女の友情篇「スキャンダル」第8話を読み解く

TBS日曜劇場「スキャンダル」の第8話。
残念ながら、いわゆる”謎”の解明に関してはほとんど進展はなかった。

ひとつ明確になったのは、新藤たまき(桃井かおり)の子供・駿介が実は既に死んでいたということだ。
前回のエントリー、『第7話 急展開の「スキャンダル」を読み解く』で、僕は駿介はたまきの前の夫と一緒に出て行ったのではないかとの推理をしたのであるが、それはなかった。

ただ、この駿介の部屋には、彼が亡くなった当時と全く同じ状態で残されていた。
たまきは、駿介の死以降、この部屋を開けたことが無かったという。開けることによって、そこに駿介がいないという現実に耐えられなかったのだ。
そして、何年かぶりにその部屋に入ったたまき。
貴子(鈴木京香)、ひとみ(長谷川京子)、真由子(吹石一恵)も一緒にその部屋で、たまきと号泣する。
サスペンス物として見ていた視聴者の涙をも誘う名場面になった。勿論、僕も泣いた。

泣きはらした後、それによって、さらに友情の絆を深めた4人。
そこに、たまきの夫・哲夫(石原良純)が帰って来て、理佐子(戸田菜穂)からの手紙を渡す。
番組HPによると、そこには、「真実を知りたければ、日曜日に結婚式を挙げた教会に来て」とあったという。
4人はそこでどんな”真実”を目にするのだろうか。

さて、ここで再度、現時点での”謎”を整理してみよう。

★何故、理佐子の携帯電話を久木田が持っていたのか。
これは、少なくとも結婚式の前の時点では理佐子と久木田はグルになっていたことをあらわしているのではないか。
ただ、その後、理佐子がなんらかの理由で久木田のもとから離れていったのではないだろうか。
おそらく、それには、その結婚式の夜のラブホで傷害事件が関係しているのに違いない。
おそらく、理佐子は、あの晩、久木田とグルになって金沢を脅そうとしたのではないか。
あるいは、全く逆に、金沢が理佐子を脅迫。逆上した理佐子がナイフを手にして...という可能性もある。
そして、そこには、久木田の他に、哲夫、雄一、秀典(沢村一樹)も絡んでいた..がこれはまだまだ謎だ。

★理佐子が結婚式の前に賢治(遠藤憲一)、秀典に借金を依頼していた。
これは、何のための借金だったのか。金沢への手切れ金だったのか?

★貴子が理佐子の携帯に電話したとき、一度、男が出ている。
今考えてみると、これは哲夫の声だったのではないか。哲夫が理佐子を駿介の部屋に匿っていたということを考えれば、これはほぼ間違いない。
ということは、この時点で、久木田、理佐子、哲夫は元々、グルだったということになるのだろうか。
しかし、何故、哲夫が電話に出たのか?これはまだ謎である。

★久木田が何故、貴子にモーションを掛けつづけるのか?
これは、純粋に久木田の貴子に対する愛情と理解していいものなのか。おそらくそれは無いであろう。
あるいは、最終的には久木田が貴子から、金を引き出そうとしているのか。それも現時点では不明。
久木田が貴子に対して、理佐子からの「別れ」のメールを見せたというのも、久木田が貴子の気を惹くための自作自演だったのではないだろうか。
また、今回の放送で久木田がわざわざ、貴子の家に行くシーンがあるが、これは2人の関係を夫の秀典に見せることによって、秀典を疑心暗鬼にさせ、貴子と秀典を別れさせようとしているとしか考えられない。

★久木田がアメリカに行った様子が無い。。
根本的な疑問として、久木田は、実は国際ピアニストではないのではないか。別人なのを偽っている可能性というのもまだあると思われる。

★何故、理佐子は久木田の前から逃げなければならないのか
理佐子は久木田に対して、まだ秘密があるようである。
次回の放送で、理佐子は哲夫のもとからも逃げるということであるが、金沢、久木田、哲夫と逃げ続ける理佐子、次に行くのは、どこか?真由子の夫、賢治のところか?

