高齢者問題から逃げた筑紫哲也

筑紫哲也の最後の多事争論web版を見た。

内容を抜粋する。

政治っていうのは古典的には、世代の間でパイを奪い合う。
若い世代のために、これからの世代のためにどのくらいお金を使うか。
世の中につくしてきた高齢者にどれくらいお金を使うか、

どっちに配分を多くしたらいいのかというのが政治の選択肢であるはずなんですね。
私達の国の今のおかしさっていうのは何なのかというのは実はどっちにも行っていない。

問題ははっきりしている。
問題はここにあるんだということはまずははっきりしないと何事もはじまらない。
その上で、それにむかって闘うのか、もう、それに負けるのか
そこが私達に迫られている選択肢だろうと思います。

筑紫さんは最後まで、自分の主張をしないで、なんとなく日本、国家、政治、行政をゆるく批判する人だった。また、自分を支えてくれた内輪の人間、そして、自分のファン層には格別の配慮をする人だった。
彼が”一流”のジャーナリストの位置をキープし続ける事が出来たのは、おそらく、この気遣い力のお陰に違いない。
最後の多事争論においても高齢者に対して配慮したいい方で物事の本質をずらす。彼は最後まで、高齢者問題から逃げた。結論を出さなかった。恐らく、問題であるという事はわかっていただろうに、だ。

しかも、彼は同じ動画の中で、自分はTVではほとんどやりたい事が出来なかったと弱毒を吐く。
散々、電波を私物化して(宮崎哲哉氏談)おきながら、どこまで自分勝手な人なんだろうと思わざるを得ない。

さて、筑紫さんが最後の提示した問題だが、現代の日本は明らかに高齢者に金を使いすぎだ。
彼らが貧しい人々というなら、それもわからないではないが、彼らは裕福なのだ。65歳以上の貯蓄残高(2,423万円)は、全世帯の1.4倍になっているという報告もある。

後期高齢者医療制度に対する高齢者達の反対に関しても、よく考えると、理解不能だ。
どうせ払うものを天引きするのがどこが問題なのか。
75歳以上という線引きに関しては、行政として、高齢者医療費の伸びを抑えようとするのは当然のことではないか。

はっきり言って、治療を受ける必要のない高齢者がこぞって通院している様は、何とかならないものか。

僕はC型肝炎の治療で毎週、土曜日に家の近くの総合病院に通院しているが、こんなスケジュールだ。

午前8時に受付
午前9時に診療開始
午前10時に採血の順番が来る。(採血自体は10分位で終わる)
午後11時に採血検査の結果を踏まえて医師の診療
午後12時にインターフェロンの注射

毎回、4時間もの時間を取られる。そして、僕のライバル達は勿論、ほとんどが高齢者達だ。

しかし、政治は彼らを重要な票田と考えているから、彼らに無理を強いる事はない。
定額給付金に関しても、いつの間にか、高齢者には8000円を上乗せするという話になっており、誰も反論しない。
子供に対して、余分に8000円を与えるのはわかる。子供達はこれからの消費者だから、お金を使うことの楽しさを教えるという意味もあるんだろう。
だけど、高齢者にお金を与えても、おそらく貯蓄に回るだけだろう。誰でもわかる話を誰も言い出さないのはどうしたものか。

そういう意味で、筑紫さんに提示した問題に対して英断する政治家の出現を待ちたい。
それは、麻生さんでも、小沢さんでもないのは確かだ。

何故ならば、麻生さんや小沢さんのような裕福な高齢者予備軍が、高齢者に対して我慢しろとは言えないからだ。
何とかならないものか。

まさむね

秩父の街 紋所散歩2

秩父散歩記-1からつづく。

秩父神社の境内に入る。
本殿の四方には、南面に虎、東面に龍、北面に梟、西面に猿の彫刻がある(写真一番上)。
日光東照宮と同様、江戸初期の彫刻様式だ。この時代の作品に対するある種のお決まりだが、左甚五郎作と伝えられている。

