言うまでもなく、車輪というのは乗り物を、そして乗り物に乗っている人を支えるものである。
車紋の使用氏として一番有名な一族は藤原秀郷流の佐藤氏であるが、一族の中で「人を支えた」人物と言えば、源義経に遣えた佐藤継信、忠信兄弟を思い出す。
また、車紋は別名、源氏車とも言われている。
また、源氏車といえば、「源氏物語」9帖の『葵』における六条御息所と葵上の車争いを連想させる。そして、その車争いで敗れた六条御息所の怨念が車に取り憑き、朧車という妖怪になったという伝説もある。左図は鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より。
車紋の車輪はただの車輪ではない。様々な人々の思いがつまっているのだ。
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さて、この紋は全国ではそれほど、普及している紋ではない。ただ、東北地方では散見される。
特に、秋田県では18位だ。
これは秋田県で、佐藤姓が多い事と関係していると思われる。
また、東北地方以外では唯一三重県でベスト30位に入っている。これはこの地が伊勢神宮のお膝元だからか。
車紋を持つ有名人は以下。


出身は奥州信夫郡。佐藤忠信の兄。義経が挙兵した源頼朝の陣に赴く際、藤原秀衡の命により弟・忠信と共に義経に随行し平氏追討軍に加わった後、屋島の戦いで討ち死にした。写真は福島県福島市飯坂町の井王院にある墓所の門の写真。


清和源氏頼光流の多田源氏の後裔。はじめ摂津の豪族・池田勝正に仕えた。本能寺の変で織田信長が横死した後は羽柴秀吉に従い山崎の戦いで活躍した。賤ケ岳の戦いにも秀吉方先鋒二番手として参戦したが戦死。家紋は中川車(右)、中川柏(左)


榊原氏は三河・伊勢・伊賀守護仁木義長の子孫である。家康の家臣として姉川、三方ヶ原、長篠、小牧・長久手の戦いになど数々の戦いで戦功を立てた。上野国館林藩の初代藩主。徳川氏の家臣。康政流榊原家初代当主。家紋は榊原源氏車。


松平氏~徳川氏の麾下で活躍。半蔵門の由来となる。「伊賀の影丸」「あずみ」などのフィクションに登場。藤子不二雄の「忍者ハットリくん」は服部半蔵の子孫。家紋は、源氏輪に並び切り竹矢筈。画像は護国寺の別の服部家の墓所にて撮影。


出羽国雄勝郡郡山村出身。通称は百祐。平田篤胤に入門し、『農政本論』を著す。渡辺崋山、高野長英、小関三英とともに蛮社の獄に連座するがすぐに許される。流通を幕府の手によって直接統制し、流通過程からの収奪による富国策を提示。家紋は源氏車。


美濃国岩村藩出身。岩村藩家老・佐藤信由の次男。門下生は3,000人と言われ、弟子として、山田方谷、佐久間象山、横井小楠等、いずれも幕末に活躍した人材たちがいる。家紋は源氏車紋。顔画像は渡辺崋山の筆による。画像は天王寺墓地にて撮影。


幼名:余四郎、通称:弥左衛門、彦蔵。前田斉泰、慶寧、利嗣御次御用をつとめる。45年間にわたって直之によって書かれた日記は「武士の家計簿」としてまとめられ映画化もされる。家紋の丸に生駒源氏車紋は青山霊園にある猪山家の墓所にて撮影。


出羽国飽海郡升川村の農民・佐藤与兵衛の長男。通称:与乃助。幕府軍艦操練所蘭書翻訳方となる。神戸海軍操練所を司り幕閣に神奈川に代わる横浜開港を建議した。維新後は新橋-横浜間の鉄道敷設に尽力。家紋は陰源氏車紋。画像は青山霊園にて撮影。


武蔵国多摩郡日野宿出身。名主階級。自邸東側の一角に日野宿に道場を設け、後の新選組の母体となる近藤勇、土方歳三、沖田総司らが出稽古に訪れていたという。明治維新後は、新選組隊士の復権と顕彰に尽力した。画像は日野・大昌寺にて撮影。


江戸麻布の広尾生まれ。父は御家人榊原益太郎友直、5人兄弟の長男。 名は友善。男谷信友から直心影流男谷派剣術を継承し、遊撃隊頭取を務める。天覧兜割などで知られ、最後の剣客と呼ばれる。家紋は榊原車。画像は新宿須賀町・西応寺の墓所にて撮影。


福岡秋月藩出身。藩士宮崎丹下の次男。読みは、みやざきくるまのすけ。反政府士族の武力蜂起に期待し、肥後の神風連の乱に呼応して、実弟・宮崎哲之助らとともに秋月の乱を起こすも鎮圧され、自刃。家紋は源氏車紋。残された肖像写真より判断。


