昔の貴人は、いつも扇で顔を隠していた。
そして、骨の隙間から外を見ていた。
扇というのは、魔除け用グッズだったのである。
ちなみに、とげ抜き地蔵で有名な巣鴨・高岩寺の寺紋は檜扇紋である。
同時に巣鴨通り商店街の提灯にも檜扇が描かれている。
そのデザインは”おばあちゃんの原宿”を演出しているのだ。
左写真は、高岩寺内で撮影。
一方、鎌倉時代の最初から、大政奉還まで生き延びた大名の佐竹家の家紋は代々扇に月丸紋であった。
「吾妻鏡」には、佐竹四郎が、源頼朝からこの紋を賜ったとの記述がある。
佐竹家を守ってきたのは、その扇の魔力だったのかもしれない。
扇紋は全国では、23位だ。特に突出して多い地域は無いが比較的西日本に多い。京都府、山口県、熊本県で18位が最高、和歌山県(19位)、高知県(20位)といったところが目立つ。佐竹藩のお膝元の秋田県は27位と少ないが、元お膝元の茨城県は21位と比較的多い。
扇紋を使用した有名人は以下。


長野憲業の子として出生。本姓は在原氏で、祖先は在原業平と称する。官位は伊予守。長野氏は上野西部の豪族で、周囲の国人の取りまとめ役のような立場であった。勢力としては関東管領・山内上杉家に属していた。上野国・箕輪城主。家紋は檜扇。


茶人の古田重定の子。信長、秀吉の家臣だが一般的には茶人として有名。利休七哲の一人。千利休が大成させた茶道を継承しつつ、茶器製作・建築・造園などにわたって織部好みと呼ばれる一大流行をもたらした。家紋は三つ引両紋と丸に地紙紋。


近江国犬上郡吉田村出身。本姓は吉田氏。佐々木氏の分家。朱印船貿易の開始とともに安南国などとの貿易を行う。幕命により大堰川、富士川、高瀬川、天竜川等の開削を行った。家紋は扇地紙に片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園の別の角倉家墓所にて撮影。


尾張佐治氏は、知多半島の大野を中心とする西海岸地域を領する一族。浅井長政の娘・江を妻に迎える。本能寺の変で、織田信長横死後、次男・織田信雄に仕える。家紋は日の丸扇紋。顔画像は大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」で一成を演じた平岳大。


父・義重の隠居により家督を相続し、佐竹氏十九代当主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際に参陣し所領を安堵された。関ヶ原の戦い時に西軍の立場に立つが、父が東軍についたため出羽・久保田21万石へ減転封されるものの家名存続は許された。


安東愛季の長男。読みは、あきたさねすえ。豊臣秀吉より出羽・秋田5万2千石の安堵を認められたが、関ヶ原の戦いの後、徳川家康に常陸・宍戸に転封される。嫡男の俊季の代に陸奥・三春に移され、幕末まで存続した。家紋は檜扇に違い鷲の羽紋。


武蔵国出身。別名・松平伊豆守信綱、知恵伊豆。徳川家康の家臣・大河内久綱の長男として生まれ、松平正綱の養子となる。家光の信を受け武蔵忍藩主、武蔵川越藩主となる。家紋は高崎扇と伊豆蝶紋。画像は菩提寺・平林寺の大河内家墓所にて撮影。


赤穂藩浅野家家臣吉田助兵衛の二男として誕生。本姓は藤原氏。貝賀新兵衛の養子となる。読みは、かいがとものぶ。穂藩では中小姓・蔵奉行。赤穂四十七士の一人。吉良義央邸討ち入りでは弥左衛門は表門隊に属し、門の警戒にあたった。家紋は重ね扇紋。


彦根藩家老・宇津木久純の子。岡本業常の養子。読みは、おかもとこうせき。攘夷を促す建白を行い、藩主・井伊直弼に疎まれるが桜田門外の変の後は藩政を主導。戊辰戦争の際には藩論を新政府軍側にまとめた。家紋は檜扇紋。画像は豪徳寺にて撮影。


水戸藩士・高橋諸往の長男。藤田東湖らに学び、尊王攘夷論に傾倒。安政の大獄で水戸藩への弾圧を強める井伊大老を倒すために暗躍。薩摩藩士・有村雄助らと共に井伊大老暗殺を計画し、関鉄之介らと桜田門外の変を起こす。家紋は高崎扇紋。


肥前国出身。読みは、とみおかけいめい。山梨県権参事、熊本県知事、貴族院議員などを歴任。西南戦争では、谷干城少将、樺山資紀中佐、児玉源太郎中佐等と54日間の籠城戦を耐え抜いた。家紋の丸に檜扇紋は、「華族家系大成」による。