北面にある梟(写真二番目)は「北辰の梟」と呼ばれているが、梟が知恵を表すことから、最近では受験の守り神として学生達に人気が高い。っていうか神社側もそれを当て込んでPRしているようだ。
そういえばローマ神話でもミネルバの梟って知恵の象徴だ。梟=知恵みたいな観念って世界共通なのか。あるいは、西洋から東洋に伝播したものか。興味深いところだ。

さて、秩父神社のどこに紋所があるのか探す。

それらを勝手にピックアップして推理し、秩父神社、そして土地の歴史を妄想してみたい。

秩父神社は神仏習合時に、妙見宮も奉られていたという社伝もあって、平氏系の紋を探すが、残念ながら、慈眼寺で見られた九曜、七曜等の紋は見つからなかった。

しかし、消火用の天水桶の正面に、抱き銀杏紋(写真三番目)があった。
さて、この銀杏紋の起源は何か?

1:銀杏といえば、原産が中国大陸だ。銀杏紋は、古代にこの地を開発した大陸系の一族の名残か。ちなみに、彼らは古くからこの地で養蚕を営んだという。和同開珎用の自然銅もこのあたりで産出している。
2:いや、中世に、南関東を支配した大石氏の支配の痕跡か?
3:それとも、保水力のある大木・銀杏にあやかって、火除けの象徴としての銀杏を天水桶に彫っただけか?
4:また、銀杏と言えば、東京大学の学紋でも知られた通り、北辰の梟と同じく知恵の象徴でもある。秩父神社の主祭神の一人で学問の神様、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を表してるのかも。

僕としては4:だと思うんだけど...ちなみに、この地方の名門・秩父高校の校章(写真四番目)にも銀杏があしらわれているんだ。また、ゆっくりと考えよう。

さて、本殿に目を戻す。
おっと、正面の上の方に葵紋を発見。
社伝によると、この建物は徳川家によってされたというから、やっぱりスポンサーの紋は高く掲げるよな、って思っていたら、そのさらに上に菊の紋所があった。

この正面の葵紋、そしてその上の菊紋は、王政復古後に、明治政府がこの神社を、徳川から奪取、その支配下に置いたという事を物語る。
しかし、そこには一筋縄ではいかない事情があった。
実は、明治時代、この秩父では秩父事件という大きな政治事件(一揆)があり、かなり多くの人々が投獄されたのである。時はちょうど自由民権運動の頃の話だ。

政府は、だからこそ、この事件の後、この地方の鎮魂を重要に考えたのであろう。
皇族の一人に秩父宮という名前まで与える。この神社の境内には、その秩父宮が植樹したという木が、婦人のものも含めて3本もあった。
そして、恐らく多額の補助金をこの地方に落とした。
いわゆる、弾圧の後の懐柔である。
秩父神社から駅までの街路には昭和初期の贅沢な洋館が散見(写真五番目)されるが、これらも、当時の繁栄の残像、政府の懐柔の痕跡か。

一方、江戸時代の支配者の徳川家は、明治以降どうなったのか。境内に入ってすぐ右に小さく東照大権現の祠が置かれている。
扱い悪いけど、捨てはしないで、とりあえず、隅にこっそり置いておくっていう日本的対応がほほえましくもある。

まさむね

 

関口宏の「水曜ノンフィクション」って存在意義ある番組?

関口宏の「水曜ノンフィクション」を見た。

番組の雰囲気は、「サンデーモーニング」の特集版といった感じだが、毎回、じっくりと特集のドキュメンタリ(ノンフィクション)を放送するらしいが、放送開始して数回、視聴率的にはかなり厳しいというニュースが伝わっている。

12日放送のテーマは、ネット社会の光と闇~”悪魔の暴走”と”闘う人々”。

関口さんの番組らしく、視聴ターゲットをネットとかコンピュータとかにどちらかといえば疎そうな階層(ようするにオヤジ層)にしぼり、学校裏サイト、闇サイト、それらの監視会社の現状、韓国における有名女優を自殺にまで追い詰めた中傷事件等の紹介。”光と闇”というわりに、ほぼ100%が闇に偏ったドキュメンタリだった印象。

