2009年大相撲初場所を振り返る

大相撲の初場所は面白かった。

勿論、朝青龍の23回目の優勝は素晴らしかったが、朝青龍に関しては、こちら(朝青龍完全復活は格闘家としての本能の勝利だ)をお読みいただくとして、このエントリーでは他の関取について書いてみたい。

まずは、優勝決定戦で朝青龍に敗れた白鵬について。
白鵬は静かな横綱である。初日から世間の話題が朝青龍に向いている中、独り黙々と横綱の務めを果たし、静かに勝ち進んでいた。
あまりにも危なげなかったため逆に話題にもならなかったのだ。
大鵬、北の湖などの全盛期の「横綱相撲」を思い出させるような立ち振る舞いだ。
今場所は朝青龍に優勝をさらわれたが、白鵬が第一人者である事には変わりない。
来場所、また頑張って欲しい。

次は大関陣だ。
魁皇の勝ち越しが何よりも嬉しい。魁皇に関しての詳細はこちら(大関という生き方 -魁皇論-)をお読みいただければと思う。
どうしても九州場所までは土俵に上がり続けて欲しいと切に願う。

琴欧洲は、久々に動きがよかった。
おそらく、精神的にも好調だったのである。
先場所までのどこか暗い表情が、今場所は自信に満ち溢れていた。
惜しむらくは、6日目の安美錦戦だ。すばやく横に廻られて、一気に出されてしまった。
また、10日目の千代大海戦も残念だった。
千代大海にも大関の意地があるのだろう。ツボにはまると思わぬ力を発揮する。さすがだ。
上記の2番をもし、乗り越えていたら、朝青龍の11日目で全勝決戦になっていたはずだ。
そうであれば、また別の結果が出ていたかもしれない。
いずれにしても来場所楽しみだ。

日馬富士の初日からの4連敗は意外だった。
ただ、体調が悪いようには見えなかった。おそらく、精神的なものだろう。
雅山戦、稀勢の里戦で、前に落ちてしまったが、これらは明らかに体が堅くなっていたからだ。
調子をつかめば、いつかは盛り返してくるだろうと思っていたが、さすが、14日目に勝ち越してくれた。

関脇以下でも、何人も注目すべき関取がいた。

まずは、把瑠都だ。特に白鵬戦はすばらしかった。まるで横綱同士が闘っているようながっぷり四つの大相撲。
今場所のベストバウトのひとつだ。
特に、この一番の前の把瑠都のコメントがいい。
「がっぷりになれば何とかなる。」
今をときめく、白鵬を前にしてのこの自信、さすが大物だ。
そして、千秋楽の日馬富士との一番も凄かった。
いくら軽量とはいえ、相手は大関、それを足を取って、そのままつり出してしまった。
まるで大人と子供だった。
今場所、途中で負けが重なってしまったが、気にする事は無い。来場所、優勝すら狙えると僕は思う。

一方、把瑠都と同様のヨーロッピアン力士は今ひとつだった。
阿覧は負け越してしまった。
本来の荒々しさが、影を潜めてしまった。
よく、阿覧に対して、「相撲を知らない」「型が無い」と言われることがあるが、僕はそうはそれは大きな問題だとは思えない。
阿覧には阿覧らしく、相撲取りの以前の格闘家の精神を忘れないで欲しいからだ。
極論するならば、阿覧には、無茶な張り手や力任せの寄りを見せて欲しい。
大相撲の「明日」にとっても、異種格闘技を取り込んでいった方が、よりエキサイティングな見世物になるからだ。
同様のことは、栃ノ心にも言える。
栃ノ心は千秋楽でようやく、勝ち越すことが出来たが、今場所では、彼らしさはほとんど見られなかった。
あの懐の深さと、サンボヨーロッパ王者としての技術を生かしたオリジナルスタイルを是非確立してほしい。

今場所注目していたが、一番残念だったのが武州山だ。
30歳を超して、新入幕、勝ち越しての今場所だったが、幕の内上位には全く通じなかった。
出っ腹に撫で肩のくたびれた肉体、いいではないか。来場所勝ち越して、何とか、幕内に踏みとどまって欲しいと願う。

色黒の元気者、嘉風と豊真将の活躍も目立った。
特に嘉風の動きの良さと気持ちの強さは、朝青龍戦を持ち出すまでもなく、素晴らしい。
今場所、いろんな事を学んだであろう。将来が楽しみだ。

白鵬、朝青龍、日馬富士以外のモンゴル勢も総じていい動きをしていた。
時天空が久々に勝ち越した。千秋楽の豊真将で見せた足技はこの人オリジナルだ。こういう個性的な力士は好きだ。
旭天鵬が前頭一枚目で勝ち越し、来場所の三役復帰に期待を持たせてくれた。すでに36歳になるのに、その肉体はまだまだ輝いている。
鶴竜の動きの良さも目立った。明日の日馬富士は、この鶴竜だ。
朝赤龍、光龍、玉鷲は残念ながら負け越してしまったが、十両では、翔天狼、白馬が十両優勝決定戦を争うほど元気だ。
また、個人的に注目なのは、今場所負け越してしまったが保志光だ。彼の肉体のユニークさは特筆物である。早く幕の内に上がってきてほしい。
十数年ほど前、確かに、小錦、曙、武蔵丸等のハワイ勢は活躍していた。
しかし、彼等の次の人材が続かなかった。ゆえにその流れは絶えてしまった。
一方、モンゴル勢は次々に新しい才能が上がってくる。
その勢いは凄い。
彼等の運動神経、ハングリー精神に対して、日本人はどう対抗して行ったらいいのだろうか。今後の大相撲界の大きな課題である。

