームの行く末にちょっと興味がある。

まさむね

MUSIC STATION SUPERLIVE 2008を斬らせて頂きました

「MUSIC STATION SUPERLIVE 2008」を見た。
会場は幕張メッセ。ベストアーティストとタメを張る。

残念ながら浜崎あゆみが、怪我で急遽不出場。紅白には間に合うか?

トップは、関ジャニ∞。オープニングには相応しい派手な感じ。
このグループ、ベストアーティストでもオープニングだった。オープニング用として、うってつけなんだろう。
関ジャニと言えば、関東での露出が少ないことで、逆に、今年のDVD販売No.1を獲得している。
来年の更なる飛躍は確実だ。

二番手は、Aqua Times こういう感じの「地方の男子高校生向けの青春系」グループって、いろいろ出てきてるけど、長続きしたのは「ゆず」ぐらいかな。
みんなユーザーが高校を卒業して、それぞれが別世界に行くときになんとなく、一緒に捨てられちゃうんだろうな。
このグループはどうだろうか。

三番手はGirl Next Door。
実は、この3人組が、なんでデビューの今年にそれほど取り上げられるのか不明。
エイベックス期待の一番星っていうのはわかるんだけど、90年代の音と過剰に明るいパフォーマンス。どこかバブリー。CMの映像もスキーとかやってるし。
少なくとも、安室奈美恵とか浜崎あゆみのように、時代の空気を読んで、歌姫になる感じはない。
来年は僕的には?だ。

四番手は、Hey!Say!JUMPは、「真夜中のシャドーボーイ 」。
ごちゃごちゃしていて、誰が誰かわからない。若いっていいな。

五番手は、いきものががりの「帰りたくなったよ 」。アイフルホームのCMソングだ。
ボーカルの聖恵は意外に年食ってて24才。実家が兼業農家だとは知らなかった。どうりで作り出す世界が保守的でNHK臭いと思った。

六番手は、V6。
僕は密かにジャニーズ1のパフォーマンスグループだと思っているんだけど、途中、短いソロで、長野君はずす。残念!
FNSの時だったか、岡田君が来年プロデュースに挑戦したいって言った時の、他のメンバーの顔色無くなり笑った。
今年は、「SP」よかったからね。将来を感じさせる作品だった。

七番手はキマグレン。
「泣きたくて、笑いたくて」っていうフレーズ、よく聴く曲だと思ったらタイアップ多いんだ。営業力か。
青春系のバンドかと思ったら、意外に年齢行ってるんだね、2人とも28歳か。

八番目は、藤岡藤巻と大橋のぞみ 。のぞみちゃんの年齢の関係で8時までに、終わるかと心配も、1分前に、歌い終わる。
見事...
藤巻さんのMC笑えた。
あるショーで「藤巻さ~ん」という声援に応えて、手を振ったら、自分の前にレミオロメンがいて、そこの藤巻亮太が目当てだったという話。
ポニョの藤巻さんの振り上げた手、行方知らず。かわいそう。

九番目は、チャットモンチー。女性ばっかり3人のロックバンド。
いかにも地方都市の公立高校の軽音楽部出身という感じ。好感が持てる。でも、音は現代風じゃないな。

十番目は湘南乃風も、地方のジモティー代表と言った感じ。
サングラスかけたガテン系の男達が、みんなでタオルを振るパフォーマンスは根強い共感層を持っている。
不況の現在、若者の気持ちを吸い上げるパワーがあるね。来年の活躍は必至だと思う。
若旦那のインタビュー。結婚したとのこと。ヤンキーっぽいかと思ったら、意外に普通の声。

十一番目はSuperFly。
越智志帆自身、ジャニスジョップリン好きだけあって、60年代~70年代にかけてのアメリカンロックをベースにしてる。
ファッションも音も、パフォーマンスもそうだ。チャットモンチーが徳島なら、こっちは愛媛か。
ところで、四国ってガールズロック流行ってるのか?
ちなみに越智っていう名前の人は十中八九、愛媛出身だ。

十二番目は中川翔子でガラリと雰囲気が変わる。
相変わらず、おしゃべりもユニークだし、かわいいけど、歌手としては、パフォーマンスも曲も弱い。来年はつらいかも。

十三番目のポルノグラフィティだけど、岡野のボーカルの声がユニークすぎて、何をやっても同じに聴こえる。
今年5枚シングル出したってさ、サザン休止のあおり受けたアミューズの株価対策か?

十四番目は倖田來未。
いつも感じるのが彼女の名前、変換が難しいって事。漢字登録するほどでもないけど...
キャバクラのショータイムみたいなダンスミュージック。この酒焼けしたような声、おじさんに人気なわけだ。

十五番目は綾香の「おかえり」。普通。

十六番目はKinki Kidsの「Secret Code」だ。
この人たちはギネス(デビュー以来すべて1位獲得という)がかかってるから、逆にあんまりシングル出せなくなってる。
今年もこれ1枚。音楽性の幅が広いって言えばいいんだけど、本当はどういう音楽やりたいのか?
ルックスもエネルギーも若干劣化。いつまでもKidsでもないだろうに。

十七番目は大塚愛。4曲連続関西系。
大阪の女性シンガーは、aikoも綾香も、この大塚愛も自分本位って感じが逆にいい。
嫌な事しないタイプ、授業とかきっと聞いてないタイプだよね。

十八番の9時またぎはやはりSMAP。2曲歌う。
1曲目は、オリンピックのテーマ曲の「この瞬間、きっと夢じゃない」。中居クンのソロ結構長い。あそこまで外すっていうのも一つの芸だな。無いと寂しいもん。
木村クンは、今日のパフォーマンスは今ひとつだったな。
そういえば、Googleの検索窓に木村拓也って入れると、「木村拓也 身長」「木村拓也 在日」「木村拓也 整形」とかが上位の候補に出てくる。みんな何知りたいの?

