チベットはもともと独立国だ

チベット問題を云々するのは中国への内政干渉なのだろうか。
中国の主張によると元の時代からチベットは中国(シナ)の領土とのことだが、その「元」だって、モンゴルの征服王朝じゃなかったの?
その後、チベットはシナ(元、明、清)に対して、独立といえば、独立、冊封体制下と言えば、冊封体制下、領土内と言えば、領土内という曖昧な状態をダラダラ繰り返したんだよね。
例えば、明時代に発表された「大明一統志」によるとチベットは完全に明とは別(平凡社の「世界歴史辞典」より)とされている。
でも、そんな状況の中、シナの王朝は、権力の源泉である「徳」をチベットの聖人からの承認で得るという精神的な結びつきがあった。ようするに相互信頼と尊敬があったんだと思う。

以下、「チベット」多田等観(岩波新書)からの引用です。


ツァムカパは国の内外より厚く敬仰せられ、明の太帝はたびたび使を派して来朝を請うたが、辞して赴かず、弟子のジャムチェンチュウゼを代理としてシナに派遣した。太帝と仁帝はラマ教に深く帰依し、西蔵大蔵経カンギュール部の上梓を行わしめた。世に永楽版大蔵経と称しているのはこれである。

五世ラマは1652年清朝に迎えられて、北京城に入り、国師としての禮遇を受けた。この時、北京に西黄寺を建立し、世祖から西天大善自在仏という尊称を贈られた。

パンチェンラマ・パルテンエシェは乾隆帝70歳の賀宴に招かれて、北京を訪問した。乾隆帝はこれに先立って熱河に避暑山荘と名づける離宮を造営し、壮大な八大ラマ廟を建立して大いにラマ教に庇護を加えた。
~(後略)

現状、中国政府はダライラマ14世を罪人として扱っているが、そこをまず改めないと問題は解決しないんじゃないの?

まさむね

日銀総裁、本当に大変な仕事なの

日銀の副総裁が決まらないと言って、大騒ぎしている。
なんとしても政権交代したい民主党の策略とのことだ。

それにしても、日銀の副総裁というのはそんな、重要な仕事なのだろうか。

あえて言わせてもらえれば、実は、日銀総裁、プロ野球の監督、クラシックの指揮者等は誰でも出来るのはないか?
(勿論、ある程度の知識は必要だが...)
指揮者で言えば、アシモ君でも出来るらしいし、トリノオリンピックのオーケストラも指揮者の手パクだったんでしょ。

日銀新総裁の白川さんの初仕事のG7中央銀行総裁会議前の記者会見で「日本のバブル崩壊後続いた金融危機に対処したノウハウと経験をもとにサブプライム問題の対応の議論に貢献したい」的な意気込みを語ったが、アメリカFRB会長に「日本の状況は参考にならない。アメリカが10年間も金融危機に気づかないことはないからだ」とケンもホロロだった。笑える。

まさむね

本田医師って大物なのか

王理恵(ソフトバンク王監督の娘、いろんなもののアドバイザー)と本田医師(朝青龍の精神科医。実はヒルズの包茎矯正医師との噂も...)との婚約破棄がワイドショーで話題になっている。

ただ、ワイドショーネタとして小粒感は否めないが、これで視聴率が取れるということは、突然、別れを切り出された男VS突然、醒める女という図式がそれなりに普遍的だからからではないのか。

俗耳に入る婚約解消理由として、デートの時に、本田医師が納豆蕎麦を注文した(あるいはその食べ方)のが原因と言われているが、俺個人的にも近くで納豆は食べてもらいたくない。

そういえば、その昔、なんの映画だったか忘れたが、女性が男性に「今日は納豆、食べないでね」という隠喩として「今晩はOKよ」というサインを出すシーンがあったな。

本田医師もその映画を見てればよかったのにね。

まさむね

人工透析はじまる

今月から保険で認可されたC型肝炎の人工透析治療をはじめている。
人工透析はすでに、2回行った。首に管を入れて、血を抜き取り、浄化し、手から浄化された血液を流し込む。
(+インターフェロン注射、レベトールの投薬のあわせ技)という治療だ。
入院した日に、すぐに医者、看護師達にいきなり首に麻酔を打たれて、管を差し込まれたのにはビビッた。

まさむね

党首討論で久々に見たリアル高笑い

久々にドラマではない現実世界で高笑いというのを見た。

笑いの主は国会の党首討論における小沢一郎だ。福田康夫が「かわいそうな位ですよ。」と懇願しているのを一瞥しての高笑いだ。
ヒール大物政治家の面目躍如と言ったところか。

しかし、そもそも、ヒールがその象徴として見せる高笑いはいつから始まったのだろうか?