嬉しかったのは、新入幕の山本山の勝ち越しだ。
来場所もまた幕の内での相撲が見られるからだ。
四日目の将司戦で見せた、圧倒的な押し、中日の垣添戦で見せた土俵際での打っちゃり気味の上手投げ、十四日目に見せた怒涛の決め出しすべてが彼の持ち味だ。
惜しむらくは、千秋楽での木村山との一戦。動かれ、横から攻められ、押し出された。ここで勝っていれば9勝。さらに上に上がれたのに...

ちなみに、今場所のベストバウト5は以下

1位:初日の朝青龍VS稀勢の里(朝青龍の意地が見えた)
2位:三日目の千代白鵬VS鶴竜(二人で土俵狭しと動き回るこれぞ相撲)
3位:二日目の若の里VS普天王(一見地味なこの対決。思わぬ名勝負に)
4位:九日目の白鵬VS把瑠都(一番の力相撲だった)
5位:十日目の白鵬VS日馬富士(日馬富士の維持が爆発)

逆にがっかりさせられたのは七日目の把瑠都VS琴欧洲。
この二人の怪物対決、いつも期待するのだが、いつも一瞬で勝負がついてしまう。
この二人が白鵬対朝青龍のような名勝負が見せられるようになれば、この二人の時代が来ると思うのだが。

まさむね

朝青龍完全復活は格闘家としての本能の勝利だ

大相撲初場所が終わった。

結果はご存知の通り、朝青龍が23回目の優勝を果たした。。
貴乃花の22回を抜き、北の湖の24回にあと1回と迫った。大記録だ。

思えば、今場所の朝青龍は、誠に危なっかしい出足だった。
三場所の全休。稽古も十分に出来ていない。
場所前のけいこ総見では、白鵬に全くかなわなかったという。
多くの評論家が今場所は出場さえしないのではないかと予想していた。
そんな中で朝青龍は出場を強行したのだ。

最悪の場合、引退をかけての出場になる。大丈夫か朝青龍。

初日は、そんなプレッシャーの中での稀勢の里戦である。
もともと、苦手としていた相手だ。大相撲協会も酷なことをするものだ。
    ◆
その一番、立ち会いに稀勢の里に突っ張られ、右上手を取られ、土俵際まで追い詰められた。
しかし、そこから朝青龍の逆襲が始まる。
その後、左を巻き変えて怒涛の逆寄り。
最後は、右と左と、稀勢の里への顔面に張り手。
追い詰められた横綱の意地が表れた瞬間だ。

朝青龍の強さの源はこの意地である。
格闘家本来の、絶対に負けたくないという気持ちが人一倍強いのだろう。
勿論、日々の稽古が大切というのは言うまでも無いことであるが、朝青龍の存在は、それ以上に本番での気迫が重要である事を改めて示してくれた。
    ◆
同様のシーンは、7日目の嘉風戦でも見られた。
嘉風は、先場所、前頭12枚目で11勝し、今場所、初めて朝青龍と対決する位置(前頭2枚目)まで上がってきた新進気鋭の若武者である。
普通、初顔合わせの力士は横綱に対しては、ほとんど何も出来ないのだが、この嘉風は違った。
立会いのから激しい張り合いの応酬、その中で嘉風は、朝青龍の顔に張り手に行ったのである。
勝負は、朝青龍が送り出しで辛勝したものの、勝負がついた後、勝ち名乗りを受けている時でもまだなお、朝青龍は嘉風をにらみ続けていたのだ。

「横綱としての顔」を超えた、格闘家・朝青龍としての本能を垣間見せた一瞬であった。
おそらく、こういった表情を出せる力士は、朝青龍をおいて他にはないのではないだろうか。
相撲の本質はやはり、格闘技である。そして、格闘技の本質は相手を倒したいという本能である。
そして、現在の大相撲の力士の中で、その格闘家としての本質を、最も身に付けているのが朝青龍なのである。
    ◆
そして、ついに迎えた本日の優勝決定戦。
本割の立会いに失敗し、白鵬に完敗して、1敗同士で並ばれた朝青龍。
決定戦を待つ間、支度部屋で立会いの練習を繰りかえす朝青龍。
一方の白鵬は目をつぶって精神統一。
対照的な二人の姿。追い詰められた朝青龍、と誰もが思っただろう。

しかし、朝青龍は強かった。立会い鋭く、白鵬の左下手を引き、頭をつける。白鵬に左をささせない。
そして、一気に白鵬を土俵の外に寄り切ったのだ。

おもわず、土俵上でガッツポーズを見せる朝青龍。
日頃、「横綱の品格」とやらを口にするような。いわゆる・うるさ型(やくみつるや内館牧子達)を完全に黙らせる、乱れ髪のままの喜びのポーズだ。
そして、花道を引き上げていく時、うっすら目に涙を浮かべて顔をぬぐう朝青龍の姿は、誰をも感動させたシーンであった。
    ◆
まだまだ朝青龍は大丈夫だ。
今回の優勝も嬉しいが、来場所からも、またその勇姿を見れるのは何よりも嬉しい。