十九番目は羞恥心。SMAPでつかんだ視聴率をこれで維持しようという目論見か。
MCは普通。慣れてきた感じか。
1曲目は「泣かないで」2曲目は「羞恥心」。2曲披露だが、1曲目はちょっと辛い。2曲目は耳慣れてる。
来年早々で解散っていうのは正解だと思う。

二十番目は嵐。SMAP、羞恥心ときて嵐か。
今年一番活躍したグループ。FNSでもベストアーティストでもやらなかった「Truth」の披露。
このグループ、大野クンがリーダーでボケ役っていうのが面白い。彼は来年、歌のお兄さんのドラマやるらしいけど、番伝の写真見ても楽しそうじゃないし、似合ってないのが笑える。
前作「魔王」ではクールで、あんまり表情の無い役だったからよかったけど、歌のお兄さんはどうなるか?
今年の嵐は5曲リリース。
「Step and Go」は嵐のバラエティ「GRA」のエンディングテーマ、「One Love」は松潤主演の花男の主題歌、「truth」は大野主演の「魔王」主題歌、カップリングの「風の向こうへ」は櫻井がキャスターをした日テレのオリンピックテーマ曲、そして「Beautiful days」は二宮主演の「流星の絆」のテーマ曲。
相葉頑張れ。

二十一番目はperfumeは「ポリリズム」と「Love the world」の2曲。
下積み長いだけあって、技術はしっかりしている。踊りも完璧。
だが、来年もこの勢い続くか?

二十二番目はKAT-TUN。
クリスマス終わってるのに、「White Chiristmas」。
残念ながら、こういう曲はあんまり似合わない。
2曲目はチョイ悪でそれなりよかった。

二十三番目はORANGE RANGEの「おしゃれ番長」、ポッキーの曲だ。
今年は、ライブ70本やったらしいけど、やっぱり上手くなってるよね。さすがだ。前のKAT-TUNに比べて勝ったな。もしかして、最初から相手にしていない?

二十四番目は青山テルマfeat.SoulJaの「そばにいるよ」
docomoとのタイアップだといっても、着うた800万ダウンロードって凄すぎ。違法も入れたら、2000万近いんじゃないの?
歌詞が、貧しいカップルの遠距離恋愛を歌ってるっていうのが着うた心を刺激したんだろうね。
今年一番、コンテンポラリに若者の心情を汲んだ曲って言えるんじゃないか。

二十五番目は綾香×コブクロの「あなたと」。大阪の飲み仲間のトリオだ。
はじめて聴く。キャッチーな曲じゃないけど、何度か聴くと馴染んでくるのかな?

二十六番目は、TOKIO。長瀬曰く「ライブが一杯出来た年」って、逆に言えば、結構時間が空いていた1年ということか。
リーダー、城島の皺が多いという話題に笑える。
曲は椎名林檎の「雨傘」。こういうロックはTOKIO向きだな。山口のベースも結構上手いな(本当に弾いていればの話だが)。

二十七番目はFlumpool。
「そばにいるね」がdocomoとのタイアップだが、この「花になれ」はauとのタイアップで配信限定曲。
それにしても150万ダウンロードは立派。
インディからはじまって、6年目のブレイク。下積みが長いだけあって、音もしっかりしている。来年さらに期待したい。

二十八番目はaiko。局の配慮か?TOKIOから、1グループはさんでのaiko。
今年は5回しか外食しなかったって、どんな私生活だ。
aikoもユニークなメロディライン持ってるよね。この「KissHug」も彼女らしい曲。歌詞も繊細なんだよね。

二十九番目はNEWS。
今回は、ジャニーズがオールスター出演だったけど、結局、NEWSがその中でもトリ。
マッチも出たかっただろうに。タキツバは?
手越上手すぎだから、山下につなぐと厳しい。ライブは残酷。

三十番目は平井堅の「いつか離れる日が来ても」。
たもりと話すと平井のデカさ目立つ。
前にも書いたけど、あのブレス音は、”味”か?”老い”か?
今後、是非とも、”味”として「芸の域」にまで達してほしい。ゲイの息じゃなくて。

三十一番目はGLAY。久しぶり。
結成20周年で、いまだにあの恰好は凄い。ある意味、尊敬。
今年はアメリカでのコンサートが思い出というが、在米邦人がターゲットユーザーか?

三十二番目はコブクロの「時の足音」。
コブクロの歌詞の持ちネタは、花、ツボミ、長い冬、種、出会い、一瞬の時...
日本人好みの季節感ある歌だよね。

三十三番目は中島美嘉の「ORION」。
「流星の絆」の挿入歌。
ドラマにも、謎の女として出演。クドカンワールドを一人で醸し出していた。
中島は「なかしま」って読むんだよね。
豆知識だけど、関西はにごらないで関東はにごる名字が多いんだよ。「やまさき」と「やまざき」とか。
だから、鹿児島出身の彼女は「なかしま」なんだ。

三十四番目はL’Arc~en~Ciel 。
今年初めてフランスに行って、コンサートをしたそうだ。
フランスにおける日本ブームに乗っただと思うけど、人気あったんだ。
ちなみに、L’Arc~en~Ciel とは「the arch in the sky」だから、虹っていう意味とのこと。