★結婚式の晩、金沢と一緒にラブホに入るときの理佐子が貴子を見る表情(敢えて、貴子にその姿を見せつけようとしているような表情にも見えなくはない)
貴子の心を乱そうとしたのか。この表情の意味はいまだ不明。

冒頭にも述べたが、今回の放送は謎の解明に関して、ほとんど進展は無かった。
しかし、4組の夫婦の仲は確実に崩壊の方向に向かっている。

そこで初回の結婚式における理佐子の4人に対する「私は勝ったわ」というセリフに戻りたい。
理佐子は、今回の一連の騒動で4人の結婚生活を壊すことを、勝つと表現したのかもしれない。
そうすると、あの結婚式の晩に、理佐子がバーでナンパゲームを仕掛けたことも別の意味を帯びてくる。4人のアバンチュールの危険と甘さを味合わせようとしたという事になるからだ。

さて、4人は、現状の夫婦生活よりも、かけがえのない友情と、人生における新しいステージ、見せ掛けではない本当の愛をつかむのであろうか。
最終回の最終的な映像としては4人が幸せそうに並んで歩くシーンが思い浮かぶが、はたしてそうなるのか。
残り2回。まだまだ、予断を許さない。

まさむね

アラフォーの応援歌 『Love ~Winter Song~』(福原美穂)

TBS日曜劇場「スキャンダル」の主題歌、福原美穂の『Love ~Winter Song~』が素晴らしい。

ここ最近、青山テルマやEXILE等、どちらかといえばモノローグ的(ささやき系)の楽曲がヒットチャートの上位を占めていたが、久々に開放的なキャラクタの登場だ。

そういえば、数ヶ月前に「特ダネ」で小倉智昭さんが絶賛していたのを思い出す。
小倉さん曰く、とにかく格段の歌唱力で、ロサンゼルスの黒人教会で彼女がゴスペルを披露したとき、参列していた信者達が号泣したというエピソードがあるという。
日本人はとかく、本場におけるそういった伝説に弱いのだが、福原美穂の歌は、そういったギミック(売らんがための仕掛け)が不要なほど、魅力的に思える。

その歌詞のポジティブさは特筆ものだ。

世界中にありったけの花束と喜びを
あなたに出会えたこと 大事な宝物だよ
この手の中 溢れている小さな笑顔や涙
あなたの瞳(め)に映る未来を 祈っているよ

先週、「29歳のクリスマス」の再放送をしていたが、その主題歌『恋人達のクリスマス』は福原美穂が最初のテレビオーディションで披露したというが、思えば、1994年に放送されたこの山口智子、松下由樹のトレンディドラマの登場人物の世代がちょうど、今、いわゆるアラフォー世代と呼ばれている人たちだ。
おそらく、彼女達の明るさ、溌剌さは今年の流行語大賞に選ばれるほど、現代日本では突出した存在なのではないだろうか。

ちょうど、男女雇用機会均等法が施行された頃に就職した彼女達は、最も仕事(そして自分の人生)に対して、前向な世代と言われてきた。
彼女達は、今の20代の女の子達よりも、結婚後のキャリア継続願望、あるいは、自己実現願望が強いのだ。

この『Love ~Winter Song~』、「Around40〜注文の多いオンナたち〜」の主題歌『幸せのものさし』(竹内まりや)、そして『恋人達のクリスマス』も加えた3曲は、そんな彼女達の応援歌としてこれから年末・年始にかけて、カラオケ屋を賑わせてほしいものである。

まさむね

ジャイアント馬場は宮沢章夫の理想を体現していた

先日、爆笑問題のニッポンの教養・早稲田大学スペシャル平成の突破力~ニッポンを変えますか?~を見ていたら、宮沢章夫さんが出演していた。
宮沢さんは、80年代に「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」で、90年代前半に「遊園地再生事業団」で演劇界を席巻。「彼岸からの言葉」「わからなくなってきました」等のエッセイも有名だ。
その宮沢章夫さんが今、演劇に必要なものとして「くたびれた肉体」という事を言っていた。

確かに、演劇的に鍛えられた肉体が舞台の上に立つよりも、普通の人が普通に生活していって、年をとっていくと陥る、いわゆる「くたびれた肉体」が舞台の上で普通に歩いている方がおもしろい。