「お宅のお子さんが、ネットという危ない世界でイジメられてないですか、悪に巻き込まれてないですか、大丈夫ですか?」という脅迫的な話の流れは、おなじみの展開だけど、子供が被害者になってるかもっていう心配よりも、加害者にならないように、厳しく躾てほしいよね、親御さんには。

当日のゲストの安川雅史氏は、「だから親御さんも、ネットの現状を把握してください。」って言ってたけど、恐らく、それは無理だし、無駄だ。
この人、「学校裏サイトからわが子を守る!」とか書いている人だから、本を売りたいってのはわかるけどさ。

番組HPには、プロデューサー・南部雅弘氏の言葉として「関口宏の持つプレゼンテーション力と時代を斬るセンスを生かし、」とあるけど、その当のアンカー関口氏の一言が「私はもう完全に取り残されていまして、ハハハ...」じゃ、低視聴率も仕方がないか。

少しは勉強したほうがいいですよ、ってスタッフの誰かが言ってあげたら、どう?言えないか。

まさむね

 

哀愁の名大関・魁皇がついに休場

ついに大関・魁皇が休場した。

九州場所は初日から左ひざの故障で苦しい土俵ではあったが、一昨日の若の里戦で左上腕も痛めてしまい、休場に追い込まれてしまったのだ。
九州は魁皇のご当地であり、連日、ファンからの異常な声援を受けていただけに今回の休場は誠に残念なことだ。
今回の休場により、史上最多の12回目の角番(負け越したら大関から陥落する立場)となってしまった。

休場となってみると、その優しそうな表情、黙々とした土俵態度、だけでなく、張りの無くなった体躯、膝の分厚いサポータ、塩が吹いて色褪せた回しでさえも、魁皇の世界を構成する一部という意味で愛おしく感じられるから不思議だ。

昨今、カジノ資本主義崩壊による金融恐慌後の日本人の、”次の時代の倫理”が模索されつつある。
こんな時期だからこそ、日本人の生き方のモデルの一人として魁皇にはいつまでも土俵に上がり続けてほしい。

常に追い詰められながらも踏みとどまる名大関・魁皇が醸し出す哀愁は、朝青龍、白鵬、琴欧洲、把瑠都、阿覧、栃ノ心達には決して出せないのだから。

まさむね

紳助の紳助による紳助ためのバラエティはもう結構だ

毎月、「TVnavi」というテレビ雑誌を読んでいるが、視聴率ランキングにいつも違和感を感じることがある。
関西地区のバラエティ部門において「クイズヘキサゴン」(以下、ヘキサゴンと略す)と「行列の出来る法律相談所」(以下、行列と略す)の視聴率が毎号、ダントツなのだ。

でも、そんな面白いか、このヘキサゴンと行列。

言うまでもなく、この2番組は、島田紳助の司会で進行される。
本来は、それぞれ、クイズ、法律相談がメインなはずなのだが、いつの間にか、紳助の雛壇ゲストに対する、辛らつな仕切り(いじり)の時間がやたらに長く、それ自体が番組の売りとなっている。

そしてゲスト達は、あくまで紳助のネタのためのキャラであることに徹する。
石田純一=女たらし、東野幸次=腹黒、磯野貴理=嘘付き 羞恥心=おバカ、波田陽区=つまらない芸人という具合だ。

ある事ない事織り交ぜて、”紳助組”の内輪ゲストに対してイジりまくる芸は、紳助の持ち技として他の追随を許さない事は認めざるを得ない。
ただ、画面から感じられる紳助とゲストの力関係があまりにも露骨なため、時に、その場のクウキが不愉快に感じられてしまうのだ。

