秋の七草、撫子。
戦いに明け暮れた武士達のやすらぎのひと時を感じさせる優しい花だ。
また、この撫子紋は、大和撫子というように、日本女性を象徴する紋である。
この紋で有名なのは、美濃の斉藤一族。
全国分布では、石川県で27位に入る。
撫子紋を持つ有名人は以下。


初代当主・斎藤道三の嫡男。美濃の戦国大名斎藤氏の第2代当主。実父は土岐頼芸という説もある。尾張の織田信長の軍勢と戦い戦況を有利に進めた。長良川の戦いで斉藤道三を討ち果たす。足利義輝によって幕府相伴衆に列せられた。家紋は撫子紋。


筑前国出身。秋月文種の次男。読みは、あきづきたねざね。秋月氏の第16代当主。島津氏と大友氏の争いの中で大友領を侵食し、36万石にも及ぶ広大な所領を有した。豊臣秀吉の九州征伐では、豊臣勢と戦ったが敗北した。家紋は三つ盛撫子紋。


甲斐国篠原村出身。野沢氏の出自。名は昌貞。甲斐国山梨郡山王神社の宮司となり、尊皇攘夷の思想を説く。明和事件において処刑された。主著は『柳子新論』。家紋は桔梗紋であるが、新宿・全勝寺の墓所(画像)には奥方斎藤家の撫子紋がある。


若くして藩主山内豊煕の御側物頭として仕える。長崎で起きた土佐藩士による英水兵殺害事件では後藤象二郎とともに補償問題を解決。坂本龍馬と結んで武器調達に活躍。明治政府では刑部大輔・参議・元老院議官を務めた。画像は青山霊園にて撮影。


肥前国出身。読みは、えだよししんよう。佐賀藩の藩校・弘道館の教諭。佐賀の尊皇派の精神的支柱。「義祭同盟」を結成し、実弟の副島種臣のほか、大隈重信、江藤新平、大木喬任ら明治維新に大きな影響を与えた人材を多数輩出した。家紋は撫子紋。


江戸出身。斎藤嘉兵衛の子。旧名は斎藤辰吉。戊辰戦争では、江戸開城後に旧幕府軍に身を投じ、仙台、函館に転戦するが五稜郭にて降伏。維新後は、井上馨に推挙され、初代・山口県県令となる。家紋は撫子紋。画像は四谷・西迎寺にて撮影。


黒田藩士・明石助九郎の次男として福岡の大名町に生まれる。関ヶ原の戦い、大坂の役で戦ったキリシタン武将、明石全登の末裔といわれている。日露戦争では諜報活動で活躍。陸軍大将・勲一等・功三級・男爵。第7代台湾総督。家紋は丸に撫子紋。


三重県・神戸出身。本名は賢。『小説八宗』『初学小説心得』『小説評注問答』などのパロディ精神に溢れた評論を書く。『油地獄』『かくれんぼ』などの作品で小説家としても認められる。家紋は丸に撫子紋。画像は向丘・大円寺にて撮影。


岡山県出身。東北大学教授、東大教授。液体の表面張力と温度との関係式(片山式)で知られる。物理化学の先駆的な研究を行なう。主著「化学本論」は日本における初期の本格的な物理化学教科書。家紋は撫子紋。画像は南麻布・円沢寺にて撮影。


東京市麹町区に東條英教陸軍歩兵中尉の三男として出生。本籍地は岩手県。東條家は能楽師として盛岡藩に仕えた家系。統制派として陸軍を主導。開戦時の内閣総理大臣。A級戦犯として処刑された。撫子紋は雑司が谷霊園、和田堀廟所の墓所とも共通意匠。


和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。最終階級は海軍大将。予備役編入後は政治家に転身し、商工大臣、拓務大臣、外務大臣、軍需大臣、内閣顧問、運輸通信大臣などを歴任する。家紋は撫子紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


福島県伊達郡富野村出身。読みは、さいとうたけし。農家の長男。文学博士。文化功労者、日本学士院会員。日本英文学会第3代会長。東京女子大学学長。東京帝国大学名誉教授。国際基督教大学名誉教授。家紋の丸に撫子紋は多磨霊園の墓所にて撮影。


岡山県苫田郡津山町出身。本名は斎藤敬直。戦争批判の作句により特高に検挙されたという。その後、現代俳句協会の設立、俳句誌「断崖」創刊、俳句総合誌「俳句」編集長もつとめる。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は撫子紋。


東京都新宿区出身。読みは、ういじゅん。「純」の名前は6月生まれに由来するという。水俣病の問題を社会に知らしめる発端を作り、公害問題に関する住民運動などに強い影響を与えた。家紋は撫子紋。墓所の写真より判断。


東京府出身。四代目河原崎長十郎の長男。本名は河原崎統一。日本の優しい父親像を演じ、40代から50代にかけてホームドラマ全盛期にとってかけがえのない存在であった。家紋は組違い角に右二つ巴紋と丸に撫子紋。画像は葛飾区妙源寺にて撮影。


米国ニューヨーク州出身。先祖は但馬の清原氏族。日本の代表的女性ソロシンガー。1stアルバム『First Love』は860万枚以上、国内アルバム売り上げ史上歴代1位の超メガヒットとなる。代表作『Automatic』『First Love』『Flavor Of Life』。


わずか7歳で腰元に恋をして性を知り、一生のうちに交わった人数は、女三千七百四十二人。小人(少年)のもてあそび七百二十五人という。最後、海の彼方にあるという女だらけの「女護が島」をめざして船出し、それきり消息が絶えた。家紋は撫子紋。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね
































































「撫子紋 -可愛い日本女性のシンボル紋- 斎藤義竜、東條英機、宇多田ヒカル...」への1件のフィードバック