実は、それを実現したのが、90年代の大人計画だった。そこでは、いわゆる肉体的鍛錬をされていない役者達が織りなすリアリティのある混沌劇が展開されていた。
松尾スズキ、温水洋一、宮藤官九郎、阿部サダヲ、池津祥子、井口昇、宍戸美和公等、現在も活躍している役者もいるが、大人計画の舞台は、まさしく、まばゆい演劇空間、宮沢さんが言うところの今後の可能性を感じさせるものであった。

しかし、かつてその可能性を具現する大物が、演劇界とは全然別なところに場所にいた。

それがジャイアント馬場である。

宮沢さんがいうように、演劇界から今後の可能性として待望されていた「くらびれた肉体」と、大衆エンタテイメントの権化であるプロレス界に孤高の存在感をキープし続づけてた大物ジャイアント馬場。
僕の中で見事にハイブリッスパークを起しているのだ。

僕にとって、確実に馬場さんの肉体は、他の追随を許さない孤高の存在であった。まとめるとそれは以下の点においてだ。

1)馬場さんの肉体は、足のサイズも含め、圧倒的に巨大だった。
2)馬場さんの肉体は、アスリートとしては、完全に老いていて、自然体で猫背であった。
3)馬場さんの動きそのものが老人的であり、起き上がる時などにロープを手すりのように使用していた。
(※ちなみに、生前の馬場さんは、定期健診で運動不足です。といわれたという)
4)馬場さんの肉体は、対戦相手や観客をが、思わず気遣はざるを得ない空気を醸造していた。

特に馬場さんの動きは、農耕民族の所作に根ざした日本古来の動きに基礎を置いていたような気がする。
例えば、あの曲がった腰は、長年にわたって田植えをした者のみに特権的に与えられる年季を感じさせたし、技でいえばそのストンピングは麦踏の、ロープを背にした16キックは農作業後に温泉につかる老爺のくつろぎを想起させる。

それは、アングラ舞踏家・土方巽の動き=思想と無意識的通底しているといっても過言ではないだろう。

しかし、馬場さんはそうした宿命的な自分の体躯に対しては、ある種のコンプレックスを持っていたらしい。
一般マスコミが馬場さんを取材するときには必ず、事前に、「大きいですね」とは言わないようにという緘口令があったという。
この、スター性と残酷さの背中合わせの関係。エンタテイメントという言葉の裏に張り付く見世物という本質。
そのことを馬場さんは痛いほど認識していたのではないか。
それゆえに馬場さんが身に付けていた独特の暗さ。我々は忘れることが出来ない。

そして、残念なことにその馬場さんは1999年に他界してしまった。
プロレス界がそれ以降、衰退をたどった事は言うまでもない。
残念ながら、それ以降のプロレス界は、馬場さん(そして猪木)の遺産で食いつないでいると言わざるを得ない。

極論するならば、馬場さんの奇跡的生れ変り以外、プロレス界復活は無いであろう。
それが無理ならば、我々はいつまでも馬場さんの勇姿と、その暗さを心の中に刻んでおきたいものである。

まさむね

C型肝炎治療の副作用のかゆみは半端じゃない

ここ数ヶ月、顔面のアレルギーがひどくて、先月、レベトールを中止。
ドクターと相談して、インターフェロン注射(週1回)だけにした。

そのかわり、クラリチンという飲み薬を一日一回服用しています。
これは、ラムネみたいに甘くて、結構好きかも。

でも顔のかゆみと赤化はあいかわらず。
辛い毎日。
後、病気治療開始以降、体重が減っていて、今日なんかは、54.3kg。
身長が174cmだからちょっとヤバイよね。

体力なくなってきていて、歩くのは大丈夫なんだけど、上半身の筋肉が...
本は新書じゃないと読めない。ハードカバーは重くて(笑)

まさむね

年越しカウントダウンって なんとなく苦手だ。

大晦日に年越しカウントダウンとかあるけど、微妙に嫌じゃない?

僕の場合...