薩摩藩士の子弟。読みは、にれかげのり。総理大臣斎藤実の義父。薩英戦争に参加。横須賀鎮守府長官、海軍大学校長などを歴任。第2次伊藤内閣の海軍大臣に就任し、海軍備の充実に力を注いだ。家紋は筋入り三本骨三つ扇紋。画像は青山霊園の墓所にて。


江戸出身。父は橘屋円太郎。本名は出淵次郎吉。歴代の名人の中でも筆頭に巧いとされる。「芝浜」「文七元結」「牡丹燈籠」等を創作。言文一致体を一代で完成させ現代の日本語の祖といわれる。家紋は高崎扇。画像は全生庵の墓所にて撮影。


陸奥国遠田郡出身。仙台藩士・鈴木雄三郎の長男。読みは、すずきだいすけ。黒田清隆の推薦で開拓使十二等出仕となる。秋田県知事、石川県知事、逓信次官、鉄道局長、貴族院勅選議員を歴任。家紋の丸に日の丸扇紋は、「華族家系大成」による。


薩摩国出身。読みは、ほりもとい。勝海舟の神戸海軍操練所で航海術を会得。北海道炭礦鉄道を設立し、後の北海道炭礦汽船の基礎を築いた。また、後に日本郵船会社理事なども務めた。家紋は三つ扇紋。画像は青山霊園の堀家の墓所にて撮影。


フランス・パリ出身。日本で初めての御雇い外国人として、当初民法草案の策定に関わった。後に、司法省法学校で法学教育を行う。また、日本での見聞をまとめた『今日の日本』を出版した。家紋は梶の丸に地紙紋。画像は青山霊園の外国人墓地にて撮影。


薩摩国鹿児島郡吉野村出身。桐野利秋は従兄。戊辰戦争では、川村純義指揮の元、勇戦した。外務大丞・花房義質の随員として朝鮮を視察。西南戦争では、篠原国幹・村田新八らとともに薩摩方につき、最後、西郷隆盛を介錯した。家紋は、丸に日の丸扇紋。


越前国出身。医者の長男。読みは、わたなべひろもと。岩倉具視欧米使節団に随行。東京府知事、東京帝国大学初代総長などを務める。工手学校(工学院大学の前身)を築地に設立。家紋は三つ日の丸雁木扇紋。画像は青山・長谷寺の墓所にて撮影。


越中国氷見郡出身。医師淺野泰順の長男。妻は板垣退助の四女。長女、マツは穂積八束妻。浅野セメントを核として、浅野財閥を一代で創設する。川崎市にある扇町は、家紋の扇紋にちなむ。家紋は半開きの扇紋ということから浅野扇紋と判断。


豊後・佐伯藩の中級武士の家系。本名は矢野文雄。読みは、やのりゅうけい。大蔵省に入るが、明治十四年の政変で政界を追われる。東京専門学校設立に携わり役員に就任。主著は『経国美談』。家紋は三つ追い雁木扇紋。画像は多磨霊園にて撮影。


熊本県阿蘇郡出身。評論家・蔵原惟人は甥。破傷風菌純粋培養法に成功、血清療法の開発、ペスト菌の発見などの偉業がある。「細菌学の父」として知られる。北里研究所、慶應大学医学部を創設。家紋は檜扇に左三つ巴紋。画像は青山霊園の墓所にて。


福岡藩士勘定所附・金子清蔵直道の長男。岩倉具視欧米使節団に同行して米国留学。伊藤博文の側近として大日本帝国憲法の起草に参画。専修大学創立に携わる。日本大学初代校長、二松學舍大学舎長も務める。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


石見国津和野出身。読みは、ことうぶんじろう。地質学、鉱物学、火山学、地震学など、幅広く学び、濃尾地震の際に、発生から約2週間後に現地入りして調査を行い、後にその結果から断層地震説を発表。家紋は地紙に文字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


東京出身。本名は柴田清五郎。7歳の若さで三遊亭圓朝(初代)門下に入門。「鰍沢」「三軒長屋」「牡丹灯籠」を得意とした。後世に大きな影響を与えた名人。「魚売人」「二人癖」など20種類ほどのSPレコードを遺している。家紋は三遊亭と同じ高崎扇紋。


肥後国出身。父は横井小楠門下・徳富一敬。本名は徳富健次郎。読みは、とくとみろか。徳富蘇峰は実兄。小説『不如帰』はベストセラーになった。実家の家紋は隅切り三方に左一つ巴紋だが、蘆花記念館で確認したところ、蘆花の家紋は丸に扇紋。


山口県萩市出身。鮎川義介は義兄。日立、日産創立の基盤となった日立銅山や久原財閥の総帥として鉱山王の異名を取る。政治家としても逓信大臣、立憲政友会総裁を歴任。二・二六事件にも深く関与したという。家紋は五つ雁木扇紋。肖像画像にて確認。