「検索バカ」(藤原智美)によると、「クウキとはその場でできあがる人間同士の力関係です。リーダー的な存在がありそれを軸にできあがる暗黙の秩序といっていいでしょう。」というが、まさしく”ヘキサゴン”と”行列”は、紳助を頂点とした暗黙のクウキを必死に読もうとするゲスト達の競い合いにも見える。
僕には、紳助に場面を振られたゲストが、エサを投げてもらって喜んでいる動物園のサルに見えてしまうのである。

しかし、結局は、ゲスト達の発言は、最終的には紳助の話芸のネタとして消費されていく。
視聴者は、紳助の、紳助による、紳助の時間を見せられる事になる。それは紳助の支配欲を、深読みするならば、コンプレックスの裏側を見せられる事でもある。

一度、番組がこういう風景に見えてしまうと、このクウキの臭みを看過できなくなってしまう。
おそらくこれが、この番組の高視聴率への違和感の原因なんだと思う。

でも、もしかしたら、これは、関西と関東との感覚の違い?
一方、関東では、「笑点」の視聴率がいつも高いっていうのも、これはこれで信じられないのだが...

まさむね

 

イノセントラブとスキャンダル勝負あった!?

月9ドラマ「イノセントラブ」の展開があまりにも息苦しい。
堀北真希演じる佳音の”心情”にベッタリと寄り添わないと、とても見続けるのはつらい。
客観的に、彼女の行動を追っていくと、覗き、盗み聞き、不法侵入、出まかせの嘘、その場のごまかし等が満載で、奇行少女といった感じだ。
おそらく、殉也(北川悠仁)の絶対的心の広さ(何をやっても最終的に許す優しさ)があるから物語がかろうじて成立しているのではないか。

こういった純愛物は例えば、「恋空」なんかもそうだけど、映像にしちゃうとイメージが限定されすぎちゃって、感情移入しにくくなっちゃうんじゃないかな。
時代の流行っていう意味で、厳しいような気がする。
80年代の大映ドラマや90年代の野島ドラマ等の不幸物は、もう喜劇としてしか見られないからね。

一方、日曜劇場「スキャンダル」の華やかな展開は「イノセントラブ」の息苦しさと好対照だ。
第4話を終わった時点で、先が全く読めない。
今まで隠されていた過去、お互いの人間関係が、どのように、露呈していき、そして収束していくのか。
沢山いる個性的な登場人物達がそれぞれに、事件と過去に巻き込まれていく、その展開は、新しさを感じるよね。
今後、このドラマの感覚を模したドラマが多産される予感すらする。

さて、この「スキャンダル」は「セックス・アンド・ザ・シティ」の多大な、影響下にあると言われている。
だとするならば、「セックス・アンド・ザ・シティ」同様に、主役の4人のライフスタイルとか年齢とかを元にして、それぞれが着ている服のブランドやセリフの言い回しのコード(意味)が理解できればもっと楽しいんだと思う。
金持ちの奥さんってこういうブランド着るんだよなとか、役人の奥さんはこういう色好きだよねとか、年増OLってこういう言い方するよねとか、みたいな、いわゆる、あるある感覚を楽しむのも一つの楽しみ方だよね。
でも、僕にはそれを解読する知識は無いのが、残念。
唯一、前回、みんながたまき(桃井かおり)の家に泊まるシーンで、たまきがその場で用意した寝巻き用のTシャツが、ストーンズ、キッス、クラッシュ等のロック物だった事で、たまきの趣味と部屋の汚さの起源がわかる程度だ。

「イノセントラブ」の浅野妙子と「スキャンダル」の井上由美子。
浅野は「ラブジェネレーション」「神様、もう少しだけ」「大奥」「ラスト・フレンズ」、井上は、「ギフト」「GOOD LUCK!!」「14才の母」「ファーストキス」等を手がけている。

1961年生まれの現代を代表する二人の脚本家だが、今回の「イノセントラブ」と「スキャンダル」の勝負は見えた!というのは早計だろうか。

まさむね

 