トリはMr.children。ベストアーティストでは浜崎がトリだったけど、怪我で急遽、抜擢ということか。
「HANABI」と「GIFT」を熱唱。
「一番綺麗な色ってなんだろう」って言うけど、結局ボカシてる。金とは言えないか。まぁいいけど。
いつも同じと言えば、そうなんだが、さすが貫禄あるよね。
熱唱が似合うよね。櫻井さん(練馬出身)。

あっという間の4時間でした。

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まさむね

大河・篤姫が「その時歴史が動いた」篤姫と違う5つの点

先日、NHK「その時歴史が動いた 大奥 華にも意地あり~江戸城無血開城 天璋院篤姫~」の再放送があった。

「その時歴史が動いた」は、忠実に史実を再現する事をポリシーとした番組である。
今まで、信じられてきた歴史に対して、新たな実証、資料を元にして、新史実を紹介するところが真骨頂だ。

そこで、僕が気になったのは、この番組で紹介された史実の篤姫は、大河ドラマ「篤姫」と、いくつかの点で異なっていたという事だ。しかも、そのいくつかの点は、むしろ篤姫の特徴を現していたエピソードのような気もするのである。

僕が気になった点を上げてみる。以下の5点だ。

1)和宮との初対面における敷物
和宮との初対面において、史実では、篤姫が和宮に敷物の無い場所を指定したのだが、大河では、篤姫は敷かなくていいのか?といぶかるが、大奥総取締り・滝山に「必要ない」と進言され、そのような状態になった、ということになっていた。

2)江戸城退去を言い渡させた時の篤姫の態度
朝廷から倒幕の勅命が出て、討幕軍が江戸に迫った時、篤姫は城内からの退去を勧められるが、これを拒絶し、史実では短刀を構えて自害の姿勢を見せたという。
そうとう気性の激しい女性だったようだ。勝海舟は、こんな篤姫を評して「天璋院は貞婦というか烈婦」と記しているほどだ。
しかし、大河では、この場面では篤姫は退去に納得。その際に、「とりあえず、3日間だけ退去してほしい」という滝山の嘘を見破り、逆に、そのような嘘を付かせた滝山の心をいたわっている。

3)江戸城総攻撃を思いとどまらせるために西郷に送った手紙
史実では、西郷が江戸総攻撃を思いとどまったのは、篤姫からの「自分の命にかけても、徳川家の存続を嘆願する」手紙によってということであるが、大河では、むしろ、斉彬から篤姫への手紙を読むところで、西郷は号泣。日本を西洋に負けないような国にしたいという斉彬の意志を継ぐ、すなわち日本のためを思って江戸総攻撃を止めたということになっていた。

4)江戸城退去後に大奥に残された物
篤姫が江戸城から退去するとき、史実では、調度品等を全部置いてくる事によって、薩長に対して、徳川文化の厚みを誇示しようとしたのに対して、大河では、高寿院(家定の母)が活花をして、それに感化された篤姫をはじめ、他の女中達、みんなが活花をし、それを部屋に残し、乗り込んできた薩長軍の兵士を驚かせるというエピソードになっていた。

5)大奥退去後の女中達への世話
大奥退去後、史実では篤姫は、女中達の縁談、再就職先の面倒のため奔走したとのこと。そのために、死後、残された所持金はたった3円=現在の貨幣価値で6万円程度になっていたということであるが、大河では、その件は、江戸城開城前に、滝山に一任されていたようだった。篤姫の面倒見のよさを示すエピソードのはずなのだが、大河では、「気にかけている」レベルの話になっていた。

おそらく、本当の篤姫は、1)、2)、3)でも分かるが、気性が激しい女性だった。
また、1)、4)のエピソードを聞くと、かなりプライドが高い面も持っていたことがうかがえる。
さらに、2)、3)、5)で分かる通り、責任感が強く、人情味にあつかったようだ。

大河における篤姫よりも、かなり性格の輪郭がはっきりしている。
ようするに、本当の篤姫は、大河・篤姫よりもキャラが立っていたのではないだろうか。しかし、そのキャラはかなり古風である。

おそらく、上記のような史実の篤姫の武勇伝の多くが避けられたのは、随所で現代的な価値観を見せる大河・篤姫とのキャラの整合性をとるための対応だったのであろう。
例えば、「生きる」という事を第一とする現代の価値観からすれば、短刀で自殺しようとしたり、あるいは、自分を犠牲にしても徳川家を守って欲しいなどと言うのは矛盾してしまう。
また、1)のように、見方によっては姑の嫁に対する意地悪に見えてしまう振る舞いは避けられた。

ただ、4)の場面では、自分が先導して活花をしたとか、5)の場面では自ら奔走したというシーンにしてもよかったと思うが、それぞれ、ヒステリック、あるいは冷たいイメージの高寿院と滝山に華を持たせる形となっている。
この点は、逆に、結果として、篤姫の懐の深さを見せたのではないだろうか。

一方で、大河・篤姫は、史実としては可能性が低い小松帯刀や徳川家定とのユニークな男女関係が前面に出ていたが、これが多くの視聴者を惹きつけたのである。

◆篤姫関連のエントリー◆

大河ドラマ「篤姫」の視聴率がよかった11の理由
篤姫が私達にくれた6つのメッセージ
「篤姫」ヒットの一因に、普遍的な物語性があった
「イノラブ」「篤姫」「流星の絆」からの共通メッセージとは?
「篤姫」高視聴率は許婚システムへの憧れか
「篤姫」の家紋に物申す
鉄板少女から和宮への見事な転身
篤姫と世界に一つだけの花
篤姫の行動原理は極めて現代的だ。
篤姫 幕末に迷い込んだ現代女性