東京生まれ。吉住勘四郎の子。長唄の唄方。東京音楽学校長唄選科教授、日本芸術院会員、人間国宝、文化勲章受章、文化功労者。代表作曲「鳥羽の恋塚」「醍醐の花見」「新平家物語」等。家紋は三本並び扇紋。画像は南麻布・西福寺にて撮影。


福岡県出身。父は旧福岡藩士中野泰次郎。読みは、なかのせいごう。東京日日新聞、朝日新聞で政治評論を行う。政治家になってからは東條首相の独裁に反対。倒閣工作を謀った容疑で憲兵に拘束され自殺。家紋は丸に中陰地紙に橘紋。画像は多磨霊園。


鹿児島県姶良郡蒲生村出身。マニラ領事、外務省通商局第一課長、関東都督府参事官、朝鮮総督府事務官などを歴任。奉天総領事として張作霖との交渉を担当した。駐オーストリア公使に任命され、駐ハンガリー公使も兼ねた。家紋の丸に四つ扇は多磨霊園にて撮影。


高知県安芸郡川北村出身。高知新聞を興し、その主筆となる。第10回衆議院議員総選挙に当選。その後、憲政本党→立憲国民党→立憲同志会→憲政会→立憲民政党と変移。民政党の総務や幹事長、議院議長となる。家紋の地紙に橘紋は多磨霊園にて撮影。


備中国賀陽郡門田村出身。1900年に、水彩画「蓮池」をフランスで開かれた大博覧会へ出品して三位になり銅メダルを獲得した。代表作は「車夫の家族」「椅子による裸婦」など。家紋は丸に重ね五本扇紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


大阪府堺市か岸和田市出身の二説あり。本名は和田久一。日露戦争をネタにした「無筆の号外」が大当たりした。自らが選んだ脚本を、三十六歌仙にあやかり「36快笑」として天満天神に奉納する。家紋は扇を浮線蝶の擬態に使用した浮線扇紋。


東京浅草の花川戸に出生。本名は岩井久次郎。父親は四代目岩井粂三郎。屋号は大和屋。当たり役は『伽羅先代萩』の政岡や『嫗山姥』の八重桐。告別式で大名跡・九代目・岩井半四郎が追贈された。谷中・本寿寺の岩井家の墓所の家紋は三つ追い雁木扇紋。


鹿児島県出身。本名は知久。読みは、みやはらこういちろう。「海の子」を作詞し文部省の懸賞に応募。尋常小学唱歌に登用される。新聞記者を経て翻訳家となる。代表作は「竜宮の犬」など。家紋は丸に三つ扇紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


広島市出身。父は国学者の藤井稜意。母の伯父の賀屋姓を継ぐ。読みは、かやおきのり。戦前は大蔵大臣として軍事費中心の予算を組みA級戦犯に指名されたが、戦後は右派系自民党議員として活躍。家紋は丸に二つ日の丸扇地紙紋。画像は多磨霊園にて撮影。


愛知県名古屋市出身。本籍は山口県萩市。太平洋戦争では、、ビルマ攻略戦に従軍。インパール作戦に連動して南ビルマで陽動作戦(第二次アキャブ作戦)を指揮する。最終階級は陸軍中将。家紋の三つ日の丸地紙は多磨霊園にて撮影。


東京市小石川区出身。旧松江藩士の山口宗義の子。読みは、やまぐちたもん。軽巡洋艦「五十鈴」や戦艦「伊勢」の艦長を歴任。太平洋戦争では真珠湾攻撃に参加。ミッドウェー海戦で戦死。最終階級は海軍中将。家紋は檜扇紋。画像は青山霊園にて撮影。


北海道札幌市出身。読みは、ほりうちじゅろう。科学反応速度理論の研究では世界的な功績を残した触媒研究の世界的な権威。湯川秀樹らと共に第30回恩賜賞を受賞。北海道大学学長も務める。家紋は高崎扇紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


香川県仲多度郡多度津町出身。東京市小石川区に指圧学校を設立。マリリン・モンローに素手で触って指圧した唯一の日本人。「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」は得意フレーズ。家紋は丸に五本扇紋。画像は小石川・伝通院の墓所にて撮影。


東京府東京市浅草区出身。読みは、すぎやまやすし。結城素明に師事。日本芸術院賞、文化功労者、文化勲章等を受章。長女・瑤子が三島由紀夫と結婚。代表作は、「野(の)」「穹(きゅう)」等。家紋は三つ雁木扇紋。画像は、寛永寺谷中墓地にて撮影。