渋谷警察署裏の金王神社を散歩

渋谷駅東口を出ると大きな歩道橋がある。
渋谷で、時間がある時は、この歩道橋のエレベータに乗ってみよう。

実は、このエレベータってちょっと前に一世を風靡したシンドラー製なんだよね。
歩道橋のエレベータだから、2Fまでなんだけど、一瞬のスリルが味わえる。
本当に微妙なスリルなんだけどさ。

さて、この歩道橋を渋谷東警察署の方に降りて、警察署の横の道に入ってちょっと行くと金王八幡宮がある。
ここは、今から900年位前、このあたりを治めた渋谷氏の居城があったんだってさ。
だから、渋谷の中心って歴史的に言えば、このあたりだったんだよね。

この、金王八幡宮、ビル街の中の異空間。鬱蒼とした敷地内に、木の幹に穴が開いてる御神木もあったりする。実はこの八幡宮って東京には結構あるんだよ。
代々木八幡、大宮八幡、世田谷八幡、鷺宮八幡、太子堂八幡、北澤八幡、雪谷八幡、碑文谷八幡、蒲田八幡...
どちらかといえば、渋谷、世田谷、目黒あたり、東京の西南に多い。
このあたりに、源氏に従う武士が多かったんだろうね。八幡宮は源氏の氏神だからね。

ちなみに、逆に東京の西北には氷川神社が多い。
一方、東京の東側には神田明神なんかもあるけど、平氏の根拠地だったかもね。

ちなみに、よく、渋谷っていうのは谷が多いから渋谷って呼ばれてるって説も聞くけど、歴史的にはどうなんだろう。
渋谷氏といえば、遠く歴史を経て、日露戦争で活躍した東郷平八郎もつながっている。
この渋谷区の原宿に東郷神社があるってのもなんかの因縁かもしれないね。

まさむね

 

 

 

筑紫さんはオナラが臭そうな人だった

筑紫哲也さんがガンで亡くなった。

僕たちの世代にとって、ジャーナリストと言えば、筑紫さんの顔が思い浮かぶ程、”それらしい”人だった。
このキャラクタ力は強固だ。
そういう意味でマスコミ既得権の代表者みたいな人だったよね。

だから、同業者であるマスコミ人はあまねく、筑紫さんに哀悼の意を示す。
「週刊ニュース新書」の田勢康弘さん、「JNN報道特集」の田丸美寿々さん、そして鳥越俊太郎さん達は異口同音に、「ブレない人」という言い方をしていた。
ブレないという事は、いつも同じ事を言っていたという事でしょ。
既に視聴者が持っているイメージ通りに振舞って、新しいこと考えなくていいんだから、ある意味、楽な立場だったんだろう。キャスターの発言で面白かったのは、安藤優子さん。「1980年頃、アメリカからの報道時、私が筑紫さんの通訳をしたんですよ。」って、ここに来て、朝日新聞・ワシントン特派員が看板の筑紫さんの英語力の無さを暴露するか!?こういうのを無邪気な悪意って言うんだろうな。

一方、2chでは、彼の事ボコボコ。
「慶んで、哀悼の意を表します」「日本の癌も癌には勝てず」「癌細胞に感謝!」等、そこまで言うか。
ニュー速+でのスレ数は、1日で30を越える。アメリカ大統領選挙、小室問題をはるかに上回る。大人気だ。

いつもそうだが、マスコミの言論とネットの反応の相反を再確認させられた。

僕の個人的な印象では、オナラの臭そうな人。
換言すれば、裏ではいつもいいもの食べてそう、あと、肉とか、辛い物好きそうな人だったよね。

まさむね

小室哲哉、夢に裏切られた男

僕がここで書いてみたいのは、彼がいろんな人に騙され、いろんな人を騙そうとして詐欺罪で逮捕される経緯というような裏の話ではない。
彼の音楽が1998年あたりから、何故、売れなくなったのかという事と、彼は何故、アジアに進出しようとして、そして失敗したのかという問題だ。