まさむね

ロンハーの「抱かれたい芸人グランプリ」のリアリティ

ロンドンハーツの特別番組を見た。

「2008年抱かれたい芸人グランプリは!?」というコーナーがあってバラエティ番組としては久しぶりに面白かった。
内容は、何百人かの女性の俳優、アーティスト、アイドル、タレント等から抱かれたい芸人を選ばせて、それを発表していくという単純なものだが、これは一般視聴者からのアンケートではなく、投票するのが、具体的に限定された芸能人というところがミソ。
さらに、投票した芸能人の中には実名公表OKという人もいる。
だから、実名OKの女性芸能人から投票された芸人の喜び方にリアリティがあるのだ。
進行は、まず、2票入った芸人から発表し、段々票数を集めた芸人の発表へ。
今年の1位は、チュートリアルの徳井だった。ある意味、納得。
    ◆
しかし、いまだ名前を呼ばれない芸人も沢山残っている。
残るは1票か0票、すなわち、少なくとも一人だけには「抱かれたい」と思われたか、そうでなかったのか。
この差は大きく、ひな壇に並んだ芸人達に緊張感が走る。
この時点で、例えば、バナナマン日村、南海キャンディーズの山里亮太、ブラックマヨネーズの2人、ロバートの山本、FUJIWARAの2人、ジョイマン高木等が残っている。
そして、さらにボクイケメンの狩野英孝も残っているではないか。
    ◆
とにかく、悲惨なのは呼ばれない芸人だ。
一人づづ、名前が呼ばれていくたびに大騒ぎになるひな壇。
おそらく、こういったリアリティのある笑いこそ、ロンドンハーツの真骨頂なのであろう。
さんまのようにただ、自分が目立つためだけでもなく、紳助のようにただ、自分がネタを披露したいがためだけでもないリアリティのあるひな壇の使い方に淳のオリジナリティがある。
    ◆
さて、残りはあと、数人という場面、やはりこうなってくると、やはりカメラが抜く頻度が多くなるのが狩野英孝と山里亮太だ。
おそらく、狩野英孝は自分では上位も有り得ると思っていたらしく、願望と現実とのギャップの大きさに渋面になる一方。
もう、言わなくてもその顔だけで笑いが取れるシチュエーションになっていた。ある意味、一番美味しいポジションの獲得。
一方、山里亮太は逆に、このひな壇に自分が存在していること自体への嫌悪を顔に滲み出している。これはこれで狩野と五分五分の美味しさを獲得していた。
結局最後まで二人とも呼ばれず。
そして、最後のシーンでは、最後に呼ばれたブラマヨ・吉田への振りになってしまい、二人の心境はオチが付かないまま終わる。
まぁ、その無視のされ方は、それはそれで面白かった。
    ◆
しかし、終わってみれば、勿論、ベタに追い詰められていく芸人を見ているのは面白いが一方で、このシステム、逆から見れば、売出し中の若手アイドル(特にグラドル)の売名の場でもあるという二重性に気付いた。
すなわち、選ばれそうに無い芸人を選んで、実名公表OKとなれば、その芸人に投票したのが自分一人であれば、名前と小さいが顔も、必ず発表される。
しかも、周りの芸人達がこぞって「あの娘はめっちゃカワイイ娘やで」などと騒ぎまくるため、宣伝効果は抜群。
このコーナーは、少なくとも1000万人位は見ているテレビを活用しての、アイドル達の宣伝の場でもあったわけだ。
おそらく、多くの視聴者が、テレビを見ながら一方で、インターネットで検索しまくっていたのではないだろうか。
そして、その場でDVDを購入していたかもしれない。
最近はアイドルにとってはとにかくパッケージを売るのが大変な時代だ。これはまたとないセールスタイミングになったはずである。
もしも、自分がアイドルのマネージャーだったら、一人残りそうな芸人を実名公表OKで投票すると思う。
それは、「笑っていいとも!」の100人アンケートのように、1人にならなきゃいけないという逆にスリリングな投票になるけどね。

僕がマネージャーだったら、インパクトの強さから、山ちゃんに投票させただろうな。

まさむね

小泉・竹中の経済政策の間違いとは? ~『間違いだらけの経済政策』書評~

経済政策のどこが間違っていたのか。
著者の榊原英資は、基本的に小泉・竹中路線批判の立場でこの本を書いている。

そして、その間違いの根本原因は、政府のマクロ経済分析とそれを基に立案、実行された政策にあるという。
具体的に言えば、例えば、長すぎた日銀のゼロ金利政策のことだ。
時期は、表面的にはイザナギ以来の好景気と言われていた頃のことである。
しかし、一方では、その時期、デフレ状態も続いていた。
    ◆
そのデフレに対して、多くの経済学者は、インフレターゲットという言葉を使い、克服すべきものとして扱っていた。
確かに、その頃「景気はいいといいながら、給料は全く上がらない。景気は大企業にだけ恩恵を与えている」というような議論が喧しかった記憶がある。
しかし、そのデフレは決して悪質ものではなかったと榊原氏は言う。
日本企業が主導した、中国をはじめとする東アジア圏との経済統合の結果のデフレで、需要不足から来るデフレではなかったからだ。

しかし、その時点で、経済行政の中枢にいた竹中氏はデフレ=悪の図式から出ることは出来なかった。
マクロ分析にとらわれていたからだ。
そして、そこから演繹された政策が、政府が日銀に圧力をかけた末のゼロ金利政策である。