だいたい8くらいから、嫌な予感がして、
6くらいで、0になったらどういう顔すればいいか悩みだして、
3くらいで、ヤバイッ。もうすぐだと不要の緊張感がして、
1くらいで全てを諦める。
0でみんな一斉に「おめでとう」とか叫ぶ。

とりあえず無事終わったことはよかったが、何が嬉しいんだかという疑問は残ったまま、作り笑い。

いつから日本に入ってきた風習なのだろうか。少なくとも子供の頃にはなかったけど。

僕はやっぱり、除夜の鐘が好きだ。

まさむね

勝間和代は宗教か? ~『読書進化論』書評~

知的であるということには2つのタイプがあるように思う。

一つは、『読書進化論』の著者・勝間和代氏のような、知性を前向きに活用できるタイプ。
そして、もう一つは『悩む力』の著者・姜尚中氏のように、内向的に思考を掘り下げていけるタイプだ。

多くの人は両極の間を行ったりきたりする。
僕はというと、知的かどうかは別にして、タイプとしては、基本的に姜的なタイプだが、一方で限りなく勝間的なものに憧れている。
それは、矛盾しているのだが、時に、姜的な世界に対してはその暗さを揶揄してみたりするものの、勝間的な世界の明るさを軽んじてみたくもなるのだ。

では、この勝間的明るさとはいったい何なんであろうか。
『読書進化論』のなかで彼女はこう語っている。読書に関してのところだが、典型的なところを抜き出してみよう。

よく「本を読め、本を読め」といいますが、「読んだ本の成果は仕事や生活で活用しなければならない」と、私はずっと思ってきました。(『読書進化論』P22)
繰り返しになりますが、本は全部を隅々まで、読む必要は無いのです。ウェブを頭から全部読む人はいないのと同じように、本の全体像の中から、好きなところだけ拾い読みしていけばいいのです。(同書P121)
(本の)著者たちは、私たちが自分の人生のミッションを達成するための、よりよい人生経験、楽しさ、知的好奇心、豊かさ、考え方、教養、興味、哲学、そのようなさまざまな刺激を本を通じて与えてくれるのです。(同書P231)

自分の人生に活用するために本を読むこと。これは、全く正しい姿勢だ。反論の余地も無い。

しかし、僕のように長年、そのようには本を読めてこなかったタイプの人間にとって、それは、1%の違和感を感じざるを得ないのも事実だ。
僕は買った本の9割以上は全部読む。途中で、自分の関心外の本だとわかっても一応、全部読む。だから結果として無駄の多い本読みになってしまう。
それは、意地みたいなものだ。
しかし、そうやって苦労して頭を通過させた本の中の言葉達は、フッとした瞬間に、頭の中で氾濫を起す。
それが、1日後なのか、1ヶ月後なのか、1年後なのか、それはわからないのだが、僕にとっては、それが面白いのだ。しかし、それが実生活で役立つものかといえば、100%あり得ない。
僕は、ナンパしてつきあってみて、「あ、違った」と思ったときに、「お友だちになりましょう」とさよならする、のと同じ(同書P82)ようには、本が読めない性分なのだ。
ていうか、現実の人間に対してもナンパしてつきあってみて、「あ、違った」と思ったときに、「お友だちになりましょう」とさよならする事自体もなかなか出来ない性分なのである。

もしかしたら、僕は、勝間氏の拠ってたつ価値観に、どうしても同調出来ないのかもしれない。
勝間氏が言うところの、人生のミッションというような考え方に馴染めないのかもしれない。

おそらく、彼女の発想の起源は、アメリカ発祥のニューソート思想(気持ちを前向きに持つ事によって運命が開けるという考え方)が、生長の家等の新宗教や、自己啓発セミナー等に乗って入ってきたものに近いのではないか。
しかし、この考え方は意識しようとしまいと、現代日本人の正しいとされる発想の根本に根付いている考え方だと僕は思っている。

例えば、今年の春に大ヒットしたTBS「ROOKIES」というヤンキー系野球ドラマがあった。
そこにおいて、最後、川藤先生(佐藤隆太)がナインにこう叫ぶ。

臆病でためらいがちな人間にとっては一切が不可能だ。
なぜなら、一切が不可能のように見えてしまうからだ。
あきらめて振ったバットには絶対、ボールはあたってくれない。
だが、自信を持って振れば目をつぶってだってあたることがある。
お前たちが努力して、手にした最大の宝、可能性だ。

この前向きさは、おそらく、多くの現代日本人の心にスッと入ってくる強いメッセージ性を持っている。
そして、同時に、これは、勝間氏の価値観と通底しているように思える。
さらに、これは、僕にとって、宗教の世界とも、深い親和性があるように思えるのだ。