小室さんのプロデュース曲が次々とミリオンヒットを続けていた時期、それは1990年代の中盤から後半にかけてだ。
時は、女子高生ブーム全盛。僕の個人的なことを言えば、この頃、「女子高制服図鑑」とか「100万人の女子高生」というCD-ROMの制作にかかわっていた。
同じ頃、彼がプロデュースした安室奈美恵や華原朋美は、コギャル達のカリスマと言われ、楽曲は、ストリートコギャルの応援歌としてもてはやされていた。
小室さんの作る曲、詞は確実に彼女達をリアルに捉えていたのだ。

Lonelyくじけそうな姿 窓に映して
あてもなく歩いた 人知れずため息をつく
I’m proud 壊れそうで崩れそな情熱を
つなぎとめる何かいつも探し続けてた

-I’m proud -(華原朋美)

今日もため息の続き
1人街をさまよっている
エスケープ昨日からずっとしてる
部屋で電話を待つよりも歩いてる時に誰か
ベルを鳴らして!

-SWEET 19 BLUES-(安室奈美恵) 

当時、小室さんは、これらの曲を、スタッフ達と十分に、戦略を練って作っていたんだと思う。
そしてその戦略は見事成功した!
音楽業界におけるマーケッティングというものが、まだ、嫌らしさとも、嘘っぽさとしてとも、意識されていなかったこの頃、コムロサウンドは街を席巻したのである。

しかし、1998年頃に潮目が変った。それは音楽界だけでなく、社会的にも変った。

この頃、この社会的変化を象徴する二つの事件が起きている。

一つが、山一證券の廃業だ。
これは、「学校に行って、いい企業に入って真面目にやっていれば一生安泰」という夢の崩壊の象徴である。
そしてもう一つが、和歌山の砒素入りカレー事件だ。
こちらも「日本中どこにでもある共同体。そこに普通に暮らしていれば安心」という夢の崩壊の象徴である。

社会学者の山田昌宏氏は、この年に起きた、大きな社会的変化を1998年問題としてまとめている。
以下に上げるものの数が、この年に激増しているというのだ。

自殺者数
青少年の凶悪犯罪(殺人、強盗、強姦)の数
成人事件の強制わいせつ認知件数
セクハラ相談件数
児童虐待相談処理件数
離婚件数
できちゃった結婚の数
不登校児童の数
高校の中退率

このような現象は、それまで日本を支えていた社会システムの崩壊と言い表せると思う。
そして、コギャル達は、厳しい現実を前に、夢から醒めて、ルーズソックスを脱ぎ、ストリートから、それぞの家の中へと戻っていた。
それとともに、彼女達の応援歌=コムロサウンドも街から消えていったのである。彼が生み出したミリオンヒットは、1997年の安室奈美恵のCan you celebrate?と華原朋美のHate tell a lieが最後になった。コギャルの卒業ソングと解釈されたCan you celebrate?と、”嘘”との決別を表現していたHate tell a lieが、小室さんの最後のミリオンヒットとなった事実は、音楽シーンの流行にとって、誠に示唆的であったと思う。

一方、音楽界では1998年という年は、多くの画期的な新人が登場している。
宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、aiko、椎名林檎、MISIA等、自分の個性を、自分の言葉とサウンドで表現できるミュージシャンの多くはこの年のデビューである。
大人が作って、タレントに歌わせ、タレントと同世代の女の子がCDを買い、メガヒットを記録するといった業界にとって幸福な時代。実は、この頃には既に終わっていたのかもしれない。
別の言い方をするならば、多くの視聴者はこの頃、より、共感出来る曲、リアルで本物の叫びとサウンドを求めたのである。
しかし、残念な事に、小室さんはこの流れについていけなかった。この年、彼の主な仕事は、鈴木あみをデビューさせることだったのだから。