まさむね

与六の女っぽさは兼続の兜の「愛」にどう繋がるのか

NHKの大河ドラマ「天地人」。直江兼続の少年、青年時代の与六(妻夫木聡)の放映が続いている。

ここで気付くのは、少年時代はともかく、青年時代の彼は、なんとも「女性的」に描かれているということだ。
      ◆
例えば、後日、妻になるお船=おせん(常盤貴子)との出会いの場面だ。

人々でごった返す道路に、突如としてあばれ馬が突っ込んでくる。
逃げ遅れそうになった女の子を助けようとして、身を挺して女の子を抱きかかえ、その場にうずくまる与六。
そこに迫り来る暴れ馬。
与六の大ピンチだ。
その時、その暴れ馬に飛び乗り、暴走を止める一人の女性の姿が。その場を収めてその女性が与六に言う。
「この頃の若サムライは馬の扱いも出来ぬと見える」
その態度に、ムッとする与六。
遠目からその女性を2度見し、鏡を見る女性らしさに微妙な笑顔。
そして、次の日の宴会で、その女性と再会して驚くのである。

言うまでも無く、この出会い>不快感>まんざらでもなく思う>再会というパターンは、ラブコメにおける出会いの紋切型である。
しかし、典型的なパターンではあるが、かつては男と女の立場は逆だったはずだ。
     ◆
また、与六は、主君の景勝(北村一輝)が、そのお船に惚れていると知ると、二人を接近させようとして、(景勝がお船に逢いたいという)偽りの手紙を書き、二人を逢わせ、それを影から覗く。
さらに、その後、故郷の母の体調が悪いと知ると木陰で一人泣き出すシーンも出てくる。

これら、与六の振る舞いは、どれもこれも、どう見ても、彼が「女性的」ということを表すエピソードである。
勿論、この「女性的」というのは、現実の女性がそのように振舞う仕草ではなく、芝居やドラマの中での「意味づけ」としての「女性的」にすぎないのであるが、どうして、これほど執拗に、与六を「女性的」にしたがるのであろうか。

そういえば、前作、「天障院・篤姫」では、少女期の篤姫(=於一)に対して、木登りをしたり、野原を駆け回ったり、「源氏物語」よりも「大日本史」が好きだったり、碁が得意だったりと、与六とは逆に「男性性」が付与されていた。
まるで、於一と与六、篤姫と兼続は合わせ鏡のようなキャラクタ設定だったのである。
     ◆
最近のドラマの多くが女性は「男性的」に、男性は「女性的」に描くのが勝ちパターンのようではある。
しかし、そのパターンを、現代ドラマと同様に、視聴率のために時代劇に持ち込むというのはいかがなものか。

一俗説によると、直江兼続が上杉家で重きをなしていく要因の一つとして謙信との衆道関係(ゲイ)にあったという。
真実はわからないが、例えば、篤姫の男性っぽさが、結局は、彼女が処女のまま生涯を終えるという「悲劇」の伏線になっていたように、この与六の女性っぽさが、大河では描けない「ひとつの可能性」の「ほのめかし」として、示唆的に扱われ、物語に厚みを加えるものであって欲しいというのは贅沢な願望だろうか。
そうなってくると、兼続の兜の「愛」の意味もより深みを増すと思われるのだが。

まさむね

-篤姫関連エントリー-
大河ドラマ「篤姫」の視聴率がよかった11の理由
篤姫が私達にくれた6つのメッセージ

大関という生き方 -魁皇論-

今場所十二日目。魁皇が豪風を小手投げで破り、12回目の角番を脱した。
この12回目の角番脱出は、千代大海と並んで史上最多の記録である。

そういえば、先場所三日目、若の里戦で左上腕を負傷して、途中休場した時はどうなることかと思った。
その時の痛々しい顔を見たとき、これで名大関・魁皇も終わりかと、正直そう思った。

しかし、今場所、魁皇は一番一番を慎重に取り進め、十二日目で見事、勝ち越し、そして大関残留を決めたのである。
しかも、この日の決まり手は、七日目に豊ノ島を休場に追い込んだ文字通りの必殺技、右小手投げである。
もしかしたら相手を壊してしまうかもしれない、という心配を胸に収めて繰り出した伝家の宝刀。
その瞬間、魁皇は、自分が生き残るために心を鬼にしたに違いないのだ。

今場所は、世間的には朝青龍の復活?引退?、新大関・日馬富士、あるいは、新入幕の山本山の活躍という話題で持ちきりだったが、多くの真性相撲ファンにとっては魁皇の動向こそが、関心事であった。
心あるファンならば誰もが、少なくとも、次の九州場所(魁皇の地元)までは、大関の姿で土俵の上にいて欲しい。それが、ファンの願望だったのである。