そして、それが、円安バブル、円キャリートレードを誘発。
円がアメリカに流れ、今日の金融恐慌の遠因を作ってしまったと榊原氏は言う。。
さらにその長すぎた低金利政策のために、本当に低金利政策が必要な現状(不況)に対する対応策の幅が狭くなってしまったということなのだ。
本書では、これら一連の状況に対する誤った分析とそこから導き出された一連の誤った政策に関して、僕のような門外漢にも、ある程度理解できるような言葉で書き下している。
    ◆
ご存知の通り、榊原氏は民主党のブレーンである。
民主党が政権奪取した時には、財務大臣候補とも言われている。
したがって、民主党の目玉政策である農家への個別支援なども、資源確保の一環としてサポートする立場のようだが、これを恒久に続ける気でいるのだろうか。
小泉・竹中改革によって、壊されてしまった地方における従来の談合コミュニティにかわって、地方をどのように立ち直らせていくのかということも考え合わせながら大局的な微調整をしていく必要があると思われる。
資源エネルギーが希少品化と、ハイテク商品の廉価商品化、そして世界経済のグローバル化という必然の流れを踏まえた上で、地方社会をどうして行くべきかという中長期的なビジョンとともに、農業政策をうかがいたいものである。

結局、榊原氏はこの本の中で、社会構造がどんどん変化している時代におけるミクロ政策と、それを有機的に統合するポピュリズムに陥らないような国家戦略の必要さを説いているのだ。
その観点から言えば、例えば、消費者庁設置などという「必要だけど、緊急ではない」政策の据え置きなどの政策のプライオリティ付けは絶対必要であると主張する。
そして、逆に、エネルギー政策を国家戦略として推進するエネルギー省の設置を提言している。
おそらく、榊原氏によれば、定額給付金などはさらにプライオリティの低い(お金があればやってもいいけど、やらなくてもいい位な)政策として断ぜられることだろう。
中長期的戦略とは全く関係の無いことだからだ。

かつて、90年代の日本の行政に関して田原総一朗は「頭の無い鯨」という言葉で評したが、その状態は、さらに悲惨になって現代でも続いてしまっているではないか。

しかし、それにしても、国民の信任を得た強力で戦略的な政権の誕生はいつ実現するのであろうか。
それが次の民主党政権にになるのか、政権再編された新しい政権になるのかわからないが、一刻も猶予がならないことだけは確かなようだ。

まさむね

一本気新聞今年のベストエントリー

今年復活した「一本気新聞」だが、今年のベストエントリーを勝手にあげさせていただく。

総合部門

1)隣の晩御飯と地域格差の実態
2)桜の欺瞞性と太田光夫妻
3)「私は貝になりたい」は何故失敗したのか
4)ジャイアント馬場は宮沢章夫の理想を体現していた
5)「源氏物語」誕生 1000周年に寄せて
6)ジョンレノンは労働者階級の歌が作れなかった
7)少子化を踏まえて日本はどうなっていくべきか
8)聖子とヨーコ
9)はるな愛が来年さらに飛躍するであろう7つの理由
10)民主党は小沢待受など配っている場合か

ニュース部門

1)天窓にオバサン 想像を超える不条理
2)元厚生次官宅襲撃事件の結末が示唆するもの
3)船場吉兆倒産 湯木佐知子さんへ捧げる歌
4)寺山と永山と加藤智大
5)北京五輪を覆う座り心地の悪さ
6)団塊 Jr.の女達、人生いろいろ
7)水道からドジョウの不条理な世界
8)後期高齢者医療制度に関して
9)プロレスとしての丸明
10)小室哲哉、夢に裏切られた男

ドラマ部門

1)大河ドラマ「篤姫」の視聴率がよかった11の理由
2)ROOKIES に心奪われた俺って何?
3)「スキャンダル」最終回に残した11の疑問
4)「四つの嘘」と「アラフォー」
5)ラストフレンズとは誰だったのか
6)なんかいつものクドカンとは違う「流星の絆」
7)鹿男あをによし 最終回で全ての謎はとけたのか
8)モンスターペレントとは誰だ?
9)14年前の「29歳のクリスマス」再放送の評価は?
10)「イノセントラブ」最終回に残された8つの不可解さ

J-POP部門

1)来年の紅白歌合戦にモーニング娘。が出場するにはどうすればいいのか
2)不安時代の旅人、ミスチル
3)(R&B)+平安文学=EXILE
4)桑田佳祐 普通のモテない男の妄想歌
5)安室奈美恵は孤高の戦士だ
6)「そばにいるね」は格差社会を正当化する
7)ジェロの海雪等 J-POPと日本の古典文学
8)「二人」aiko、その視線のリアリティ
9)千の夜をこえて、希望の唄、愛唄を歌え自宅で青年よ
10)70 年代ユーミンの役割

まさむね

花田家の家紋がいつの間にか替わった件に関して

先日、Yahooの特集に「【大相撲豪傑列伝】(13)力道山の肉を食いちぎった『土俵の鬼』初代若乃花幹士」という記事が掲載されていた。

記事の内容は、「二所ノ関部屋の兄弟子である力道山のシゴキを受けて強くなったが、けいこの途中で力道山の脛にかみつき、肉を食いちぎったことがある。力道山がプロレス転向後に黒いロングタイツをはいたのは、その傷を隠すためだったともいわれる。」とあるような武勇伝であるが、僕が気になったのは、その記事と一緒に掲載されていた写真だ。
おそらく、若乃花が優勝したときのパーティの写真(写真一番上の段)だろうが、若乃花の紋付の家紋が「丸に三つ柏」なのである。