神奈川県橘樹郡日吉村の農家に生まれる。本名は横山武。新十両・新入幕・新三役など全てで当時の最年少記録を樹立。最高位は第33代横綱。幕内戦歴は174勝69敗2分71休。幕内最高優勝1回。家紋は丸に雁木檜扇紋。画像は日吉・金蔵寺にて撮影。


広島県佐伯郡出身。本名は新藤兼登、読みはしんどうかねと。妻は乙羽信子。社会派の映画監督の巨匠。代表作品は『裸の島』『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』『午後の遺言状』『一枚のハガキ』等。家紋は浅野扇紋。画像は鎌倉霊園にて撮影。


東京市赤坂区出身。ただし両親は高知県の出身。息子は推理小説家、SF小説家の田中光二。太宰治に弟子入り。その自殺に大きな衝撃を受け後に禅林寺の太宰の墓前で自殺する。代表作『酔いどれ船』『愛と憎しみの傷に』。家紋は隅切り角に地紙。


青森県青森市出身。医者の家系。本名は高木誠一。『能面殺人事件』で第3回探偵作家クラブ賞を受賞。代表作は『人形はなぜ殺される』『成吉思汗の秘密』『白昼の死角』等。家紋は隅切り角に重ね地紙。地紙とは扇に貼る紙。画像は大吉寺にて撮影。


広島県呉市出身。本名同じ。妻は女優の文野朋子。山王ホテル勤務、進駐軍の通訳などを経て、文学座に演出部研究生として入座。代表出演作品は『八甲田山』『連合艦隊』『沈まぬ太陽』『葵 徳川三代』『落日燃ゆ』など多数。家紋は丸に三つ中陰地紙紋。


新潟県新発田市出身。本名は、寺田博雄。漫画「まんが道」、映画「トキワ荘の青春」などで、伝説的なトキワ荘のリーダーとして描かれている。代表作は『背番号0』『暗闇五段』等。家紋は五本骨日の丸扇紋。画像は茅ヶ崎・浄見寺の墓所にて撮影。


北海道釧路市出身。本名は佐武豊。『女心の唄』でレコードデビュー。250万枚を超える大ヒットとなり、翌年の第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。その後も『ネオン川』『カクテル小唄』がヒット。家紋は五本扇に月紋。墓所画像にて確認。


東京都大田区出身。「誰よりも君を愛す」(和田弘とマヒナスターズとの共唱)が大ヒットし、スターダムにのし上がり、後にムード歌謡の女王と称される。その後も「お座敷小唄」「再会の朝」等のヒットを飛ばす。家紋の丸に地紙紋は杉並の西照寺にて撮影。


東京府東京市世田谷区に大蔵官僚・福田赳夫、三枝の長男として生まれる。内閣総理大臣(第91代)。『低炭素社会』を目指す「福田ビジョン」を提唱した。 家紋は丸に五本骨扇紋。家紋画像は福田家の菩提寺・徳昌寺(群馬県高崎市)の墓所にて撮影。


東京都出身。本名は寺島秀幸。屋号は音羽屋。妻は、富司純子。長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優の五代目尾上菊之助。20代の菊之助時代に三之助の一人として人気を博す。家紋は重ね扇に抱き柏紋。画像は雑司が谷霊園の五代目尾上菊五郎の墓所にて撮影。


福岡県福岡市南区出身。本名は森田一義。株式会社田辺エージェンシー所属。『笑っていいとも!』『ミュージックステーション』『タモリ倶楽部』等でMCを務める。『ブラタモリ』(2016年1月30日放送)にて登場した丸に地紙紋が自身の家紋と同じであることを告白。


山梨県大月市出身。本名は天野幸夫。古典落語専門で、長屋ものを得意としている。1983年(昭和58年)3月 真打昇進・同年10月16日から『笑点』にレギュラー出演を続ける。東京オリンピックの聖火ランナーに抜擢されている。家紋は高崎扇紋。


東京都世田谷区松原出身。元妻は女優・声優の戸田恵子。『恋人ならば』でソロレコードデビュー。映画『はつ恋』にていきなりの主演も果たす。家紋の三つ扇紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


広島県広島市榎町出身。1977年に吉田拓郎プロデュースにより「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。「キャンディ」「シャドー・ボクサー」とヒットを飛ばす。家紋の丸に五本扇紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


アメリカ合衆国ニュージャージー州出身。武将・長野業政は先祖。テレビ朝日系『報道ステーション』『ザ・スクープ』『朝まで生テレビ!』等の報道番組、政治番組のキャスターを担当。家紋は丸に房付き五本骨檜扇紋。画像は青山霊園にて撮影。


長野県諏訪市出身。愛称は「しんご」。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。中田敦彦と組んだオリエンタルラジオのツッコミ担当。『武勇伝』ネタで有名。「笑っていいとも!」にて家紋は五瓜に檜扇であることを告白。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね
































































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