勿論、パブリックイメージとしての小室哲哉は、まだ全盛である。特に小室さんを利用しようとする人々にとっては。
その翌々年の2000年の沖縄サミットでは、各国首脳の前で小室哲哉プロデュースの「NEVER END」という曲が披露されている。
小室さんの人生の絶頂とも言えるイベントである。

しかし、水面下では既に、終わっていた小室さんにとって「NEVER END(決して終わらない)」という曲は、今から見ると皮肉にしか聴こえない。

Never End Never End 私たちの未来は
Never End Never End 私たちの明日は
Fantasy 夢を見る 誰でも夢を見る
数えきれない やさしさが支えてる

-NEVER END-(安室奈美恵)

さて、この「NEVER END」では、Fantasy(夢)が歌われているが、実は、小室さんにとってのFantasy(夢)は2つあった。
一つは、「小室哲哉の楽曲は時代を超えて、永遠に通用するものだ。」という夢であり、それは上記のような時の流れによって否定されてしまった。

そしてもう一つは、「小室哲哉の楽曲は国境を越えて通用するものだ。」という夢であった。
実際に、今日の小室さんの転落の大きな原因は、彼の大陸進出の失敗と言われている。
実は、彼はここでもFantasy(夢)に裏切られたのである。

『Jポップとは何か』(烏賀陽弘道)によると、「Jポップ」という名称が運んだのは「日本のポピュラー音楽が世界に肩を並べるようになった」というファンタジーだったという。
すなわち、元々、Jポップという名前には、ある種の欺瞞があったというのだ。
それは、日本国内市場向けの音楽であるにもかかわらず、Jポップという名前によって、あたかも世界で通用しているかのようなイメージを生み出し、それによって国内市場で成功させようとしたのだという。
これは、”世界の”という冠詞をつけることによって、国内向けに売り出そうとする手法と同じ発想だ。世界のジャイアント馬場とか、世界の北野武とか、世界の三宅一生とか...

恐らく、小室さんは、このJポップのFantasy(夢)をベタに信じてしまったのだ。
しかも、先導するのは自分だという自負もあったんだと思う。

しかし、夢は夢だったのである。本来だったら、アジア市場を研究して、海賊版天国である事を踏まえるべきだった。パッケージはあくまでも宣伝という位置づけにして、コピーされることを前提に、とにかく認知度、高級なイメージを広めて、ライブでビジネスという方向も考えられたかもしれない。

このように、小室哲哉は、楽曲・才能の永遠性という夢、世界性という夢、いろんな意味で、夢に裏切られてしまったのだ。

さらに言えば、小室さんは、逮捕直前、最後の最後に誰かが救ってくれると夢想していたともいわれている。「NEVER END」における、”数えきれない やさしさが支えてる”という夢にまで、彼は裏切られたのである。

まさむね

小金井公園近くの八幡宮を散歩

家の近所に小金井公園がある。
その片隅に八幡宮があったのでお参りしてみた。

本殿には、左巴の神紋の彫刻。八幡様の象徴だ。

神社敷地内には、八幡宮の他、猿田彦神社、三峰神社、榛名神社もあって、公園造成時に、公園内にあった祠を一箇所に集めたようだ。

日本にあるほとんどの神社はこうして、主神の他にいろんな神様が祭られている。それぞれの神様は、なんの関連もないんだけど、一緒にいると馴染んでくるんだよね。
ちなみに、八幡宮は、応神天皇、三峰神社は、日本武尊がそれぞれ祭神だ。両方とも武勇の神である。ただ、三峰神社のお遣いは狼なので、犬と同様、子守の神としても崇められている。

一方、猿田彦神社は交通安全の神・猿田彦が祭神。「火の鳥-黎明編」(手塚治虫)の、サルタヒコのモデルだよね。

神社を見学するときのポイントは、奉納の名簿。その地方の有力者(氏子)が一目でわかるからね。
内田、高橋、宮崎、庭田等の名前が見える。「だから、何だ?」ってわけないんだけど、その土地で頑張って生きてきた人たちの事が、一瞬、イメージできるよね。

まさむね