花田家の家紋と言えば、思い出す事がある。
二子山親方(元大関貴ノ花)が亡くなった時の葬儀で、離婚した憲子さんが花田家の家紋のついた帯をしてきて、貴乃花親方(元横綱貴乃花)が激怒したあの件である。
この時、葬儀の壇上に大きく飾られた紋所は、「隅立ての四つ目結い」であった。
そして、憲子さんの帯にも「丸に隅立ての四つ目結い」が入っていたのだ。

勿論、その後、貴乃花親方、兄の三代目若乃花の正装の紋付にはこの紋が入っている。

さて、それでは何故、先代若乃花の家紋と二子山親方、あるいは貴乃花親方の家紋が違うのだろうか。
勿論、僕はここで、巷に流布している花田家に関するくだらない噂(真実の親子関係など)を云々しようとしているわけではない。
家紋というものが得てして、このように替わってしまうものだという事を確認したかっただけである。

花田家の家紋がいつの間に「丸に三つ柏」から「丸に隅立ての四つ目結い」になったのか。
そんなコロコロ替わってしまうものに対して何故、貴乃花はあれほどこだわったのか。
謎と言えば謎ではある。
しかし、それでもいいのである。
誰も真実をもって貴乃花に詰め寄るようなことはしない。
日本人というのは、おおらかなものなのである。
    ◆
本人が、これがウチの家紋だと言い張れば、それはそのウチの家紋になる。
これが、ウチの伝統だと思えば、それがウチの伝統になる。
正確な経緯とか、歴史の真実などどうでもいいのである。
例えば、井の頭公園弁財天の神紋にしても境内各所にある対い波に三つ鱗の紋の波の形が少しづつ違うではないか。
本当はどの形が正しいのかなどは野暮な疑問なのである。
これは推測であるが、二子山親方(元大関貴ノ花)が、「四つ目結い」は家族の絆の象徴だからと誰か(霊友会関係者?)に言われて、花田家の家紋として、採用しただけかもしれない。
ちなみに、和泉元彌の和泉家も「雪輪に隅立て四つ目結い」を家紋としている。
花田家、和泉家、ともに現代日本を代表する伝統芸の一家であるが、家紋の意味とは裏腹に、家族内のゴタゴタが事あるごとに漏れ伝わってきてしまうのは皮肉である。
    ◆
さて、歴史の真実と言えば、戦後、日本では戦前の日本がどうであったのかという論争がずっと続いている。
最近も、自衛隊の田母神氏の論文が問題になった。
おそらく、彼の論文に対して、真実はどうかという歴史考証のレベルで話をしてもそれほど実りがあるとは思えない。
重要なのは、田母神氏が信念を持って論文を発表したということだ。
おそらく、田母神氏が日本は決して悪くなかったと信じている。それは貴乃花が四つ目結いを伝統的に花田家の家紋であると信じているのと同じことだ。

それゆえに、もし、彼がいずれかの討論会などで完全に論破されたとしても、その後で一言つぶやくだろう。
「それでも、日本は悪くない」と。
    ◆
人が信じていることを替えさせるというのは、本当に難しいことだと思う。

まさむね

「イノセントラブ」最終回に残された8つの不可解さ

「イノセントラブ」の最終回。

誰か命を落とすのでは、と思っていたのだが、それはなかった。ここに来て、日本社会もの急速の不況で、死というものをドラマで扱いにくくなっているのだろうか、結局、誰も死ななかった。
「何があっても、生きていかなければいけないんですね。」という佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)のセリフが、今の時点でテレビドラマが発しなくてはいけない最低限のメッセージであることをよく表している。
ちなみに、最近のドラマにおける「生きなさい」というメッセージに関する詳細に関しては、。「篤姫」「イノラブ」「流星の絆」からの共通メッセージとは? をご参照ください。
    ◆
さて、今回の最終回であるが、教会の2階から飛び降りた聖花(内田有紀)。
とっさに助けようとして、彼女の下敷きになって頭から血を流す殉也(北川悠仁)。
昴(成宮寛貴)は「聖花は殉也の気を惹きたくて飛び降りたんだね。」と解釈する。

そして、脳に傷害を負う殉也は、聖花と同じく、人工呼吸器生活に。
病院のベッドで、殉也の手を握り、殉也への愛を告白する昴だが、殉也は全く反応せず。

必死に看病する佳音だが、立ち上がっても、殉也の記憶、感情が元に戻らない。
さらに、恋のライバルだった美月(香椎由宇)を呼んで、殉也の記憶を蘇らせようとするが、失敗。

続けて、殉也を暖かく看病する佳音。
ある日、公園で殉也に玩具のカメラ等を見せて殉也を笑わせる。
そのシーンを遠目で見ていた耀司。その足で教会へ行き、今まで、妹・佳音に抱いていた近親愛を吹っ切れたと、神父に告白。微笑む神父。
さて、公園に戻る。そこにあった赤い風船を見て、殉也が、聖花の事を思い出す。
佳音は、殉也が、本当は聖花の事を心の奥ではずっと好きだったんだと悟り、自分の身は引いて、殉也と聖花の2人で会わせようとする。
ところが、殉也は、聖花と一緒の時に、床に落ちた楽譜(殉也が佳音のために作った曲)で見て、その曲をピアノで弾きだし、「自分にとって大事なのは佳音なのだ」と悟り、急に家を飛び出して佳音がいるであろう教会に走り出す。
教会では、殉也と聖花のために、身を引き、落ち込む佳音がいた。
佳音に抱きつく殉也。そのままキスシーンへ。
そのシーンにかぶって、「愛に過去も未来も無い。好きだという気持ちの日々の積み重ねだ」みたいなナレーションが入り、ジ・エンド。
     ◆
最終回、みなさんはどう思われただろうか。
僕は残念ながらあまりにも不可解で、多くの謎を残したという印象だ。
そこでどこが不可解だったのかを以下の6点にまとめてみたいと思う。

