団扇紋 -悪鬼を払い、霊威を呼び寄せる神具- 奥平信昌、加藤高明、久米宏...


団扇紋にはいくつか種類がある。

1)普通の団扇(うちわ)紋
2)大相撲の行司が持つのと同じ、軍配扇紋
3)天狗が持つという羽団扇紋

この中で数が多いのが軍配扇紋。
平安時代の武士勃興時代に関東で幅を利かせた児玉党武士団が使用しはじめたといわれる。
多くの家紋の中でも歴史が古い部類に入る。
軍配の采配一つによって、自らの武士団の運命が左右される重要な道具だ。
と同時に、古くから悪鬼を払い、霊威を呼び寄せるという意味合いで、神事などにも用いられてきたのである。

羽団扇紋(左画像)は、駿河の浅間神社の神紋として知られている。
浅間神社は木花咲耶姫命を奉っているが、富士山信仰と深い結びつきがある。

団扇紋を使用はそれほど多くない。全国分布では、福井県で27位、埼玉県で28位。

有名人は以下。


米津常春 。1524年 – 1612年、 武将。
三河国碧海郡米津出身。幼名は藤蔵。松平氏の譜代の家臣。徳川十六神将の一人。桶狭間の戦いの際にも三河衆の先鋒として従軍。子孫は武蔵久喜藩主、出羽長瀞藩主として明治まで存続。家紋は米津羽団扇紋。画像は東久留米・米津寺にて撮影。


奥平信昌 。1555年 – 1615年4月11日、 武将。
三河国の有力国人・奥平貞能の長男。徳川家康の長女・亀姫を正室とし、家康の娘婿として重用される。長篠の合戦時には長篠城で篭城し武田軍を苦しめる武功を上げ、信長より信昌という名前を賜る。子孫は、豊前国中津藩主として幕末をむかえる。


児玉源太郎 。1852年4月14日 – 1906年7月23日、 陸軍軍人。
周防国都濃郡出身。徳山藩の中級武士の家柄。三女は穂積陳重の長男・重遠の妻。四女は藤田嗣治の兄・嗣雄の妻、五女は木戸孝允の孫・幸一の妻。日露戦争戦略を立案。最終階級は陸軍大将。家紋は二文字に三つ星紋と唐団扇笹紋。画像は多磨霊園で撮影。


加藤高明 。1860年1月25日 – 1926年1月28日、 外交官、政治家。
尾張藩の下級藩士・服部重文の次男。大伯母の家、加藤家に養子に入る。妻は岩崎弥太郎の長女。長女は岡部長職の息子、長景の妻。第24代内閣総理大臣となり、治安維持法、普通選挙法を成立させた。家紋は六つ唐団扇紋。画像は青山霊園の画像にて撮影。


万年東一 。1908年9月10日 – 1985年3月28日、 活動家、総会屋。
山形県飽海郡松嶺町出身。終戦後、愚連隊・万年一派の頭領となる。その後、松永高司全日本女子プロレスを設立すると、初代会長に就任。右翼団体「大日本一誠会」を結成。総会屋としても活動する。家紋は、丸に羽団扇紋。


柳家小三治(10代) 。1939年12月17日 – 、 落語家。
東京都新宿区出身。本名は、郡山剛。出囃子は『二上りかっこ』。定紋は『変わり羽団扇』。2010年~2014年までの間、落語協会会長を務める。紫綬褒章、旭日小綬章を受賞。重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。家紋画像は鈴本演芸場にて撮影。


久米宏 。1944年7月14日 – 、 アナウンサー・タレント・司会者。
埼玉県浦和市出身。戦時中は久米家の本貫・埼玉県児玉郡に疎開。元TBSアナウンサー。代表司会番組『ぴったし カン・カン』『ザ・ベストテン』『報道ステーション』等。嫡流・久米氏は唐軍扇紋。画像は染井霊園にある別の久米家の墓所にて撮影。


鞍馬天狗 。幕末期、 勤王志士。
時代小説『鞍馬天狗』(大佛次郎)の主人公。剣は一刀流の凄腕。時には短筒も使う。その素性には謎が多く天狗党の生き残りではないかとも言われる。何度も映画化され特に嵐寛寿郎が主役の映画作品は有名。家紋は羽団扇紋。画像は鞍馬寺の寺紋。

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まさむね

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