「みなしごハッチ」に見る不条理と大人のズルさ

毎日、16:30からMXテレビの「みなしごハッチ」再放送を見ている。

勿論、子供向け漫画なので、単純な勧善懲悪的なストーリーも多いのだが、時として深いテーマ性や不条理性があって、それもまた楽しい。

さらに、1970年頃の作品だけに、「戦うのは本当の勇気ではない、耐えることが勇気だ」「暴力は卑怯者の言い訳だ」「話合えば、必ず分かり合える」あるいは、「武器(=軍隊)を持つのが悪い」というような戦後の価値観が色濃く出ていたりもして、それはそれで興味深い。
    ◆
例えば、一昨日の回は、おいぼれたスズメ蜂の話だった。

元々、ハッチはスズメ蜂の襲撃にあって、離れ離れになってしまった母を探して旅をする物語である。
そして、旅の途中で、ハッチが、仲間から見捨てられたスズメ蜂族の長老に出会うというのが一昨日の話だった。

最初ハッチは、その年老いたスズメ蜂の事が嫌いだった。
ハッチにとっての敵(かたき)だからだ。

だから、他のスズメ蜂や他の昆虫達からイジメられるそのスズメ蜂をいい気味だと思ってみていた。
「今までみんなをイジめてきたから、そういう目にあうんだぞ。」ハッチは老スズメ蜂にたたみかけるハッチ。
ところが、ハッチの中では、その老いたスズメ蜂といろいろと関わっていくうちに、段々、そのスズメ蜂が可哀相だと思う心が芽生えてくるのだ。
そうこうしているうちに、雨が降ってくる。
ハッチとスズメ蜂は、穴倉に逃げ込み、ハッチの身の上話になる。
スズメ蜂の襲撃になって、兄弟は殺された事、母親と離れ離れになった事...

するとスズメ蜂は「実はハッチ一家を襲ったのは自分だった」と告白し、ハッチに自分が持っていた槍で「わしを突き殺せ」と涙ながらに訴える。
うろたえるハッチ。
憎い敵を目の前にして復讐したい気持ちと、どうしても殺せない心との間の葛藤でハッチは悩む。
どうするハッチ。
「この槍を持っているのが悪いんだ。こんなもの捨ててしまえ」とやり場の無い怒りを槍にぶつけるが、気持ちは収まらない。
ところが、その時、雨はさらに強くなり、二人が居る洞穴に津波が押し寄せる。
老いたスズメ蜂はハッチを助けて、自らは首まで水に浸かっている。
「死んじゃいやだ。おじいさん」ハッチは泣き叫ぶが、スズメ蜂は既に水に飲まれそうだ。
そして、死に際に「ハッチ、お前のお母さんは...にいる」
「えっ、僕のお母さんは何処にいるの?おじいさん、おじいさん...」ハッチの叫び声もむなしく、スズメ蜂は大水にさらわれてしまった。

ここで話は終わり。

オチも無く、ただの悲劇で終わってしまった。
多くの視聴者の良い子達は取り残された気分を味わっただろう。
愛と憎悪の葛藤というテーマもウヤムヤになってしまった。
しかも、最後は、おじいさんが死んでしまったから悲しんでいるのか、お母さんの居場所が知りたいのかの優先順位も曖昧なまま終わってしまったのである。
    ◆
物語の筋が行き詰まった時には、どうすればいいのか?という疑問の一番強引な展開に、地球を爆発させればいいというのがあるが、まさしくその展開だった。

こうして、良い子は、現実の不条理さ、大人のズルさをハッチから学ぶのでした。

まさむね

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