この著書の中でも、いわゆる勝間信者からの報告が掲載されている。いくつか抜粋してみよう。

《蓮》さん
『時間』の本を契機に10年やめられなかった煙草をやめられました!(中略)日々の小さな努力を大切にできるようになったのが、私にとって一番の
ご利益です。(同書P107)
《あんちゃん》さん
私も「
ご利益体験」を挙げれば数え切れませんが、みなさんが多く書かれていないようなものを紹介させていただきます。(同書P114)
会社員《とらぬ狸》さん(47歳)の話
勝間さんの本は、ほぼ全部読ませていただいております。(中略)また、「自分にとって大切だと思うことには出費を惜しまない!」という発想の転換を得て、興味を持った本は迷わず買う/出張時の宿泊ホテルをランクアップするといった行動に結びつき、大変な
ご利益を得ております。

彼、彼女達が口にする”ご利益“という言い方。
これはまさしく、勝間氏の発想自体は優れて知性的だが、受け取るほうは宗教として受容している、という皮肉を表しているようにも思える。

でもそれが悪い事なの?って言えば、全くそんな事は無い。
先ほどの読書論と同様、これは、全く正しい姿勢だ。反論の余地も無い。それはわかっている。

しかし、もしも、僕が勝間氏の考えを受容したとしても、体のどこかで姜的なものが、時々、違和感の氾濫を起すような予感がするのだ。

だから、どうしても勝間本に関しては、距離を置いてしまう。
ただ、一方で、その氾濫を逆に『悩む力』と肯定する気にもなれない僕もいる。
なかなか簡単にいかないのである。

「わかっちゃいるけど止められない」とはスーダラ節の一節だが、僕は49歳になっていまだにその言葉から出れていない。

まさむね

2008年FNS歌謡祭 斬らせていただきました

FNS歌謡祭
FNS歌謡祭

恒例のFNS歌謡祭が昨日あった。
4時間を越す長丁場。これだけ長いといいシーンも悪いシーンも、いいアーティストも悪いアーティストもごった煮状態。

勝手に概観を語ってみたい。

ノッケに出てきたのがSMAP。
ツアーの最終日という事で、札幌の会場からの生中継だ。
番組の冒頭にSMAPでつかんでという意図は分かるのだが、演目が無名曲だったのが残念。
「夜空のムコウニ」「世界に一つだけの花」位のサービスがあってもよかったような。
だって、クサっても歌謡祭だからね。
局とアーティストの力関係が露骨にでた瞬間でもあった。
ちなみに、いつもの草彅剛が不在のため、フジの局アナが司会。時々ニュースとか読んでる顔の四角い人。
剛とは四角つながりか。そんな安易な人選でよかったのか。

さて、SMAPのパフォーマンスだが、そこそこ...いや、実は辛かった(笑)...

二番手はWAT。SMAPの後だから、逆に実力を示せばチャンスかと思ったが、こちらも残念、轟沈。

そして、次は大橋のぞみと藤岡藤巻のポニョ。(親父の一人は過労で不在。のぞみちゃん無関心。)
さて、ポニョには、のぞみちゃんが歌えば、それがスタンダードになるという強みがある。
音のはずしも、当て振りの遅れも含めて彼女がやることが正解なのだ。

この後は、順不同。気になったアーティスト羅列させていただきます。

まずは、広瀬香美。
片桐はいりではなく広瀬香美。
周囲にPerfume、Pabo、青山テルマ、絢香を従えてのメドレーの披露。
Perfumeは音声にデジタル処理してないと結構辛い。
Paboの歌はカラオケ並か。
聴かせところは、絢香とテルマの歌合戦だが、押しの強さで絢香に軍配上がる。さすが大阪人。
本人・香美は、残念ながら高音出ず。

芸能人の”お仕事”をバッチリ披露したのが、郷ひろみ。
いつでも、ギャラ分のパフォーマンスは必ずこなす安定感は随一。
おそらく、郷ひろみがいつまでも若く見えるのは、彼が他のアーティストとの比較が成り立たないほどユニークなためか。
逆に言えば、SMAPなんかは、同類として嵐とかNEWSとかと比較されるから、劣化した印象を貫禄でごまかすしかないという辛さはあるよね。