1)殉也の気を惹こうとして、聖花が教会の2Fからダイブする。ってあまりにもリスキーじゃない?
前回の放送でも、耀司が妹・佳音の記憶を蘇らそうとして、殉也にナイフで襲い掛かるシーンがあったが、自分が起した行動とその結果との結びつきが、あまりにも、無理矢理な感じがする。
聖花の頭の中はどうなっているのか。そういった知恵はあるのか。昴への思いやりは無いのか。
脳の病気という事にしてしまえば、どんな唐突のな行動も許容されるというシナリオにはやはり、付いて行きがたいものがある。

2)殉也がピアノを自分で弾いて、大事なのは佳音だと気付くっていうのも、唐突じゃない?
聖花の教会ダイブと同様に、「イノセントラブ」における脳に傷害を負った人の行動があまりにも非論理的過ぎて付いていきがたい。
聖花も殉也も同じ類の傷害なのだろうが、時々、ただ口が聞けないだけの人々のようにも見える。

3)神父は何故、耀司の内面をすぐに理解できるの?
自分の今までの邪心を反省し、これからは心から妹の幸せを祈れると、教会で手を合わせる耀司だが、そばにいた初対面の神父(内藤剛)に自分の気持ちを打ち明けると神父はすぐに理解を示し、微笑む。
神父というものは状況の詳細がわからなくても、懺悔してくる人には必ず、微笑むものなのだろうか。

4)身を引いたはずの佳音が、殉也と教会で再会するとすぐにまたキスするっていいの?
殉也の「本当の」幸せを願っている佳音だが、一度は諦めたくせに殉也が迫ってくるとすぐに、キスに応じる、って変わり身、早過ぎない?

5)殉也の記憶を呼び起こそうとして美月を家に呼ぶ佳音、虫が良すぎないか?
殉也の記憶を呼び起こしてもらおうと、家に美月を招くが、結局成功せず。
またもや美月の心を傷つけることに。佳音はちょっと残酷ではなかったのか。
最初から最後までかわいそうな美月。
と思ったら、最後のエンディングシーンで笑ってオルガンを弾く姿も。どうやって、立ち直ったのか。

6)昴と聖花はこれからどうするの?
自分にとって大事だったのは、殉也と気付いてしまった聖花。
振られてしまうわけだが、一方で愛情の注ぎ先を失っている昴が、そんな聖花とそれまでのような暮らしが出来るのか。疑問を残したまま終了してしまった。

7)佳音と殉也はどうやって生計立てていくの?
最初から、引越しばっかりしている佳音の経済状態は気になるところだったけど、殉也が半植物になっちゃった今、佳音のピアノバーのアルバイトだけでやっていけるのでしょうか。
老婆心ながら気になるところだ。

8)結局、イノセントラブというは、誰の誰に対する愛のことだったのだろうか。
大きなところ、この疑問に尽きる。
これはみなさんにも是非考えていただきたい点である。

まさむね

井の頭弁財天の恋人破局伝説とテレビドラマの結末

先日、吉祥寺の井の頭公園に行ってきた。
都会の中のオアシスという言葉があるが、まさに、そんな感じだ。

さて、井の頭公園と言えば、弁財天である。

ここの弁財天は歴史がある。
天慶年間(938-946)に清和源氏の祖・源経基が最澄作弁財天を奉納して建立したのが元だという。
その後、源頼朝が宮社を建立、新田義貞が戦勝祈願したとも伝えられている。(神社公式HPより)
さて、弁財天の神紋は、「対い波に三つ鱗の紋」。人形町の水天宮の弁財天の神紋もそうでした。
境内には、提灯、賽銭箱、手水場等、様々な所にこの紋が見られるが、それぞれ微妙に違う。

また、狛犬の古さが、この弁財天の歴史を物語る。
台座には明和八年とある。1771年のことである。この頃の狛犬は、胴長でユーモラスな御顔の創りのものが多いが、この狛犬もそうだ。
ちなみに、写真は、口をあけているので正確には、「阿形の獅子」というべきか。
    ◆
ご存知の方も多いかと思うが、井の頭公園にカップルで来ると、ここの弁財天が嫉妬して、別れさせてしまうという伝説がある。この公園はドラマロケが多い公園としても有名であるが、この公園でデートした男女がドラマの中で、その後、どうなったのかを見てみよう。

1)「愛していると言ってくれ」
1995年にTBS系で放映。主演は紘子(常盤貴子)と晃次(豊川悦司)。
この公園で何度と無く過ごす二人だが、結局は別れてしまう。
しかし、最後の何年後かのシーンで偶然再会。将来へ若干の含みは持たせてあるが...

2)「ひとり暮らし」
1996年TBS系で放映。主演は美歩(常盤貴子)、他出演は、恭子(永作博美)と高弘(高橋克典)、千勝(高橋和也)。
一方的に美歩のことが好きだった千勝は美歩を誘って、井の頭公園でデートするが、結局実らず。

3)「仔犬のワルツ」
2004年にNTV系で放映。主演は葉音(安倍なつみ)と芯也(西島秀俊)。盲目の葉音と一緒に散歩するシーンがある。
二人は、愛し合っていたが、ドラマの最後では結ばれず。
ラストシーンでは、葉音が芯也を銃で撃つ?らしい銃声が...