彼の優しそうな表情、黙々とした土俵態度、しかし、一方で、張りの無くなった体躯、膝の分厚いサポータ、塩が吹いて色褪せた回し...
そんな姿が、なんとも、愛おしく感じられる今日この頃だ。
優勝などという事はもう考えない、勿論、横綱昇進など思いもしない、しかし、一場所でも長く大関でありつづけたい、相撲を続けたい、というアスリートとしてはあまりにも低飛行な、しかし、困難な偉業を、この「哀愁を帯びた肉

体」は続けている。

長年、大相撲を見続ける、というか、眺め続ける理由の一つに、昨日と変らない今日に安心したいという、どうしようもなく保守的な動機がある事を誰も否定できないと思う。
そして、そういった視点から大相撲を見たとき、魁皇を初めとして、土佐の海、栃乃洋、出島、武州山、北桜達が醸し出すあの、哀愁としか言いようの無い世界が、どれだけ大相撲にコクを与えていることか、僕等はもっと感謝しなけ

ればならないのではないだろうか。

それらは、決して、純スポーツ的な振る舞いではなかったとしても、人間としての必死な生き方の表現には違いない。
だからこそ、僕達を惹きつけて止まないのである。

まさむね

ヴォイス〜命なき者の声〜 今後3つの期待

フジテレビ月9ドラマ、「ヴォイス〜命なき者の声〜」の放映を第2話まで見た。

ドラマの内容は、「法医学」をテーマに、法医学ゼミに属する5人の医学生の青春群像劇である。

その5人について説明してみよう。
1人目。大病院の跡継ぎとして医学部に来るが、親への反発で法医学ゼミを希望した石末亮介(生田斗真)。
2人目。子供の頃の母親の「心臓発作」に疑問を持っており、それが法医学ゼミに入るキッカケにもなったが、一方では、それが心のトラウマになってもいる久保秋佳奈子(石原さとみ)。
3人目。実家は歯医者だが、監察医が描かれた海外ドラマを見てハマって「法医学ゼミ」に入った、オタクの桐畑哲平(遠藤雄弥)。
4人目。元不良で、過去にトラブルがあり、その際、司法解剖のおかげで無実が証明された事をキッカケにして、バイトと猛勉強で法医学を目指した羽井彰(佐藤智仁)。

この4人に関しては、一応、キャラの設定がなされている。
特に、最初の2人、亮介と佳奈子(通称アキ)に関しては、それぞれ、克服すべきテーマも明確化されている。
亮介にとって、それはいわゆる「親超え」だし、アキにとっては、「過去の克服」である。
また、残りの2人は、どちらかと言えば、賑やかし的要素が強い。
ただ、哲平=お調子者のオタク、彰=熱血漢の元不良(本当はいい奴)という設定は典型的だが安定感はある。

そして5人目が、主人公の加地大己(瑛太)である。
しかし、この大己のキャラに関していえば、実は、微妙にしっくりこない感じがするのだ。

彼は、過去にも、将来にも特に問題(トラウマや不安)を抱えているわけではない。
明るい性格で、あまり周りに気を遣わない、好奇心旺盛で、人を巻き込むタイプなのである。

僕の見立てだと瑛太という役者は、「篤姫」や「ラストフレンズ」で見せた、ナイーブで、受動的、内面に抱えたモノと闘っているタイプの青年役がハマっているように見えるのだが、この「ヴォイス」では、逆に、積極的に、周りを巻き込むタイプの設定となっているのだ。
そこがしっくりしない原因なのかもしれない。

もっとも、瑛太にとっては、今回、月9ドラマとして、はじめての主演である。
これを機会に、俳優としての幅を、さらに広げてもらえればと思う。

さて、このドラマの今後の興味、あるいは期待であるが、僕は以下の3点を挙げておきたい。

1)様々なタイプの死への対応
ドラマのテーマは、事故、あるいは事件で亡くなってしまった死者の本当の死因を解明し、残された遺族(そして死者本人)に対して、その死が、「報われる死」であるような真実を取り戻してあげるという事である。
初回は、殺人死と思われた男の死を、過去に亡くした自分の息子の代わりに、「ある少年を助けるために自ら命を落とす男の死」というように解読する事によって、「優しかった」男という真実を取り戻す。
2回目は、妻の暴言によって家出しようとした男の突然死を、「実は、妻を愛するがゆえに亡くなった、愛情溢れるものだった」という真実にたどり着かせるのだ。
しかし、毎回、このように、死者=善人というパターンで乗り切れるものだろうか。あと10回位あるのである。
死には、本当の突然死もあれば、怨恨の殺人もある。
あるいは、現代的な死といえば、孤独死や、通り魔的な殺人もあるだろう。
このドラマが、現代的であろうとすればするほど、ヒューマニズムドラマとはかけ離れてしまう可能性がある。
そういった、多様な死を、このドラマは扱う(扱える)のだろうか。
扱わないとしたら、話のバリエーションをどうつけていくのか、そのあたりが楽しみだ。

2)チームプレイでの問題解決
今まで2話を見た限り、死因の究明、そして、「死者に対する物語の回復」は、ほぼ、大己(瑛太)の観察力と推理力でのみ、行われている。
他の4人は大己の行動に付き合ったりはしているが、実はそれほど、話に関わっているわけではないのだ。
せっかく、他に4名の個性的な友人がいるのだから、それぞれの性格、特技を生かした形での問題解決という展開も、期待したい。
あまり大己の能力のみが突出し過ぎると、「ヴォイス〜命なき者の声〜」がいつの間にか、江原啓之さんの「スピリチュアル・ヴォイス〜人生のきりかえ方〜」のようになってしまうのではないかというのは心配しすぎだろうか。