途中、登場してきたのが、自称・エンタマイスターの小倉智昭氏。
たまにカメラが向くゲスト席で一人で、はしゃいで手を叩く。
そんなに首振って”帽子”ずれないか?
マイクを向けられ、嵐のことを「普通のいい子達ですよ」とバッサリ。これって褒めてるの?一応、スターなんだけどさ。
一方、EXILEには気を遣って、尊重。
そのEXILEは2曲披露。艶かしい。可も無く、不可も無く。

今年初といえば、ジェロ。
HIP-HOPのバックダンサー付きのパフォーマンス。
この人、実は、こういう音楽やりたいのかも。
10年後、独り言で「本当は、ダンスミュージック好きだったんだ。演歌はおばあちゃんに無理やり歌わされてたんだ」って告白したりして。
それにしても、この人の持ちネタとしての「おばあちゃん孝行」はいつまで続くのか。
その日本人のおばあちゃんの他にも、おじいちゃん二人、もう一人のおばあちゃんいるだろうに、それらの方々の話はいつも一切無しだからね。

その他、ミスチル、ゆずのトイズ系は無難。
浜崎はSEASONSのアカペラ頑張った。耳大丈夫か。いろんな意味で正念場。客席にTOKIOいたが、カメラ捕らえず。
そして倖田來未。今年を振り返るも、羊水発言には触れず。当たり前か。

それに織田裕二。誰もが山本高広のパフォーマンスが目に浮かんでしまう昨今、周りの人たちが微妙に気を遣っていて、薄暗い苦笑。
一瞬、ゆずの北川とツーショットに。「お互い月9数字取れませんな」とのヒソヒソ話が聞こえてきそうな場面。

そしてV6。簡保さんが踊ってた。それだけ。
TOKIOは地味な扱い。個人的に松岡のドラムとか上手だと思うんだけどさ。
矢島美容室の歌は実は僕は好き。途中マイク飛んだけど、声は聴こえてた。さすがタカさんだ。ただ、この矢島美容室企画って、代理店臭が強すぎない?

番組の間に入る過去の映像。ジュリーや山口百恵、松田聖子、やっぱり時代を創ったアーティストって魅せるよね。
でも一番インパクトがあったのが、尾崎豊。これこそ、一曲入魂というのだろう。
トップを維持しようとするとき、SMAPのように貫禄を出す方向に行くという手段もあるが、尾崎豊のように常にその番組で、一番のパフォーマンスを目指し、闘い続ける姿勢をくずさないアーティストの方がインパクトあるよね。

あっという間の4時間半。最後にまたSMAP。
「この瞬間、きっと夢じゃない」を披露。特にコメントなし。

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まさむね

 

中山康樹はターザン山本だ ~『ビートルズの謎』書評~


つまり『ホワイト・アルバム』の限定番号は”限定”でも”通し”でもなく、たんなる”数字”あるいは”番号”にすぎなかった。したがって同じ番号が何枚もしくは何十枚と存在する。
そしてそのことは、質問されれば真相を知っている人間は答えたかもしれないが、誰もそのようなことを質問しなかった。誰もがその番号を「自分だけの番号」と信じて疑わなかった。(中略)
より正確にいえば「自分が持っている『ホワイト・アルバム』は自分だけの番号と思い込んでいた。その意味ではビートルもファンも同じ立場だった。

-「ビートルズの謎」(講談社現代新書)中山康樹 P164-

この本を読むまで、僕も『ホワイト・アルバム』のシリアル番号がユニークだと思い込んでいた。
ちなみに、僕が所有しているLP(70年代中盤に購入)のシリアル番号は、A190657だったが、この番号をパスワードに使ったこともあった。
CD発売時に、シリアル番号がついていないというだけで、これは本当の『ホワイト・アルバム』ではないと、勝手に維持を張って買い控えた。

そんな僕達の気持ちは一体、何だったのだろうか。

おそらく、目から鱗が落ちるというのはこういうことを言うのだろう。
ちょっと考えれば分かることだが、全世界に無数に有るプレス工場のシリアル番号を、長年に渡って管理し続けるなんてこと出来るわけがないではないか。