例えば、古事記では、号泣し、そして怒りの感情を露わにするスサノウはアマテラスとの対比で完全にヒールだ。(高天原を追放された後は、そうでもなくなるが...)また、源氏物語でも、ヒール役の弘徽殿女御は、常に怒り、嫉妬、蔑みの感情を隠さない。

相手に対して、不快となるであろう感情を隠さないというのが古来からの日本におけるヒールの所作なのかもしれない。

今後、研究/考察してみるつもりだ。

まさむね

入院その日にいきなり

入院しました。

午前中に先生が入ってきて、いきなり首に管を付けられた。

部分麻酔が効いているとはいえ、脂汗が出る。

この首の管と腕に管をつけて、血液を透析機で洗浄するんだ。

首に管がささったみたいな状態になったもんで、妻はピノキオみたいって言う。
この状況、微妙に笑えます。

まさむね

C型肝炎 明日から入院

ついに、明日から入院だ。

C型肝炎の人工透析治療がはじまるのだ。

去年はインターフェロン注射のため、2週間の入院をしたが、今年も2週間~3週間程度の入院予定。

ちょっと不安です。

まさむね

純恋歌&愛唄 老後の手つなぎ願望

純恋歌(湘南乃風)は2006年の、愛唄(Greeeen)は2007年の大ヒット曲、両方とも実質、プロポーズの歌であるが、以下のような共通点がある。

1.君のために一生歌い続けるよ。(ただし歌はヘタ)
2.手も握り続けるよ。
3.お互い老人になってもそれは続けるよ。

これが「結婚」という言葉をつかわない現代風プロポーズなんだろうか。

この歌詞の共通点を見ると感じるのだが、現代の若者は、今の幸せな二人の状態が、働き盛りの年代の様々な問題を一気に飛ばして、そのまま老人にワープすることを理想としているのではないかと思えてくる。

それを裏付ける統計として例えば、最近の「生活に関する満足度調査結果によると、男女ともに、20歳代と70歳代の満足度が高くて、いわゆる働き盛りの30歳代~60歳代のそれは低い。
おそらく、20代の人も、そんな上世代の人々との現実的な接触の中で、あと数十年はつらい日々が続くということを薄々わかっているのではないか。

ロマンスの影に隠れた現実回避願望が透けて見える。と同時に、不安な世の中を背景としていわゆる現役時代は”面かぶりクロール”で泳ぎきり、早くゴールして隠居したいという本音が透けて見えると言い直すべきだろうか。


純恋歌(湘南乃風)より

今すぐ会いに行くよ手を繋いで歩こう
絶対離さない その手ヨボヨボになっても
白髪の数喧嘩してしわの分だけの幸せ
二人で感じて生きて行こうぜ

LOVESONGヘタクソな歌で愛をバカな男が愛を歌おう
一生隣で聴いててくれよ

愛唄(Greeeen)より

ヘタクソな唄を君に贈ろう
めちゃくちゃ好きだと神に誓おう!
これからも君の手を握っているよ

僕の声が続く限り
隣でずっと愛を唄うよ
歳をとって声が枯れてきたら
ずっと手を握るよ

まさむね

桜(4)中世における死霊の宿り木

ねがわくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ (西行)

自分が死ぬんだったら、満開の桜の木の下で死にたいってことでしょうか。これは同時に、桜の花になって生まれ変わりたいっていうのも深読み出来るんじゃないかな。桜の花を生まれ変わりの象徴として、あるい、桜の木を生まれ変わりの霊の宿り木として観念するのが、中世の特徴からね。

例えば、世阿弥の能「忠度」でも、死霊がよみがえるために満開の桜の木を必要としている。また、「西行桜」では、桜の木を宿り木として、老人の精をよみがえらせる。

桜の木は時として、死者を想起させる「幽玄」の場(この世と霊界との通り口)として現れるんだよ。

そういえば、隅田川沿岸にならぶ桜並木は明暦の大火の被災者を追悼するために、徳川吉宗が植えさせてたらしいし、上野の山は彰義隊で死んだ幕府側の勇士のために桜を植えたという。

近代に入ってからは、「桜の木の下に死体が埋まっている」と書いた梶井基次郎が有名だが、その観念は、ORANGE RANGEの「花」まで続いているのかもしれない。

生まれ変わってもあなたのそばで花になりたい...

※この話題に関して、「家紋の文化史―図像化された日本文化の粋」(大枝 史郎)を大いに参考にさせていただきました。

まさむね