3)加地大己(瑛太)の物語はどうなる
先に、大己のキャラに関して述べたが、彼はあまりに普通すぎはしないか。
実は隠し持っている克服すべき「内面」があるのではないか。あるとしたら、そのように解決していくのか、そのあたり楽しみだ。
また、無理矢理セミに入れてしまった指導教授である佐川文彦(時任三郎)との関係はどうなっていくのか。
そして、月9の約束事でもある(おそらくアキとの)恋愛沙汰はどのように行われるのか。
などなど、ようするに、法医学的なサスペンス性とは別のところでの大きな流れが、まだ全く見えていない。
それらの展開に期待したい。

まさむね

「非婚同盟」を今すぐにでもゴールデンで放送してほしい

フジテレビの昼メロ「非婚同盟」(月曜日から金曜日までの13:30~14:00)が凄い。
1月5日に放送を開始して、3月末まで。全60回の放送予定。
すでに11回の放送を終了しているが、早くも目まぐるしい怒涛の展開だ。
    ◆
簡単に言えば、ある裕福な家族の家(の離れ)に、愛人の一家が移り住むことによって巻き起こる騒動というのが今までの動きである。
当然、そこで様々なトラブル&闘争&葛藤が起きる。
そして、それらの様々な出来事の連続で、全編=山場、いつも=劇的という凄いドラマになっているのだ。

そのドロドロな状況を、昼メロ特有の棒読み演技と、(思ったことは全て顔の表情で表現するという、)お決まりの露骨な演出が、さらにドラマを盛り上げる。
さすが、脚本は、「失楽園」「真珠夫人」「牡丹と薔薇」などを手がけた、ドロドロドラマ界の大御所、1935年生まれ、73歳の中島丈博。
70歳を過ぎて、いまだに、こんな世界を描き続けるパワーに圧倒されざるを得ない。

具体的内容だが、勿論、本妻・伊庭絹子(いとうまい子)と愛人・ 小幡圭子( 三原じゅん子)の慇懃無礼な嫌味合戦も、子供同士のののしり合いも凄いのだが、元はと言えば、そんな騒動を巻き起こした最大原因である、夫・伊庭猪士郎(風間トオル)の堂々とした無責任な存在感の方がもっと凄い。

そんな状況に嫌気がさして、愛人・圭子に対して、「お前の娘(連れ子)を強姦してやる!」「離れに火を点けてやる」と大声で凄む本妻の息子・俊彦(本間春男) 。
父親である猪士郎は、そんな息子に向かってたしなめるどころか、「若い頃はその位、元気じゃなきゃいかん、やれやれ!ははは。」と爽快な顔で、けしかけるのだ。

ここまで来ると、視聴者もツッコむ気にすらならない。
あらゆる矛盾をなぎ倒す位のパワーが溢れているである。

今後、公式HPによると、本妻は死、二人の子供の友情化、二人に対して別の”奴隷的”存在の女の子の登場、家の没落、成長、そして「非婚同盟」結成などへと進むらしいのだが、そんなあらすじをチラ見しただけで、圧倒される。
    ◆
最近、ゴールデンタイムのドラマはどれも大人しくなってしまった。
ただイケメンを並べただけの顔見せドラマ、スポンサーの顔色をうかがい過ぎているドラマ、善人だらけの微妙なすれ違いドラマが増える中で、この「非婚同盟」のような悪人だらけの、露骨で邪悪なパワー溢れた作品を思い切ってゴールデンに持ってきて欲しい。
現状の視聴率もいい。この時間帯で、最高で8.1%の数字を残しているのである
もしかしたら、大ブームを巻き起こす可能性が無いわけではないと思うのだが、いかがだろうか。

まさむね

2009年「銭ゲバ」は現代的価値観を提示出来るだろうか

「銭ゲバ」は元々1970年頃に少年サンデーで連載されたジョージ秋山の漫画である。
当時、作品の表現問題から一部の都道府県では有害図書扱いされたことがあったという。

それが、2009年にテレビドラマとして蘇った。
主人公の風太郎が1円玉を拾うシーンに続いて、のっけから、どこか大きな工場の生産ライン。そこは、労働者は人間として扱われていない世界だ。

一日の労働の後、毎日のように工場側から、その日で仕事を切られる労働者の番号と名前が呼ばれる。
それは、必然的に最近、話題になっている「派遣切り」の風景を彷彿させる。