熊本藩出身。熊本藩士として藩命により国事に奔走。維新後、天津領事となる。1882年の壬午の変の後、朝鮮弁理公使となり、甲申政変を起こす。東京大学教授となり、『桟雲峡雨日記』『左氏会箋』を残す。家紋は源氏車紋。画像は護国寺にて撮影。


常陸国太田内堀出身。醸造業高和清兵衛の長男。医師・佐藤尚中の養子となる。佐藤泰然は養祖父。ドイツ留学し医学士の学位を取得。西南戦争、日清戦争、日露戦争において軍医監を務める。順天堂医院院長。家紋は源氏車紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。


下総国佐倉藩出身。父は蘭医・佐藤泰然。幕府御典医・林洞海の養子となる。松本良順は実兄。読みは、はやしただす。ロシア・イギリスの駐在公使、外務大臣、逓信大臣などを務め、日英同盟に調印した。家紋は源氏車紋。画像は青山霊園にて撮影。


泉州堺出身。読みは、かわぐちえかい。ネパール、チベット地域を探検。ネパールでは梵語仏典を、チベットからは大部のチベット語仏典を蒐集した。主著は『西藏旅行記』『チベット旅行記』。家紋は源氏車に法の字紋。画像は青山霊園にて撮影。


出羽国鶴岡出身。実父は庄内藩士・平向勇次郎。佐藤安之の養子となる。日本海海戦ではロシア艦隊の偽装転進を見破り勝利に大きく貢献する。最終階級は海軍中将。退役後は、学習院教授を経て貴族院議員となる。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


陸中盛岡藩出身。本名は佐藤真一。自由民権運動で活躍後、「岩手新聞」を経て、「めさまし新聞」に入る。改題後、「東京朝日新聞」で編集長、社会部長を務めた。石川啄木を校正係に採用してことで知られる。家紋は源氏車紋。画像は青山霊園にて撮影。


山形県出身。読みは、さとうこうとく。東條英機などの統制派に属する。牟田口廉也(皇道派)に逆らい、インパール作戦において師団の独断退却を行ったことで知られる。最終階級は陸軍中将。家紋は源氏車紋。画像は墓所写真にて確認。


長野県上伊那郡出身。本名は木下龍夫。読みは、おおしたうだる。『新青年』を舞台に江戸川乱歩や夢野久作と並ぶ人気探偵小説家として活躍。NHKの人気ラジオ番組『二十の扉』の解答者としても著名。家紋は丸に片輪車紋。画像は多磨霊園にて撮影。


神奈川県川崎市出身。佐藤家は川崎宿の本陣を預かる家柄。佐藤紅緑に師事し俳句を学ぶ。作曲家、古賀政男と組み多くの楽曲を世に送り出す。代表作は『赤城の子守唄』『大阪タイガースの歌』『人生の並木路』『人生劇場』等。家紋は源氏車紋。


青森県弘前市代官町出身。戦後は『青い山脈』を『朝日新聞』に連載。映画化され大ブームとなり「百万人の作家」といわれる。第14回菊池寛賞を受賞。代表作は『陽のあたる坂道 』『若い人』など。家紋は源氏車紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


山口県熊毛郡出身。酒造業・佐藤秀助の三男。岸信介の実弟。第61、62、63代内閣総理大臣。日韓基本条約の批准、小笠原諸島・沖縄返還を実現させる。非核三原則でノーベル平和賞を受賞。家紋は六本骨源氏車紋。画像は本願寺・和田堀廟所にて撮影。


東京市小石川区生れ。富沢赤黄男に師事。金子兜太とともに前衛俳句の旗手となる。俳誌「俳句評論」代表、総合誌「俳句研究」(俳句研究新社)編集長を歴任。夏石番矢らを見出した。家紋は熨斗の丸に半源氏車紋。画像は冨士霊園の墓所にて撮影。


岐阜県美濃市出身。本名は、佐藤 靖。妻は三井ゆり。郷ひろみ、西城秀樹とともに新御三家の一人として、1970年代の日本を代表する男性アイドルとして活躍。家紋の源氏車紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


神奈川県出身。本名は、渡辺郁惠。夫は俳優の渡辺徹。アイドルとして『ナッキーはつむじ風』『ピーター・パン』等、数多くのドラマやCM、芝居で人気を獲得した。家紋の源氏車紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


栃木県下都賀郡出身。本名は、木村吉公。読みは、ぐらん・なにわ。入場コスチュームを阪神タイガース応援ハッピ、入場曲をかに道楽CMソングとし、大阪色を前面に押し出した覆面レスラー。家紋の源氏車紋はグレートサスケのブログの写真にて確認。


岩手県盛岡市出身。中学時にボクシングを始める。協栄ボクシングジム所属。WBC世界スーパーフライ級王者。元日本スーパーフライ級王者。2012年3月27日、判定勝ちを収めて世界王座を奪取。左腕に佐藤家の家紋の八本骨源氏車の刺青を入れている。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね































