その通りだ。しかし、魔法とはこのような事をいうのかもしれない。
それは解けて初めて嘘だとわかる普通の事実のことなのである。また一つ、ビートルズに教わった。

しかし、さらに面白いのはその魔法にビートルズ自身がかかっていた(あるいはまだかかっている)という皮肉だ。

前著の「これがビートルズだ」において中山康樹氏はこのように述べる。

ビートルズに関する歴史や数々のエピソードもまた、その音楽に匹敵するくらいおもしろい。「事実は小説より奇なり」というが、ビートルズの物語は事前に誰かが書いたかのようにうまくできている。フィクションを超えたノンフィクションがあるとしたら、ビートルズの物語がそれだ。
(中略)
しかもビートルズの物語はミステリー仕立てときている。あらゆる場面に”謎”が用意されている。


-「これがビートルズだ」(講談社現代新書)中山康樹 P9-

 
確かにその通りだ。だから、ビートルズは奇跡なのだ。

この秋『真実のビートルズ・サウンド』(川瀬泰雄)と、この『ビートルズの謎』と立て続けに読みやすいビートルズ新書が発売された。
川瀬氏の著作がビートルズのサウンドを顕微鏡で見るがごとき労作であるとしたら、この『ビートルズの謎』はビートルズを、その背景までをも視野に入れて遠目で眺めた風景画のようなものだ。
それゆえに、この本を読んでも、ビートルズの音楽を聴くための助けにはならない。

しかし、当代、ビートルズの語り部としての中山康樹氏の存在は、いい悪いは別にして、一つのスタンダードだと思う。
かつてのプロレス界におけるターザン山本氏と同じで、一方で強烈な信者を生み出すが、一方で、多くのアンチを生み出してしまうのが中山氏の文章である。
僕も、彼の慧眼に何度もうなずかされたが、一方で、その独善的な価値観に腹も立てさせられた。
しかし、今は、中山氏のような才能によって、結果的により多くの人がビートルズに触れる機会が増えればいいと思うようになった。
だから、ビートルズを知らない世代の人々にも本書を読んでもらいたい。

この本にはビートルズという稀代のスーパースターとそれを許容した混沌とした60年代の空気の一端が読み取れる。
冒頭のエピソードに戻ると、販売されたアルバムに全てユニークな番号を付けようなどという途方もない企画(夢)を、平気な顔をしてやろうとした4人の”馬鹿”がいたという事だけでも、この閉塞感の強い平成の若者達に知ってもらいたいのだ。

まさむね

吉田えり出現の前には、西武優勝なんて小事だ

来年の4月に開幕する関西独立リーグで女性初のプロ野球選手が誕生する。
その名は吉田えり。まだ16歳だ。

これは、プロ野球にとって久々のビックニュースである。
極論かもしれないが、今年、巨人が奇跡のセ・リーグ制覇したこと、西武が日本シリーズに優勝したこと等は、彼女のデビューの前では全く小さいことだ。
西武が優勝したとしても、西武ファンとバーゲン目当てのオバサンが喜ぶに過ぎないことだが、彼女の出現はプロ野球全体を変える可能性すら秘めているのだ。

90年代のプロレスの衰退を目の当りにした僕は、あるエンターテイメントジャンルがいつの間にか、人々の目に触れなくなり、関心がないものとされ、マニアの慰み物になっていく過程には人一倍敏感にならざるを得ない。
それを防ぐには、まず世間に届く事件、あるいはスターの存在が絶対不可欠なのである。

そういう意味で、大相撲界における朝青龍という存在、プロゴルフ界における石川遼という存在、そして今後、格闘技界における石井慧という存在は、各業界にとって至宝なのだ。
ここしばらく、そういったスーパースター的魅力に満ち溢れた人材に事欠いていたプロ野球界にとって、吉田えりの存在は久々に大ヒットの可能性を秘めているに違いない。

勿論、彼女の実力はまだ未知数だし、このまま何の実績も残せないまま、「あの人は今」要員になってしまうかもしれない。
だが、彼女が切り開こうとしている新大陸は無限に広いのだと言っておきたい。

第一、彼女は見栄えからしてキュートだ。
しかも、16歳でこの世界に入ろうという思いっ切りのよさがある。今、多くの野球選手が大卒になってしまったこの時代、自分の人生をこのタイミングで決めてしまうその決断力は並大抵のものではない。