約40年前の労働者の風景が、現代の状況とシンクロするシーンだ。
今クールのドラマが「ラブシャッフル」にしろ、「メイちゃんの執事」にしろ、明らかに時代とずれたフィクションが目立つ中で、「銭ゲバ」の世界観は、今だからこその露悪的な説得力を出し続けられるか、どうか。
おそらく、これがこのドラマの生命線になるであろう。
それにしても、松山ケンイチ(青森生まれ)の暗さは、十分、期待に値する存在感である。
    ◆
さて、その後、しばらくして、画面は主人公・蒲郡風太郎の子供時代へ。
彼が育った環境は、父親は飲んだくれ、母親が病気をおして働いて家を支える。そして、風太郎も新聞配達で家計を手助けする。
絵に描いたよな可哀そうな境遇である。
しかし、母親と風太郎の二人の食事風景はなんとも涙を誘う。
子役は、「光とともに」での光君役や、「流星の絆」での 有明功一の子供時代の役などで大人顔負けの演技を見せた齋藤隆成、そして、母親は、最近では、「モンペ」や「魔王」で母子家庭の母親役を好演した奥貫薫だ。
それにしても、仮に”幸の薄い役柄市場”というものがあったとしたら、この奥貫薫は独禁法違反になるくらい他の追随を許さないハマリ役者である。

貧乏な母子、母親は風太郎に以下のように言う。
「ちゃんと正直に一生懸命がばってれば絶対幸せになれる。神様は見ていてくれるから。」

そういえば、1970年、今からおよそ40年前、大阪万博があった年。おそらく、その頃は今以上に、貧富の差が激しい時代だった。
しかし、人々はこの母親の言うような、価値観を信じていた。
生きることは苦しくても、頑張っていれば、いつか幸せになれるという価値観を。

しかし、あれから40年、市場原理主義、新自由主義、グローバルスタンダードなどという価値観の大転換の大波が去った後、日本は、頑張らないと幸せになれないが、頑張っても幸せになれるかどうかは偶然に左右されるような社会になってしまった。
こんな社会で、いったい誰がこのような現実を前にして、必死で努力しした方がいいなどと自信を持って言えるだろうか。
現代の労働問題の本質は、職が無いというよりも、欲が無いということだと思う。
それは、2009年の価値観のもとで、人々は労働意欲を維持継続出来るかという問題なのではないだろうか。

さて、1970年の「銭ゲバ」では最終的に、この母親的な価値観が正しかったということになるのだが、現代の時代背景のこのドラマにおいて、最終的にいかなる価値観が勝利するのであろうか。
母親的な価値観の先を行く”現代的”価値を提示できるのか、そのあたりがこのドラマの見所となっていくだろう。
    ◆
さらに言えば、原作では風太郎は最終的に自殺するのであるが、このドラマではどうなるのであろうか。
そこも一つの見所だ。
昨年から今年にかけての、多くのドラマでは自殺防止メッセージが流され続けている。

例えば、「イノセント・ラブ」において、佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)がナイフで自殺しようとするが、殉也(北川悠仁)に制止される。
その時のセリフが「生きていて欲しい」だった。そして最終回に耀司は言う。「何があっても生きなくてはいけないのですね。」と。
大河ドラマ「篤姫」でも、主人公の篤姫(宮崎あおい)は、自分は死んで官軍の江戸総攻撃を回避しようとする徳川慶喜(平岳太)に対して、「あなたも家族です。」と言って、自害を阻止する。
また、「流星の絆」、真犯人だった刑事(三浦友和)が自殺しようとするが、自分の両親を殺された有明功一(二宮和也)はそれを許さない。
さらに、今クールの月9ドラマ「ヴォイス~命なき者の声~」の第一回放送では、自殺しようとする子供を救い自分が亡くなったしまった男(モロ師岡)の話であった。

その流れの中で、2009年の「銭ゲバ」はどういった結末を迎えるのであろうか。今から楽しみである。
    ◆
さて、ドラマの中身とは関係ないが、この「銭ゲバ」の提供クレジットには、株式会社スズキとコカコーラである。
コカコーラはいいとしても、昨年末に600人の期間労働者の削減を発表したスズキが堂々と名前を連ねているのはいい根性している。
ドラマの中で、労働者が冷淡にも切られるシーンがあって、CMに切り替わるとスズキのワゴンR。
どれだけのCM効果があるのだろうか。

ちなみに、キャノンは番組終了後に、ヒッチハイク扱い(視聴率に応じてCM料を決めるシステム)でCMを流していた。
御手洗会長は、はたしてこのドラマとCMのアンバランスを見たのであろうか。
興味深いところである。

まさむね

釘抜紋 -普通の作業具が語呂がよくて縁起紋に- 南方熊楠、麻生太郎、内柴正人...


釘抜きは打ち込んだ釘を抜くための工具であるが、家紋として採用されたのはその語呂。
「九城を抜く」すなわち、九つの城を陥落させるという戦勝の縁起もかついでいるらしい。

引き両紋もそうだが、単純な絵柄が目立つという事で好まれたのかも。
いざという時に戦場でも描けるし。

全国分布では27位。
福井県で21位、新潟県で22位、和歌山県で23位といったところが多い。


菅沼定盈 。1542年 – 1604年8月13日、 武将、大名。
野田菅沼氏3代目当主。上野阿保藩主。読みは、すがぬまさだみつ。もともとは今川家家臣であったが、桶狭間の戦い後は、三河国の松平氏(後の徳川氏)に帰属した。関ヶ原の戦いでは江戸城留守居役を務めた。家紋は六つ釘抜紋。


堀秀政 。1553年 – 1590年6月28日、 武将、大名。
美濃国出身。堀秀重の長男。読みは、ほりひでまさ。13歳の若さで織田信長の小姓、側近として取り立てられた。雑賀討伐戦では信長本陣から離れ、佐久間信盛羽柴秀吉らとともに一隊を率いる。本能寺の変以降は、秀吉に従う。画像は墓所にて。