4)「ラストフレンズ」
2008年にCX系で放映。主演は美知留(長澤まさみ)、瑠可(上野樹里)、タケル(瑛太)。
タケルがこの公園で瑠可を抱きしめて告白するも、瑠可は性同一障害のため、永遠に実らず。

偶然なのか、意図的なのか、4つのドラマとも、愛のすれ違い、あるいは愛を超えた運命によって、カップルは結ばれることは無かった。
    ◆
ところが、この日は、日曜日。
二人で楽しそうにしているカップルが多かったこと。

まさむね

NON STYLEは吉本だからM-1に優勝したわけではない

今年のM-1グランプリはNON STYLEが優勝した。

実は、僕は決勝に残った3組の顔ぶれを見た瞬間にNON STYLEが優勝すると思った。
それは、僕が3組の実力を事前に知っていたからではない。

理由は簡単だ。NON STYLEが吉本興業の所属だから、そして、ツッコミの井上祐介が女好きのするキャラだからだ。ちなみにナイツはウッチャンナンチャンや狩野英孝と同じマセキ芸能社、オードリーは田辺エージェンシー系のケイダッシュ所属である。

ご存知の通り、M-1は、紳助の企画、吉本興業の主催である。
ただし、他の事務所のタレントも参加する事が出来る。
しかし、ここで毎回、吉本興業所属タレントが優勝するわけにはいかない。大会自体のリアリティを保持するためだ。

歴代優勝者を見てみよう。(大阪、東京などは省略)

第1回:中川家:吉本興業
第2回:ますだおかだ:松竹芸能
第3回:フットボールアワー:吉本興業
第4回:アンタッチャブル:人力舎
第5回:ブラックマヨネーズ:吉本興業
第6回:チュートリアル:吉本興業
第7回:サンドウィッチマン:フラットファイヴ

しかし、結果として吉本興業が圧倒的に強い。おそらく、彼らには実力もあるのだろう。

しかし、正直なところ、このM-1優勝者というは利権である。
これに優勝すると少なくとも向こう一年位の東京のバラエティの席がなんとなく確保されるからだ。

それゆえ、何回かに1回、このグランプリにリアリティを持たせるために、他事務所所属を優勝させるが、基本的には、その場所は吉本興業がキープする。
そう考えるのが当然の事だと思うのだ。
別に不正があるというか、そういう事をいいたいわけではないのでご理解ください。
例えば、プロレスにおいて、ベルトの価値を高めるために、たまに、ヒールにベルトが移動するのと同じことなのだ。

また、今回都合よく、NON STYLEが決勝に残った。今まで、確かに吉本興業のタレントが4組優勝しているが、その後、テレビで一番成功しているのは、チュートリアルである。
そして、その理由はただ、徳井のルックスにあると思われる。
M-1の時、あるいは漫才をするときの徳井の妄想キャラを封印したバラエティ時の徳井はむしろ、普通のキャラである。
しかし、重要なのは「芸」があることではなく、お茶の間に好かれる「顔」を持っていることなのだ。
そういう意味で、吉本興業の上層部が、NON STYLEの井上にお茶の間向け「顔」を見出すのはごく、自然のことだと思われるなのだ。

それゆえに、今年の優勝者は、吉本興業のNON STYLEというわけである。
ちなみに昨年、優勝したサンドイッチマンだが、残念ながら「顔」的には、売りが無い。しかし、今年一年のオートバックスの頻繁なるCMを見ていると、昨年優勝の背景には、イベントスポンサーのオートバックスからのなんらかのプッシュがあった可能性が感じられる。勿論、あくまで推測である。
     ◆
確かに、今日のNON STYLEは素晴らしかった。
紳助が言ったように、ナイツやオードリーに比べても抜群によかった。

そういう意味で、上記のような予定調和の予想に対して、それを予定調和と思わせない芸の実力が彼らにはあったと思う。

実は、吉本興業は同様の状況で、最近、失敗しているのだ。
TBSの「キングオブコント08」でバッファロー吾郎を無理矢理(?)優勝させて、逆に東京進出を失敗させているのである。
あの時は、決勝戦を、吉本興業の後輩達(ロバート等)に審査させるという酷なルールが問題になり、その不明瞭な結果に、逆に芸人が傷つくという結果になってしまったのだ。
そういう事件(?)を踏まえた今回、NON STYLEにとって、この本番は、いつも以上に凄いプレッシャーがあったと思う。

しかし、NON STYLEは見事にそれを跳ね返した。
見事の一言である。

今後、東京のテレビにおいて、彼らはどんどんチャンスが与えられていくだろうが、是非とも生き残っていってほしいものである。
     ◆
最後に最近の漫才は「笑い場」の頻度が異常に高くなっているのに改めて驚いた。
ボケが暴走し、それにツッコミを入れる間に、ツッコミを半分無視して、さらに暴走しているボケがすかさず、ボケるという展開。
正確には数えていないが、おそらく5秒に1回位の笑い場頻度なのではないか。
かつて、80年代のB&B、90年代のダウンタウンが出てきたとき、それぞれ、展開の速さに驚いたものだが、もしかして、それらを今見たら、物凄くスローモーに見えるかもしれない。

北野たけしや島田紳助達が漫才を封印してしまった理由がわかるような気がする。

まさむね