そして、何よりも彼女の武器がナックルというのがいい。
彼女は己の肉体の限界を知り、そして最も効率よく、自分の力が通用する方法を探し当てたのに違いない。
この聡明さには脱帽だ。
誰も考えなかった事をやるという、まさしくパイオニアとしての感性があるのだ。

どんなスポーツジャンルも、その競技を変えてしまう位の新しい個性が出てこそ、進歩というものがある。
かつて、瀬古利彦は、ラスト100mのピッチ走法で、マラソンという競技を変えた。
千代の富士は、筋肉とスピードで大相撲を変えた。

そして、この吉田えりは、ルックスとナックルでプロ野球というジャンルを変えることが出来るか。いや出来るに違いない。

その位、彼女の出現は大きなことだと思う。

まさむね

朝青龍ついに始動。その豪放磊落さ健在か。

久々に朝青龍が地方巡業に顔を出した。

テレビの報道でしか知る良しもないのだが、なかなか元気そうだ。
成績によっては、来月の初場所で引退を迫られる立場とは思えない、彼独特の解放的な雰囲気がたまらなく魅力的だ。
朝青龍を見ていると、元々、品格などという矮小な概念を押し付けてきた我々が間違っていたのではないかとも思わせる。

僕は横綱は神的な存在でなくてはいけないと常々思っているが、神だっていろいろといるのだ。
アマテラスのように、嫌な事があると岩戸に隠れちゃうのもいれば、スサノウのように悪戯が過ぎて、天から地に追放される神もいる。
さらに言えば、アマノウズメのようにストリップをする神も、オオクニヌシのように心優しい神もいる。

ようするに神と言っても、いろいろなのだ。
だから、横綱にだっていろんなのがいていいのではないか。
輪島や双羽黒のようなトンパチな横綱もいれば、貴乃花のような求道的な横綱も、大乃国のようにおおらかな横綱がいてもいい。
僕はそれこそ、日本的だと思っている。

折口信夫のマレビトの思想によれば、日本人にとって神は常に「外」からやってくる(いわゆる来訪紳)だったという。
だから、最近の、ハワイ勢、モンゴル勢が横綱になるっていう傾向は、逆に本来の神々の格闘の場としての大相撲になりつつあるとすら言えるのではないか。

さて、それはともかく朝青龍だ。
キャラクタの印象で言うならば、朝青龍の豪放磊落さは、内向的な白鵬との対比において、見事に好一対を示している。
また、相撲スタイルという面からも、スピードのある立会いから攻め続ける朝青龍のスタイルは、逆になるべくリスクを排除しようとする王道の横綱・白鵬のスタイルと好一対を示している。
東西の横綱が揃うと必ず、こういった好対照に見えるのが相撲の面白いところだ。

求道的な貴乃花と、豪快な武蔵丸。
スピードの千代の富士と、おっとりした大乃国。
無骨な北の湖と、スマートな輪島。
あぶなっかしい柏戸と安定感のある大鵬。

先ほども少し述べたが、こんな追い詰められた状況にありながら、それでも明るさを失わない朝青龍の肝玉は、僕はやはり一流だと思う。

一方、朝青龍を迎え撃つ側にも目配りしておこう。

白鵬だって、朝青龍が出てきたからといってむざむざ優勝杯を明け渡すわけにはいかないだろう。
安馬改め日馬富士も、今まで公私共に面倒を見てもらった朝青龍にそれこそ、相撲用語での恩返しがしたいところだ。
そういえば、魁皇も大関カド番だった。必死で来るだろう。
琴欧洲も、毎場所8勝で満足しているわけがない。初場所は優勝を狙ってくるに違いない。
琴光喜だって、優勝する力は十分に持っている。
さらに把瑠都がパワーアップしてくるだろうし、稀勢の里、豊ノ島、琴奨菊もいつまでも日馬富士の後塵を排しているわけにはいかない。

というわけで、早くも初場所が楽しみだ。

無知なマスコミに釣られて、若ノ鵬、露鵬、白露山なんかを相手にしている場合ではないのだ。
個人的にはこの3人への未練を捨てきれないんだけどね...

まさむね