田中吉政 。1548年 – 1609年3月23日、 武将、大名。
近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・八幡、三河国・岡崎、筑後国・柳河等で城下町を創り、その都市設計は現代でも高く評価されている。家紋は左三巴と釘抜き。


母里友信 。1556年 – 1615年7月1日、 武将。
播磨の国人であり、現在の兵庫県加古郡稲美町母里が本貫とされる。読みは、もりとものぶ。黒田二十四騎の中でも特に重用された黒田八虎の一人。「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話でも知られる。家紋は釘抜き紋。


山家公頼 。1579年 – 1620年7月29日、 武士。
出羽米沢出身。読みは、やんべきみより。伊達政宗の庶長子・秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行として同行。苛烈な藩政施策が藩主や他家臣との対立を招き、襲撃を受け死亡。死後、和霊神社(画像)が創建された。家紋は釘抜紋と抱き浪紋。


秀ノ山雷五郎 。1808年 – 1862年6月16日、 大相撲力士。
陸奥国本吉郡出身。本名は橋本辰五郎。読みは、ひでのやまらいごろう。第9代横綱。歴代横綱の中では一番低い身長(163cm)。39歳で横綱推挙。入門から横綱昇進まで19年かかった。東京都江東区の普門院に墓がある。家紋は細輪に違い釘抜き紋。


黒川良安 。1817年3月21日 – 1890年9月28日、 蘭学医、蘭学者。
越中国新川郡出身。読みは、くろかわまさやす。金沢藩医学館(現金沢大学医学部の源流諸校の1つ)の基となる金沢種痘所を創る。佐久間象山に蘭学を教授したことでも知られる。家紋は五つ鐶に反り釘抜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


跡見花蹊 。1840年5月10日 – 1926年1月10日、 教育者。
摂津国西成郡木津村出身。読みは、あとみかけい。東京・神田に跡見女学校を開校。これが後の跡見学園となる。書家としても活躍。跡見流といわれる書風を築き上げた。跡見家の家紋は重ね釘抜紋。文京区・光円寺の墓所には乱れ桐紋との合成紋がある。


江原素六 。1842年3月10日 – 1922年5月19日、 政治家。
江戸、角筈出身。幕府御家人の嫡子。読みは、えばらそろく。鳥羽・伏見の戦いでは、幕府側の指揮官として戦う。維新後は、自由民権運動に板垣退助らと共に参加し、後年には立憲政友会の結成に尽力した。また、麻布学園を創設。家紋は丸に釘抜き紋


山脇玄 。1849年3月3日 – 1925年10月7日、 司法官。
越前福井藩医の子。読みは、やまわきげん。ドイツに留学し帰国後、明治憲法の草案・起草に参画。法制局部長などを経て行政裁判所長官、貴族院議員となる。妻・山脇房子と共に山脇学園を創設。家紋は丸に釘抜き紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


横山作次郎 。1864年 – 1912年9月23日、 柔道家。
江戸の鷺宮出身。嘉納治五郎の講道館に入門し、富田常次郎西郷四郎、山下義韶と共に「講道館四天王」と称された。得意技は「払腰」。また、三船久蔵や前田光世の師匠としても知られる。家紋は丸に釘抜紋。画像は田端・大龍寺にて撮影。


澤柳政太郎 。1865年5月17日 – 1927年12月24日、 教育者。
信濃国松本城下出身。松本藩士・澤柳信任の長男。東北帝国大学初代総長、京都帝国大学総長(第5代)を歴任。いわゆる「沢柳事件」で京都大学を追われる。後に成城学校の校長、大正大学学長に就任。家紋は違い釘抜紋。画像は谷中霊園にて撮影。


南方熊楠 。1867年5月18日 – 1941年12月29日、 博物学者。
和歌山城下橋丁の金物商・雑賀屋の次男。読みは、みなかたくまぐす。歩く百科事典と呼ばれその言動や性格が奇抜で人並み外れていたため数々の逸話を残す。粘菌学者としても知られる。主著『十二支考』『南方随筆』。家紋は丸に釘抜き。


早速整爾 。1868年11月15日 – 1926年9月13日、 政治家。
広島県沼田郡出身。父は広島藩士中山源蔵。芸備日日新聞社主の早速勝三の養子となる。読みは、はやみせいじ。加藤高明内閣の農相、若槻禮次郎内閣の蔵相を務めた。死因は平将門の首塚の祟りとする説がある。家紋は違い釘抜き紋。墓所写真にて確認。


谷口尚真 。1870年4月17日 – 1941年10月30日、 海軍軍人。
広島県広島市田中町出身。読みは、たにぐちなおみ。連合艦隊司令長官、軍令部長を歴任。海軍良識派を代表した提督と言われ、その謹厳な人柄から「海の乃木」とも称された。最終階級は海軍大将。家紋は丸に隅立ち釘抜紋。画像は青山霊園にて撮影。


横田千之助 。1870年9月17日 – 1925年2月4日、 政治家。
下野国出身。読みは、よこたせんのすけ。立憲政友会の結党に参加し、将来の内閣総理大臣にと期待された。第2次護憲運動時には憲政会や革新倶楽部と和解して護憲三派の結成に奔走。後に司法大臣を務める。家紋は丸に釘抜紋。画像は青山霊園にて撮影。


