松紋 -長寿への願いを込めた紋- 松本清張、高島忠夫、細野晴臣...


松は長寿の象徴である。

例えば、『高砂』は、相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛でて、人世を言祝ぐ能である。
日本人は松の木の悠然としていて変らない緑に、長寿という普遍的な願望をこの松に託したのである。

香川県は、松の多い土地柄として有名だが、やはりこの松紋の所有者も多い。
その昔、讃岐の国司となってこの地に下った藤原氏がこの松紋を採用、土地に根付き一族を広げていった。
全国では22位だが、香川県でだけ10位に入っているのである。

松紋所有の有名人は以下。


神山郡廉 。1829年2月16日 – 1909年8月20日、 政治家。
土佐国出身。土佐藩士・神山久左衛の五男。読みは、こうやまくにきよ。大政奉還の建白書に連署し、王政復古後、参与に就任。維新後、刑法官副知事、和歌山県権令、貴族院男爵議員等を歴任。家紋は左寄せ三つ松紋。画像は青山霊園にて撮影。


近藤真琴 。1831年10月29日 – 1886年9月4日、 教育家、思想家。
江戸出身。鳥羽藩士・近藤儀智の二男。幕府軍艦操練所翻訳方に出仕。明治六大教育家の一人とされ攻玉社を創立。航海術、測量学、数学、国語学教育の先鞭を付けた。海軍軍人としては最終階級は海軍中佐。家紋は丸に左寄り三階松紋。


長松幹 。1834年1月1日 – 1903年6月14日、 武士、官僚。
長門国出身。名は文仲。通称は別に大蔵、文助。京都で久坂玄瑞らとともに公家と交わる。維新後、新政府の史官となり、修史館監事時代に「復古記」を編修。元老院議官、貴族院議員。家紋は右寄り三階松紋。画像は青山霊園にて撮影。


松岡康毅 。1846年8月14日 – 1923年9月1日、 政治家。
安房国出身。幼名・毅之進、のち康毅。読みは、まつおかやすこわ。法律取調委員、検事総長、農商務大臣、貴族院議員、枢密院顧問官、日本法律学校第2代校長、日本大学初代学長・初代総長を歴任。家紋は丸に三つ松紋。画像は青山霊園にて撮影。


大江卓 。1847年11月2日 – 1921年9月21日、 政治家・実業家。
土佐国幡多郡柏島出身。妻は後藤象二郎・次女の小苗。読みは、おおえすぐる。土佐陸援隊に入り倒幕運動に参加。第1回衆議院選挙で当選。大幅な軍縮予算案を査定し、これを可決させた。家紋は三つ松紋。青山霊園の墓所にて撮影。


松村介石 。1859年11月9日 – 1939年11月29日、 宗教指導者。
播磨国出身。父は、明石藩士で漢学者。読みは、まつむらかいせき。日本のプロテスタント系新宗教の指導者として植村正久、内村鑑三、田村直臣と共に、キリスト教界の四村と呼ばれた。家紋は三つ松紋。画像は多磨霊園にて撮影。


松永武吉 。1869年11月19日 – 1936年1月15日、 官僚。
鹿児島県出身。読みは、まつながたけきち。逓信省総務局文書課長、大阪通信管理局長、島根県知事、京畿道長官、京畿道知事、朝鮮総督府中枢院書記官長兼同事務官・総督官房外事課長などを歴任。家紋は三つ松紋。画像は染井霊園にて撮影。


葛生能世 。1874年7月25日 – 1958年2月3日、 右翼。
千葉県出身。読みは、くずうよしひさ。昭和右翼の重鎮。玄洋社の指導者・頭山満の片腕といわれ、内田良平と右翼団体「黒龍会」を設立。敗戦後A級戦犯に指定されたが不起訴となり釈放された。家紋は丸に右寄り三階松紋。多磨霊園にて撮影。


松木直亮 。1876年11月5日 – 1940年5月22日、 陸軍軍人。
山口県出身。読みは、まつきなおすけ。陸大教官、陸軍省整備局長等を歴任。二・二六事件発生に伴い、東京陸軍軍法会議判士を命ぜられ、磯村年陸軍大将らと共に公判を担った。最終階級は陸軍大将。家紋は三つ松紋。画像は多磨霊園にて撮影。


大原孫三郎 。1880年7月28日 – 1943年1月18日、 実業家。
岡山県倉敷市出身。大地主・大原孝四郎の三男。倉敷紡績、中国合同銀行、中国水力電気会社の社長を務め、大原財閥を築き上げる。また、大原美術館を設立する等文化事業にも力を入れた。画像は、大原美術館内にある丸に向かい二つ松紋。


山本宣治 。1889年5月28日 – 1929年3月5日、 政治家。
京都府宇治出身。料理旅館「花やしき浮舟園」の主人・山本亀松の長男。日本共産党系の労農党の京都府連合会委員長。衆議院議員として治安維持法改正などに反対するが、「七生義団」の黒田保久二に刺殺された。家紋は一重亀甲に右寄り三階松紋。