野村吉三郎 。1877年12月16日 – 1964年5月8日、 外交官。
和歌山県和歌山市出身。藩士の三男。後に野村家に養子に行く。読みは、のむらきちさぶろう。軍人としての最終階級は海軍大将。阿部内閣の外務大臣、後に在米駐在武官として日米開戦回避に奔走。家紋は丸に隅立ち釘抜紋。画像は護国寺にて撮影。


小畑敏四郎 。1885年2月19日 – 1947年1月10日、 陸軍軍人。
高知県出身。男爵小畑美稲の三男。皇道派の中心人物。妻は元田肇の娘。 永田鉄山岡村寧次、とともに陸軍三羽烏の一人。最終階級は陸軍中将。戦後、東久邇宮内閣で国務大臣に就任。家紋は丸に重ね釘抜紋。「華族家系大成」にて確認。


藤村操 。1886年7月20日 – 1903年5月22日、 旧制一高の学生。
北海道出身。祖父の藤村政徳は盛岡藩士。日光の華厳滝で自殺。当時の社会に大きな影響を与えた。また、当時、藤村のクラスで英語担当だった夏目漱石の精神にも大きな打撃を与えた。家紋は六つ丁子に釘抜き紋。青山霊園の藤村家の墓所にて撮影。


柳宗悦 。1889年3月21日 – 1961年5月3日、 美術評論家。
東京府出身。読みは、やなぎむねよし。学習院在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え民芸運動を起こす。東京市目黒区駒場に日本民芸館を設立。家紋は丸に釘抜紋。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


邦枝完二 。1892年12月28日 – 1956年8月2日、 小説家。
東京市麹町区出身。読みは、くにえだかんじ。戦前は『お伝地獄』をはじめ江戸情緒豊かな官能美の世界を描く時代風俗小説家として知られる。戦後は『東京一代女』『千姫』等多くの佳作を発表。家紋は丸に隅立て釘抜き紋。画像は多磨霊園にて撮影。


ヘンリー大川 。1905年9月9日 – 1971年5月27日、 俳優。
埼玉県草加市出身。本名は、大川平八郎。草加宿開拓者の大川図書の子孫、大川家13代頭首の三男。渡米し、ハリウッド映画デビュー。帰国後、成瀬巳喜男監督の作品に多数出演。代表出演作は『戦場にかける橋』。家紋は丸に釘抜紋。東福寺にて撮影。


鶴彬 。1909年1月1日 – 1938年9月14日、 川柳作家。
石川県河北郡高松町に竹細工職人の子として生まれ、叔父・喜多弁太郎の養子となる。本名は喜多一二。読みは、つるあきら。プロレタリア文学の影響を受けた反戦的な川柳を多く残し治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監される。家紋は丸に釘抜き紋


中村元 。1912年11月28日 – 1999年10月10日、 印哲・仏教学者。
島根県松江市殿町出身。読みは、なかむらはじめ。国際的な仏教学の権威。西洋哲学にも幅広い知見を持ち東洋と西洋の超克を目指す。代表作は『ブッダのことば』『般若心経・金剛般若経』。家紋は丸に釘抜き紋と五三桐紋。画像は多磨霊園にて撮影。


伊藤雄之助 。1919年8月3日 – 1980年3月11日、 俳優。
浅草区東仲町出身。兄は二代目澤村宗之助。息子は俳優の伊藤高。父方の祖父は尾張藩に仕えた300石取りの武士の家柄。『少年諸君』で映画デビュー。『プーサン』『気違い部落』『ああ爆弾』などで主演をつとめる。家紋は丸に釘抜紋。


麻生太郎 。1940年9月20日 – 、 政治家。
福岡県飯塚市出身。総務大臣、外務大臣、自民党幹事長、内閣総理大臣(第92代)を歴任。べらんめえ調の語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。家紋の違い釘抜き紋は麻生グループの社章(画像)にもなっている。


高橋信之 。1957年4月30日 – 、 出版プロデューサー。
出身は東京都大田区。本名は高橋信幸。学生時代にSFファン集団「宇宙軍」を設立。80年代にスタジオハードを創業。初めて「コスプレ」という言葉を雑誌記事に使用。家紋は釘抜きに点だが、実家墓所には点が省略されているという。


内柴正人 。1978年6月17日 – 、 柔道家。
熊本県合志市出身。読みは、うちしばまさと。9歳の時から柔道をはじめる。旭化成所属。得意技は巴投げ。アテネ、北京両オリンピックで金メダルを獲得する。北京五輪で優勝した時に、家族に声をかけた名シーンを残す。家紋は違い釘抜き紋。


音月桂 。1980年6月19日 – 、 女優。
埼玉県鴻巣市出身。本名は木村桂。読みは、おとづきけい。宝塚歌劇団元・雪組トップスターとして活躍。主な主演作品は『ノン ノン シュガー!!』『ロミオとジュリエット』『フットルース』『JIN-』等多数。家紋の丸に釘抜き紋は卒業時の写真で確認。

ヘンリー大川の家紋は、染谷彰氏の撮影。

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まさむね