丸山敏雄 。1892年5月5日 – 1951年12月14日、 宗教家、教育家。
福岡県豊前市合河町出身。倫理研究所の前身・新世文化研究所を設立し、社会教育、研究、文化、出版等の事業を行なう。後に、日本全国に50,000社を擁する倫理研究所として発展させる。家紋は一重亀甲に左寄り三階松紋。画像は多磨霊園にて撮影。


徳川夢声 。1894年4月13日 – 1971年8月1日、 弁士、漫談家。
島根県益田市出身。東京に育つ。本名は福原駿雄。読みは、とくがわむせい。元祖マルチタレントと言われる。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会初代理事長。家紋は丸に三つ松毬紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


水原茂 。1909年1月19日 – 1982年3月26日、 野球選手、監督。
香川県高松市出身。高校野球、大学野球で活躍後、読売巨人軍に入団。引退後は巨人、東映、中日で監督を務めた。巨人監督時代は在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝く。家紋は丸に右荒枝付き三階松に株竹紋。画像は鶴見・総持寺にて撮影。


松本清張 。1909年12月21日 – 1992年8月4日、 小説家。
福岡県企救郡板櫃村出身。「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。「砂の器」「点と線」「黒革の手帖」など犯罪の動機を重視する作風の推理小説で知られている。多数。家紋は三つ重ね松紋。画像は富士見台霊園の墓所にて撮影。


木下惠介 。1912年12月5日 – 1998年12月30日、 映画監督。
静岡県浜松市出身。食料品店を営む家の四男。『二十四の瞳』で、ゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞。『木下惠介劇場』『木下惠介アワー』など、多くのテレビドラマを制作。家紋は右寄り三ツ枝松。画像は鎌倉・円覚寺の墓所にて撮影。


石井隆匡 。1924年1月3日 – 1991年9月3日、 ヤクザ。
神奈川県横須賀市出身。本名は石井進。暴力団・稲川会二代目会長、横須賀一家五代目総長。企業経営志向を取り、経済進出する暴力団の先駆けとなる。山口組と一和会の抗争を休戦させる。家紋は丸に右荒枝付き三階松紋。画像は池上本門寺にて撮影。


辻邦生 。1925年9月24日 – 1999年7月29日、 仏文学者、小説家。
東京市本郷区駒込出身。本籍地は山梨県東八代郡春日居町。父はジャーナリスト。母は医家。読みは、つじくにお。立教大学助教授、学習院大学教授等を歴任。代表作は『廻廊にて』『安土往還記』『背教者ユリアヌス』など。家紋は三ツ枝松紋。


高島忠夫 。1930年7月27日 – 、 タレント・俳優・司会者。
兵庫県武庫郡出身。妻は女優の寿美花代、高嶋政宏・政伸は実子。代表出演作は『細うで繁盛記』。料理番組『ごちそうさま』やクイズ番組『クイズ・ドレミファドン!』など人気番組で司会も担当。家紋は三つ松。画像は春秋苑の生前墓にて撮影。


立川談志(7代) 。1936年1月2日 – 2011年11月21日、 落語家。
東京府東京市小石川区出身。本名は松岡克由。読みは、たてかわだんし。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうと、立川流を主宰。参議院選挙に全国区から無所属で当選し沖縄開発庁政務次官も務めた。丸に左三蓋松は立川流の定紋。


岡八朗 。1938年4月16日 – 2005年7月26日、 喜劇俳優。
兵庫県尼崎市出身。本名は市岡輝夫。読みは、おかはちろう。その風貌から奥目の八ちゃんと親しまれ「えげつなー」「隙があったらかかってこんかい!」等のギャグを持つ。墓所の家紋は写真では丸に右寄り三階松系の紋に見えるが現物は未確認。


細野晴臣 。1947年7月9日 – 、 ミュージシャン。
東京都港区出身。祖父は日本人でタイタニック号に乗船し事故から生還した細野正文。大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを坂本龍一、高橋幸宏とYMOを結成、成功を収める。家紋は丸に右寄り三階松。画像は多磨霊園の正文氏の墓所にて撮影。


北公次 。1949年1月20日 – 2012年2月22日、 歌手。
和歌山県田辺市出身。本名は、松下公次。愛称はコーちゃん。ジャニーズの付き人として芸能活動を活動を開始。「フォーリーブス」のリーダーとして活躍。ヒット曲は「踊り子」「ブルドック」等。家紋の丸に左寄り三階松紋は、墓所写真により確認。


hide 。1964年12月13日 – 1998年5月2日、 ミュージシャン。
神奈川県横須賀市出身。本名は松本秀人。元X JAPANのギタリスト。現在でも絶大な人気を誇る。ソロ活動では、ギター以外にも作詞、作曲、ボーカル、ベース、プロデューサーなどマルチプレイヤーとしての才能も発揮した。家紋は丸に右寄り三階松紋

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